2017年11月10日金曜日

刺青 昭和41年



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増村保造監督、若尾文子主演の大映、総天然色映画。
フィルムセンターの映画の教室、色彩の探求で観た。同映画はイーストマン・コダックのフィルムで撮影された。宮川一夫カメラ。
谷崎潤一郎の短篇の映画化であり、元の小説が短いため、女主人公が復讐するさまを丹念に描いている。
若尾文子が睡眠薬で眠らされ、彫り物師が刺青を入れていく場面から映画は始まる。
映画は以前に戻る。大店の娘若尾は、手代といい仲になり駆け落ちしようとする。手引きは船貸しの権次がする。その家で愛欲の日々を過ごす。権次は悪党で若尾の親から捜索するとしてカネを巻き上げる。その一方若尾を芸者として売り渡し、また手代は殺そうとする。若尾が売られていった先の親分は、若尾の肌に惚れた彫り物師に、刺青を彫らせる。これが冒頭の場面。

一方若尾の恋人の手代は、権次に命令されたやくざに連れ出される。雨の中、川端で殺されそうになる。二人の格闘。随分時間が長い。最後は手代が逆にやくざを刺し川へ放り込む。
若尾の背中に彫られた刺青は、巨大な女郎蜘蛛であった。この女郎蜘蛛は男を肥やしにすると彫り物師は言う。彼自身がこの刺青に魅入られている。
手代は若尾のところへ転がり込む。自分の殺しに怯える男に、殺されなかったら自分が殺されていただろうと恫喝する。気弱な男と勝気な女の対比。

芸者となった若尾は次々に男を魅了し、その肥やしにする。悪党権次も若尾に参り、自分の女房にと迫る。若尾は今の女房を殺せと言う。女房を殺したところへ若尾が来る。権次は自分のものになれと迫る。一緒についてきた手代が刺殺す。二人も殺してしまったと頭を抱える手代。

若尾の親分は、彼女を求めている旗本(佐藤慶)から、共謀してカネを巻き上げようとする。まず若尾が旗本を籠絡しようとする。そこへ親分がやって来るので彼女は納戸に隠れる。親分も同様に旗本を騙そうとするので、見破った旗本は納戸から若尾を出し、二人に騙されるものかと怒鳴る。若尾は女に騙されてこそ遊びだろと言い返す。旗本は刀を抜いて親分を斬りつける。二人は逃げる。後からついてきた手代も後を追う。怪我をしている親分を亡き者にしようと若尾が襲うと、親分は反撃してかえって若尾が危うくなる。手代に助けを求める若尾。この間、手代は離れた所で見ているだけで、びくびくして何もしない。かなり長い間傍観していたが、最後には親分を殴り殺す。

明くる日若尾の所へ、芸者としての呼び出しがかかる。行ってみるとあの旗本である。彼は自分の幼稚さを謝り、若尾のような女であるからこそ気にいったと言う。彼女はカネがかかると脅すが、カネなどと言わず寝首を搔くとでも言え、と返す。男と女の仲など殺し合いみたいなもんだと。旗本の気風に若尾はすっかり惚れ込んでしまう。

その後旗本通いとしようとすると、手代が家にいれくれと頼む。すっかり彼から心が離れた若尾は、優柔不断な彼に愛想がつきた、旗本に惚れているとズバズバ言ってのける。
理解した男は若尾を刺す。自らにも突き立てる。彫り物師が現れる。以前の殺人の際もこの彫り物師は見守っていたのである。もう女郎蜘蛛を殺すしかない。女郎蜘蛛の死は自分の死でもある。若尾の背中の女郎蜘蛛を刺し、自らも果てる。重なりあった三人の死体。

若尾の徹底した、復讐を求め、自分の感情に正直に生きる、そのためには何も躊躇しないという生き様は迫力がある。

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