2017年11月17日金曜日

ダイアン・コイル『GDP』 みすず書房 2015



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著者はイギリス、マンチェスター大学教授の経済学者。
GDPを題名に冠した日本の書物は、GDPの統計的概念を解説したものが多い気がする。本著はむしろ、経済の歴史的発展経緯や統計の現代における利用の限界などを述べ、よりジャーナリズム的である。

本書でのGDP統計の発展の考察は有益である。ペティ以来、統計の発達は戦争と関わりあいがあった。アダム・スミスで生産的労働と非生産的労働の区別が導入された。生産的労働と非生産的労働は、別の言い方をすればモノの生産とサービスの生産の対応になる。これはマルクスに至るまで、またその経済思想を実現した社会主義諸国の統計の在り方を左右した。

現代のGDPを産み出した直接的な契機は大恐慌と第二次世界大戦である。経済の実態を示す統計が必要だった。イギリスではコーリン・クラークが、アメリカではクズネッツによって統計整備に手が付けられた。ケインズも『戦費調達論』によってイギリスの統計の不備を指摘した。
イギリスではその後リチャード・ストーンとミードによってGDPの原型が作られた。ストーンは戦後も国際的統一に尽力した。国連が音頭をとり国民経済計算大系が整備された。
整備された統計はマクロ経済政策に、またそのツールとしてのマクロ計量モデルに利用された。

GDPの定義と制約が述べられる。季節調整、実質値、国際比較、どの活動を対象とするか、など多くの留意点がある。推計された数字なので改定がしばしばなされる。過去の歴史を変えてしまう場合もある。GDPは豊かさの指標と言えない。
戦後の経済史が述べられる。50-60年代の黄金期を経て、70年代の危機、更に近時の経済範疇の変化など。特にサービスの増大、金融危機を受けてどう取り扱うべきか。そもそもGDPの対象とすべきか。生産性の問題。GDPは豊かさの指標でなく、これについてはHDIなど他の指標がある。現在は、統計のあるべき姿について手探りの状態。GDPは数々の欠陥はあるものの、手探り状態の中の光であり続ける。

GDPの限界を指摘することは易しいが、これに代わる指標がないから、改善を続け対応していくべきということであろう。

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