『我が名はアラム』のサローヤンによる、10歳に満たない男の子の語りによる父親との交遊。原作は1957年の発表。正直なところ、こんなに仲の良い、理想的な父親と息子の関係があるのかと思ってしまう。御伽噺といってよい。こんな親子関係が実際にもあるのだろうか。あるだろう。少ないと思うが。
サローヤンの家庭の実際がこの話とは真逆というか、ひどいものだったそうだが、これは作り話であり、だからこそ理想の極を書ける、その特権を最大限生かした作品と言えるかもしれない。翻訳は伊丹十三が、その「哲学」に基づいた「直訳調」で(もちろん本人が書いているように失敗しているが)、この解説に書いてある翻訳に対する考えを、専門の翻訳業者に読ませ、意見を聞きたいものである。伊丹十三は典型的な「昭和オヤジ」で、欧米が圧倒的に優れており、その観点から日本に説教する、という人間だった。その考えに基づいた翻訳である。
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