源氏や川端の英訳で知られるサイデンステッカーの自伝である。勝手な事前の思いこみで、アメリカに居た時から日本の文学や文化に関心があったのかと思っていたが全然違う。
著者は1921年アメリカのコロラド州で生まれた。コロラド時代の記述は当時のアメリカの様子が伺える例の一つになっている。青年時代は、戦時である。著者は通訳になれば通常の軍人にならなくていいので、日本語学校に入り恐育を受け士官として対日戦争に赴く。戦後は日本に来る。これ以降が日本滞在記になる。
日本での地位を得るための米に戻っての修行があった。その後文学的業績として、川端や谷崎らと交際、翻訳した。川端のノーベル賞受賞に尽力した。ノーベル賞受賞の裏側などに関心がある向きには情報が書いてある。
日本についての評価は率直に書いてある。ある意味わかるが、日本が貧しかった時代を高評価する。その後不愉快極まる時代になる。どういう意味かというと進歩的文化人の連中がのさばり、日本の言論界を席巻するからである。当時のそれら文化人を含む左翼勢力は反米で、親ソ、親中であった。中国へ行ってきて理想の国だと絶賛する。
そういった連中や風潮を、嫌うなどという言葉では済まされない、罵倒しつくす。なぜこれまで激昂するか不明である。感情的になっている。もう米有力大学の名誉教授になっている身だから怖いものなしだろう。実名を挙げて攻撃している。(実名を挙げる点は良い)日本人、日本社会への罵倒も気兼ねすることなく、思っていることを書いている感じ。
当時の社会の言論界は(日本に限らず、欧州やAA諸国も)親左翼であったのは確かである。しかし今となって振り返えば左翼の意見が全く的外れであったことはわかっている。だから現在では左翼に対して、嘲笑するなり馬鹿さ加減を言えばいいだけのような気がするが、もうそんな生易しい話でない。何しろこのため(だけと思えないが)日本が嫌になり、運よく渡りに船で、スタンダード大学から日文学の講座の声がかかる。それで日本を離れた。後は短期間滞在で日本に来たらしい。
実をいうと自分は本書を表する資格はない。途中、三分の二くらいまで読んで我慢ができず、読むのをやめてしまった。なぜなら日本(人)への嫌悪感表明に嫌気がさしてしまったからだ。引用する気にもなれない。本の途中で吉田健一(吉田茂の息子の評論家、東大教授で吉田精一という人物も出てくるが別)から著者の人格を良く言われなかったとある。本書を読み進めていくうちに吉田の言葉の意味が分かるような気がした。日本人を悪く言う口実を必死に捜しているように見えてしまった。正直、こんな日本人侮蔑に満ちた書を読んだのは初めてである。
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