2024年9月20日金曜日

三木清『人生論ノート』新潮文庫 昭和29年(60年改版)

昭和16年に出版された。内容はそれ以前から発表していた。人生論の古典であろう。実際に読んでみると結構文章が分かりにくい。たとえば冒頭は「死について」であり、その中に次のような文章が出てくる。(昭和60年改版、p.12)

原因は少なくとも結果に等しいというのは自然の法則であって、歴史においては逆に結果はつねに原因よりも大きいというのが法則であるといわれるかも知れない。もしそうであるとすれば、それは歴史のより優越な原因が我々自身でなくて我々を超えたものであるということを意味するのでなければならぬ。この我々を超えたものは、歴史において作られたものが蘇りまた生きながらえることを欲して、それを作るに与(あずか)って原因であったものが蘇りまた生きものを蘇らせ、生きながらえることは決して欲しないと考えられ得るであろうか。もしまた我々自身が過去のものを蘇らせ、生きながらえさせるのであるとすれば、かような力をもっている我々にとって作られたものよりも作るものを蘇らせ、生きながらえさせることが一層容易でないということが考えられ得るであろうか。

この文章の後半の意味がとれるだろうか。賛成反対を言う前に言わんとするところを理解しなくてはならない。2,3回読んで分からなかった。こういう文に付き合える人が読む資格があるのだろう。自分はここで読み続ける気が失せた。


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