明治になって30年も過ぎた時代に、新渡戸が西洋人に対して日本の精神を説明するために英文で書いた書である。書かれた理由が序文にあって、本書で一番重要なところであろう。西洋人から日本の宗教教育について尋ねられた新渡戸は日本には宗教教育はないと答える。すると西洋人は驚き「それではどうやった道徳教育をしているのか」と問い詰められ、新渡戸はタジタジとなる。それで自ら振り返り、自分が善悪等の観念を吹き込まれたのは武士道の精神と思い当たる。その武士道の精神を書き、西洋人に対する答えとした。念頭に西洋人があるから無暗に西洋の事例を出して、それとの比較で論じる。新渡戸は自分が被告として書いたとある。常に西洋人が自分たちが中心である、模範であると主張して、それに対し日本人は受け身で、被告として弁解する、この構図は今でも変わっていないだろう。
本文で新渡戸が何を言っているかというと、武士道はこうあるべきというべき論であまりに理想的に論じているので、実際の武士はこんなに立派であるはずもないと思ってしまう。だから良くないと言うのでなく、何かを論じる場合はべき論になるのである。だから武士としてあるべき姿を新渡戸が論じるのは当然である。それにしてもあまりに立派なお題目が並べられているので、なんとなく落ち着かない。
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