2024年12月11日水曜日

『江戸川乱歩座談』中公文庫 2024

江戸川乱歩が参加している座談、対談を集めている。

このうち戦前の座談会が2つある。戦前の有名な作家たちが参加している。最初の座談は昭和4年に行われている。我が国の探偵小説(推理小説)がまだ若かった時代であり、今ならできない、する気も起きない、探偵小説についてのそもそも論を話し合っている。後の「明日の探偵小説を語る」の座談会は昭和12年であり、本格的な戦争の始まった年でこれ以降、終戦まで探偵小説が逼塞状態に置かれたのは周知のとおり。

話し合っている内容を見ると探偵小説をどう捉えるか、が前提となっている。巻末の参考資料「論なき理論」(p.437~)で大下宇陀児が、探偵小説はその定義をいつまでも議論している、と言っている。自分の理解を書けば、例えば事件(犯罪)が起こり、探偵が現れ、謎解きが最後にある、といった総論的な話をしてもしょうがなく、読者がそれを探偵小説と見るか、の話である。例として『アクロイド殺害事件』に対して小林秀雄は怒っている。(p.365~)アンフェアだと。読者に詐欺を働いていると。この小説、本当に感心したので、小林の意見には驚いた。しかしそういう反応もありうるとは思った。花森安治や作家の海野十三、小栗虫太郎も同様の意見らしい。(p.413、p.108)本書で盛んに議論している探偵小説の在り方について、ここの時点から遠い将来に、東野圭吾の『超・殺人事件』という小説がある。これは現在の推理小説界の戯画化、つまり茶化した本なのであるが、現在の推理小説を読んでこれが推理小説なの、と思っていた自分には腑に落ちたところがあった。真面目に議論している本書のような時代から、東野本のような物が出る時代になっている。

戦後では乱歩の還暦祝い(昭和29年)を木々高太郎、城昌幸らがしている。芸者が入る席で、個人的恋愛観なども書いてある。「探偵小説新論争」(昭和31年)は木々高太郎、角田喜久雄、中島河太郎、大坪砂男らの座談会。こういう論を好きなのが推理小説好きなのだろう。本書中興味を感じたのは「文壇作家「探偵小説」を語る」(昭和32年)で、普通の小説家、梅崎春生、曾野綾子、中村真一郎、福永武彦、松本清張の座談会。探偵小説の創作家でなく、読者である一級の小説家の議論。松本清張は『眼の壁』の発表時期である。「「新青年」歴代編集長座談会」(昭和32年)は、あの時あの人とどこそこで会った、といった類の回想が多い。

以下は対談で「E氏との一夕」(昭和23年)は稲垣足穂との同性愛を巡る議論。「幽霊インタービュウ」(昭和28年)は長田幹彦(戦前からの作家で戦後は心霊学に関心を持った)との心霊実験に関する対談。乱歩は心霊実験に懐疑的否定的である。「問答有用」(昭和29年)は徳川無声(無声映画時代の弁士で後、俳優になった)との対談、軽妙洒脱で読んでいて一番楽しい。乱歩はこの時点で自作のうち『心理試験』『陰獣』『押絵と旅する男』『パノラマ島奇談』『鏡地獄』をベストとして挙げている。「幸田露伴と探偵小説」(昭和32年)は文豪の娘で自身も小説家である幸田文との対談。露伴が探偵小説に興味があり、私生活でシャーロック・ホームズもどきの推理をしていたなどと知り、乱歩と同様全く驚いた。「ヴァン・ダインは一流か五流か」(昭和32年)は小林秀雄との対談。先にアクロイドの評価を書いたが、将棋が機械では人間に勝てない、という主張は時代のせいもあるだろう。また題になっているヴァン・ダインは探偵ファイロ・ヴァンスが嫌いらしい。探偵小説に心理的な要素を入れたのを否定しているが、議論のあるところと思われる。「樽の中に住む話」(昭和32年)は佐藤春夫、城昌幸との対談。乱歩は推理小説を書き始めた当時、谷崎潤一郎、芥川龍之介と並んで佐藤春夫に影響を受けたとある。「本格ものの不振打開策について」(昭和33年)は花森安治(雑誌「暮らしの手帖」の編集者で昭和時代は結構有名な文化人だった)との対談。回顧談の他、題にあるようにいかにして本格推理小説を盛んにするか、を聞いている。

本書を読んで世の中推理小説好きは多いと改めて知り、なぜこんなに推理小説は読まれているのだろうかと思った。なお本書でアクロイドやYの悲劇などはネタバレが書いてあり、これらのような超絶有名作品は読んでいる読者が対象である。


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