2017年11月6日月曜日

元少年A『絶歌』 太田出版 2015



神戸連続児童殺傷事件の犯人元少年Aが書いた自伝。犯人は昭和57年生まれ、平成9年に事件を起こし逮捕、平成16年に更生施設を出たという。
絶歌
内容は自分の生い立ち、家族などが説明される。事件そのものはあまりページを割いていない。捕まって更生施設に入所。出てから色々な仕事につくさまが描かれている。

一読して感じるのは文章が非常にうまい、ということである。30歳そこそこでこれだけの文を書ける人がどの位いるだろうか。もちろん代筆者でないという前提であるが、代筆でこれだけ犯人の心理を書けるだろうかと思ってしまう。
大正時代の殺人鬼、吹上佐太郎の自伝『娑婆』については、以前当ブログで書いた。
吹上と元少年Aとの共通点は、文章がうまく、頭が良さそうと思われること。また祖母に愛されその死(共に10歳頃)が衝撃だったということか。もっとも祖母に可愛がられた男の子はゴマンといるので、これが犯罪につながるとか全く言えない。

さてこのような事件、あるいは多くの犠牲を出した事故から我々の仕事上のミスに至るまでそういった不祥事を犯した(起きた)場合どうすべきであろうか。それは同様の不祥事を繰り返さない、人間だから絶対起こさない、というのは無理にしても起こる確率をできるだけ下げる、ということではなかろうか。過ちは繰返しませんから、でないか。犯人(責任者)を非難、責めるだけで終わってしまってはならない。

そういう観点から見た場合、この書の内容は将来的に同様の事件を防ぐために何か役にたつのだろうか。先に書いたように犯罪そのものについての記述は多くない(字数とかページ数の問題でなく)。平気でできるとは思えない事件である。それでいながら自分の弟などへの謝罪感は強く、そういう点では我々の感情と同じである。だから余計不気味な感じがするのである。
専門家は何を読み取れるのだろうか。そもそもこういう人間に更生が可能か。聞きたいところである。

0 件のコメント:

コメントを投稿