数理計画、金融工学の専門家として名高い今野教授によるアメリカ留学と、教員として行った経験とそこから得たアメリカ大学及びアメリカ事情を語った本。
大学工学部を出た著者は電力中央研究所に入る。そこでアメリカ留学の話が出た。行った先はスタンフォード大学。OR学科だった。元々は希望ではなかったが、そこで当時の最高の教授陣から薫陶を受ける。その後、ウィスコンシン大学へ客員助教授として行くが、全く同僚に太刀打ちできない。帰国後は筑波大学の計算機学科の助教授になる。すぐにウィーンの研究所に行く。ヨーロッパの価値を知る。筑波大学では雑用、教育で4年間研究が出来なかった。国際数理計画法の学会を日本で開催しないかと提案があった。その決める会議に行ってみると、ボンでやることが実は決まっていて、日本は当て馬にされたと分かり苛立たしく思う。
かつてのスタンフォード時代の知人から中西部にあるパデュー大学へ客員として来ないかと誘いがかかる。パデュー大学に行く。ここでの経験が結構書いてある。アメリカのビジネス・スクールの実際や序列、研究者としてノウハウ、身の施し方など。研究者としてもう開拓しつくされている分野はやってもダメで、まだ未開拓の分野なら論文はいくらでも書ける。また以前の分野も全く離れてしまうのでなく、後から書けるものが浮かぶ場合がある。そうして論文数絶対主義のアメリカで、多くの論文をものにすべき。この方法を著者は日本に帰ってから実践し多くの論文を書いた。後から来た慶応の、英語がうまく出来ない教授を自分の部屋に同居させ、料理上手な同教授に料理を随分ご馳走になった。またアメリカ文化で一つ挙げるとすればパーティだと言う。教授間のパーティでは若手が教授に自分を売り込む場という。
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