山中峯太郎がポーの『モルグ街の殺人』を基に、子供向きに再話した作品。
山中のホームズ物は有名で子供の時、親しんだ者は多い。そのホームズ物の好評を受けて、山中による「ポー推理小説文庫」がポプラ社から全5巻の予定で発売されることになった。予定と書いたのは、3巻までで第4巻以降は発売されず終いになった。
『モルグ街の怪声』はその第一回の発売である。子供向きの文庫なのに『モルグ街の怪声』だけで一巻を使っている。ポーの小説は短篇で、それを子供向きにやさしくすれば更に短くなる。だから普通ポーの作品のみで一巻を出す場合は複数の作品を入れている。
江戸川乱歩名義の『黄金虫』(世界名作全集、講談社、昭和28年)も表題作以外に『大渦巻』『死頭蛾』『モルグ街の殺人事件』『ぬすまれた手紙』『おまえが犯人だ』『月世界旅行記』が収録されている。
元の発売された本そのものは知らない。ただある程度のページ数が必要になってくるはずである。それをどう解決したか。
この『モルグ街の怪声』では、原作冒頭の分析能力それ自体は分析できない、という抽象論もデュパンが語り手と街を歩いている時、語り手の思考を言い当てるところ、共にない。
それは子供向きなら当然であるが、本書では語り手の子供時代から話を始め、なんと被害者のカミーユ・レスパネーと語り手が同級生という設定である。
またデュパンは、以前は記者で大統領の会見を引き出すという挿話を作り、それで結構ページを使っている。
またデュパンと語り手の出会いは図書館というのは原作と同様であるが、共に捜している本は「ギリシア神話」であった。教養深い知識人のデュパンがここでは文学少年みたいになっている。
登場人物に関しては、シャルというおしゃべりで勝気な婦人記者(少女記者という感じだが)を追加して、盛んにしゃべらせている。
殺人の記述そのものは大きく違わないような気がする。ただ最後に船乗りが登場してからはかなり詳しく事件に至るまでを書いている。
さてこの山中『モルグ街の怪声』の出来はどう評価すべきか。正直山中のホームズ物に比べポーの再話はあまり有名でない。自分も今回、「世界名作探偵小説選」が発売されて初めて知った。原本が発売された当時は全く知らなかった。ポーは専ら前記乱歩名義本で親しんでいた。
だから子供の時に読んでいた山中ホームズは懐かしさで今も読んでいるが、このポーは初めての体験である。子供の時読んでいたら印象はかなり異なっていただろう。
原作のホームズについて、推理作家の由良三郎は、ホームズの推理という名の独断にワトソンがいちいち感心している様をまるで漫才だと書いていた。ホームズ物にはそういう軽妙さがある。ホームズが世界的に人気作品となっている理由の一端はそこにあるだろう。
フッフフーの山中ホームズは原作のホームズの延長線上、拡大版といえるかもしれない。
それに対してポーの基調は全く異なる。むつかしい、わけではない。真面目である。ゴシック小説の系統で陰鬱な雰囲気で満たされている。だから山中ポーは原作とはかなり異なった印象を受ける。
山中の「ポー推理小説文庫」が完結しなかった理由について解説には何もないが、想像するに売れ行きがあまり良くなかったからではないか。
ともかく全くその存在すら知らなった山中によるポーの再話が読めるのは結構なことである。
平山雄一解説「世界名作探偵小説選」作品社、2019
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