イェール大学で23年連続でされている講義の書籍化。本書は死というものを色々な角度から分析する、言葉を変えて言えばあれこれいじり回して、死とは一体どう理解すべきを探る哲学的な書である。だから誰でも避けられない死というものに如何に向き合うかといった人生論の類でない。
人生訓的なところは、常識の記述である。例えばなぜ死と言うものが悪いのかの章の結論は、死んだら生きていたら、味わえた楽しみが享受できなくなるからとある。当たり前、とうから知っているという感想がほとんどだろう。
本書が大学の講義とは何を意味するのか。それは若者、青年向きの書ということである。つまり死というものを身近に感じられず抽象的な理解しかできない。そういう者たちに対して哲学的な論を展開しているのである。年齢を重ね、死があまり遠くない時期になってきた者が読めば人生論の部分はもう知っているところばかりで、死の分析的議論に興味ある者が読める書である。
本書は前半が省略されている。日本人的な潔癖さからか全部ないと全く受けつけない、許せないと思っている人が多いらしい。自分にとっては前半が省略されていてありがたかったと思っている。前半では人間は身体の他、魂があるという説と身体しかないという考えの比較検討らしい。著者は後者らしく自分もそうなので、魂論など聞きたくない。魂があると思っている人は、身体の他、魂という透明の雲みたいなものがその辺にプカプカ浮かんでいると思っているのか。人間の思考、感情凡ては脳の活動に他ならない。
本書が冗長に見えるのはアメリカの本だから。アメリカの教科書が日本人の基準からすれば、全く何も知らない者も対象に含め初歩から書いているので分厚くなる(ページ数を稼いで値段を上げようとする以外に)。きちんと書かないせいで、分かりにくくなっている難解な書ほどありがたがる日本人と対照の世界だから。
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