2020年10月14日水曜日

ユン・チアン『ワイルド・スワン』 Wild Swan 1991


 中国生まれの張戎(チアン・ユン)著。著者の祖母、母、自分の生涯を描いて、19世紀末以降の中国史がそこに生きた者の眼を通して綴られる。上下全体の文庫本のうち、前の方約三分の一が祖母や母の生きた時代、残りは著者自身の自叙伝になっている。

祖母は20世紀初頭、日本式に言えば明治末期に満洲で生まれた。十代の時、当時勢力があった将軍(地方の実力者)の妾になる。父親の出世につながるための政略結婚だった。中国では(中国に限らないが)女性の権利など微塵もなかった。一緒に生活できない夫を思い、一人娘(著者の母)の誕生ほど幸せな時はなかった。将軍死亡後は実家に帰った。

その後、60歳代の医師と再婚する。これには医師の子供たちが大反対し、長男は自殺(脅すつもりが死に至ったらしい)までして抗議した。1930年頃生まれの著者の母(将軍と祖母との子)の少女時代は日本との戦争期である。国民党と共産党が協力して日本軍に対抗したと教科書に書いてある頃である。共産党に忠実な戦士が著者の父で、母とは好き合い結婚した。しかし父にとって人生の目的は、共産党に忠実であることであり、母は父の冷たい仕打ち(自分を全く大切にしてくれない)により辛い日々を過ごさなければなかった。

戦後になり共産党は中国を制圧した。著者は1950年代初めに生まれた。姉の他、弟三人のきょうだいである。毛沢東が中国の救世主で、共産党により中国は幸せな社会になると、著者は頭に叩き込まれて育った。中国は完全な階級社会で(時代を問わず)、両親とも共産党幹部というので、かなりの厚遇があった。しかし社会全体は恐ろしい蛮行の時代だった。すなわち大躍進、文化大革命、下放の時代である。大躍進時は著者は子供で、親が幹部で都会生活であったため、伝聞による記述である。しかし文化大革命と下放は著者自身の経験が書いてある。

文化大革命は、大量の左遷人事だけでなく、徹底的な伝統文化の破壊、自然破壊を極めた恐ろしいなどという形容では尽くしきれない悪行であった。下放では著者は地方に行かされ苦労をなめる。共産党の最も忠実な僕であった父親は権利を剝奪され惨めな死を迎え、やはり幹部であった母親もひどい目に会う。毛沢東への盲目的な忠誠に疑義が生じても不思議でない。毛沢東の死(1976年)は中国にとって希望になった。著者は中国の開放政策により1978年にイギリスに留学する。共産中国始まって以来、九千万の四川省で初めてという。それには著者が圧倒的に成績優秀であったのはもちろんだが、やはり恵まれた境遇の家だった点もある。以来イギリスに在住し本書を英語で出した。

まず本書を読んで最初の方から驚くのは中国社会の実態である。旧態依然では済まされない。正直19世紀以降、列強に半植民地化されたり、日本の侵攻を受けたりして惨めな国家となったのも驚かない。日本の侵攻を正当化する気は全くない。しかし中国社会はあまりにひどすぎる。共産国になってからは、人々の嫉妬心など人間の汚い心(どの社会にもある)を徹底的に利用し制度化し、相互監視、足の引っ張り合いで恐ろしい管理社会となった。

本書はあくまで著者の見た、理解した中国社会である。客観性はない。しかし歴史の客観性とは何か。多数派を指すわけでないことは確かである。自分は著者とほぼ同じ年代で、文化大革命を朝日新聞などが絶賛していたことを覚えている。また良心的(に見えた)な知識人の多くは共産化した中国を、それだけで高く評価し贔屓にしていた。欧米の若者などのマオイズムも当時の流行だった。あの頃の朝日新聞の幹部や知識人を当時の中国に送ってやりたいと思う。思えば当時でも社会主義の実態を知らせる事件があった。連合赤軍事件(1972)である。あまりに異常に見えた事件だが、共産(社会)主義国とは、あの事件を国家大にして常態化している社会なのである。

土屋京子訳、講談社+α文庫、上下、2017

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