2024年7月31日水曜日

ゴーチエ『クラリモンド』 La morte amoureuse 1836

語り手は僧侶で、聖職者になる儀式を教会で行なう時に、美女クラリモンドを見染める。クラリモンドの虜になるが、僧侶となった身分では一緒になるわけにいかない。赴任先で、クラリモンドが娼婦で惑わす女と知るが、恋の悩みは募るだけである。夢かうつつか、語り手はクラリモンドと相まみえ、溺れていく。師のいさめでようやく最後にクラリモンドと離れ破滅を免れる。(芥川龍之介訳)

2024年7月30日火曜日

ゴーゴリ『ヴィイ』 Vii 1835

ゴーゴリの短篇集『ミルゴロド』に収録されている怪奇小説。同集には他に『昔気質の地主たち』『タラス・ブーリバ』『イワンとイワンが喧嘩した話』が入っている。

学校の哲学級生(といってもいい歳の青年である)は、帰郷の際、美女に会う。後にそれがコサックの長の娘で、死んだのだがその際、死んだらその哲学級生に一晩お祈りをしてほしいと頼んだという。これには哲学級生は仰天するが、断り切れず、死棺の傍で過ごすことになる。すると夜、閉じられた堂で、死体が起き上がり歩いてくるという恐怖の体験をする。それを何夜か繰り返し、最後には哲学級生は死ぬ。(小平武訳)

Miss スパイ 魅影狂花 2022

ジェフリー・シュー監督、中国、82分。戦前、中国を軍閥などが割拠し、日本の侵攻もあった時代。主人公が婚約者と歩いている時、近くで姉が殺されるのを目撃する。婚約者が飛び出して防ごうとするが姉は殺される。誰が殺したか、主人公は探ろうとする。悪徳将軍の手になるらしい。秘密組織に入る。女ばかりの暗殺者の軍団である。訓練を受ける。

最初の命令で他の仲間と目的の館に向かう。するとそこに姉の殺害首謀者の将軍がいた。銃で狙うが外れる。主人公は脱出するが、当初の目的は果たせず終いである。次の使命の時、主人公は元婚約者と出くわす。驚く婚約者は説明を求めようとするが、主人公の仲間は秘密がばれるのを恐れ、婚約者を殺そうとする。その時、別の仲間が仲間二人を殺す。これで秘密がばれないと主人公に言う。婚約者を助けるため、仲間二人を殺したのである。次の使命で、主人公も入れて残った二人の暗殺者は死んだ仲間の顔を借りて変装して乗り込む。あの将軍宅である。ここで仲間は殺されるが、主人公は復讐を果たし宝物の鍵になる品物を持ってくる。暗殺軍団の上司に渡す。

実はその上司こそ、主人公の姉を殺した犯人と分かる。姉と上司は仲間同士で、姉は敵にばれたので殺したという。上司は宝物を持って日本に行くという。主人公と上司の戦いはその場だけでなく、宝物のある洞窟のような場所でも続く。上司はそこに閉じ込められ、主人公は婚約者とよりを戻す。

2024年7月28日日曜日

ブルワー=リットン『幽霊屋敷』 The haunted and the haunters or The house and brain 1859

ブルワー=リットンの『幽霊屋敷』は幽霊屋敷物の古典。幽霊が出ると評判の屋敷で、語り手は若い下男と共に一夜を過ごす。下男は怖くなって逃げ出す。原因を突き止め、いわば謎解きのような部分もある。恐怖小説としては異例であろう。

本編は岡本綺堂の訳では『貸家』(世界怪談名作集)である。本邦初訳の題は『開巻驚奇 龍動鬼談』という凄いもので明治13年に出た。筑摩書房の明治文学全集の明治翻訳文学集か、学研M文庫伝奇ノ匣7『ゴシック名訳集成西洋伝奇物語』に入っている。本編は平井呈一訳。

2024年7月25日木曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』筑摩書房 2024

著者は東大教授を勤めた政治思想史家。以下が大まかな目次である。

Iその通念に異議を唱える/II日本思想史で考える/III面白い本をお勧めする/IV思想史を楽しむ/V丸山眞男を紹介する/VI挨拶と宣伝

著者のこれまでの論文や紹介文等の集成である。中には雑文のようなものもあり、著者の専門である思想史の観点から考察した論文もある。この中で個人的に面白いと思ったのはIV「思想史を楽しむ」にある「マックス・ヴェーバーに関する三つの疑問」である。三つの疑問とはまず、ウェーバーの儒教理解である。儒教は宗教と言えるかなどウェーバーの中国理解の問題、次はジェンダーで、ウェーバーは女をまともに評価していなかった、第三は妥協とユーモアと題され、ウェーバーの融通性の無さ、ユーモアの欠如を述べている。ウェーバーと言えばわが国ではマルクスと並ぶ権威とされていると思うが、そのウェーバーを俗な言い方をするとこてんこてんにやっつけている。ウェーバー信奉者の意見を聞きたいものだ。

あとIII「面白い本をお勧めする」の最後にある「おすすめ図書五冊」で、挙げられているのは、スピノザ『神学・政治論』、荻生徂徠『政談』、オースティン『高慢と偏見』、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』、福沢諭吉『福翁自伝』である。勧める、勧めない訳書名も書いてある。このうちオースティン以外は、政治学者なら挙げておかしくない、


2024年7月24日水曜日

ジェイン・オースティン『ノーサンガー僧院』 Northanger abbey 1817

小説の完成は1803年であるが、出版は没後の1817年となった。前半のあらすじは次の様である。

主人公キャサリン・モーランドは幼い頃は可愛くなかったが、成長して美しくなった。と言ってもまだ二十歳前である。キャサリンは田舎の牧師の娘であり、近所の夫妻と温泉保養地として有名なバースに行く。ここでイザベラ・ソープと知り合い仲良くなるが、その兄ジョンにしつこく付きまとわれ閉口する。この地にやって来たヘンリー・ティルニーに憧れる。父親の将軍も知る。ティルニー家の邸に来ないかと誘われ狂喜する。

その邸が題名になっているNorthanger abbeyである。abbeyとは昔僧院などで、今は個人の邸宅等に使われている古い館を指す。例えばロンドンにあるウェストミンスター寺院の英語名はWestminster abbeyである。キャサリンが喜んだのは、ゴシック小説の愛好家で、小説で読んで憧れている古い城館に、ティルニー家の邸がそのままだと思い込んでいるからである。本作は18世紀の末から書き始められたが、当時はゴシック小説が大流行していたのである。特に1794年に出されたアン・ラドクリフの『ユドルフォ城の怪奇』は大ベストセラーで、本作にもこの小説についてキャサリンとヘンリーが語り合う場面がある。長い馬車の旅を経、ノーサンガーアビーに着くのだが。

実は本作は『ユドルフォ城の怪奇』の戯画化というかパロディと言ってよい記述が多く出てきて、『ユドルフォ城の怪奇』の既読者は笑ってしまう。出来るなら本作を読む前に『ユドルフォ城の怪奇』を読むといい。余計面白くなる。今では邦訳が出ている。もちろん主要な部分はオースティン流の恋愛小説であり、初期の作品ながらさすがオースティン作だと思わせる。(ちくま文庫、2009)

2024年7月23日火曜日

ユドルフォ城の怪奇 The mysteries of Udolpho 1794

アン・ラドクリフが1794年に公表したゴシック小説の代表作。ウォルポール『オトラント城奇譚』(1764)、ルイス『修道僧』(1796)と並び称せられる。

主人公エミリー・サントベールの苦難に満ちた遍歴、出会うmysteriesが語られる。原題にあるmysteryを今の日本では、片仮名表記して推理小説及びその類似の作品を言うようであるが、mysteryとは謎と神秘という似ているが互換的でない概念を含む。理解できない不思議な事柄といった意味か。非常に長大な小説であり、自分で鑑賞してもらいたいが、読む気はないがどんな内容か知りたい人もいるだろう。以下、自分なりの要約を書く。小説についての自分の理解は下の評に書きたいと思っている。

16世紀、南仏ガスコーニュの館に住むサントベールには妻と娘がいた。娘エミリーは両親に愛情深く育てられ、清純な乙女に育った。まず母が死に、父親のサントベールも旅の途中で死ぬ。エミリーは深い悲しみにくれるが、旅で出会った青年ヴァランクールに惹かれ、相思の間柄となる。サントベールが死んだのでエミリーの養育権は父の妹マダム・シェロンに託される。この叔母は自分勝手で欲の権化だった。エミリーとヴァランクールの付き合いを快く思っていなかったが、後にヴァランクールが良い家柄と知ると、二人の結婚を勧めるようになる。

モントーニというイタリア人が来て、叔母に求婚する。叔母は承諾し、結婚してマダム・モントーニとなる。姪にもより良い縁組を希むようになり、ヴァランクールとの婚約を後悔する。相手方もエミリーのものとなる財産がマダム・モントーニに属するのでエミリーとの結婚を望まないようになる。エミリーとヴァランクールの婚約は破棄される。モントーニがイタリアに帰るので、妻となった叔母はエミリーを連れていく。ヴァランクールとエミリーは悲しむが、エミリーは駆け落ちなどはせず、叔母についていく。ヴェネツィアのモントーニの館に落ち着くが、モントーニは後ろ暗いところがあるらしい。ここでエミリーはそこの伯爵に惚れられ、求婚される。ヴァランクールしか心にないエミリーは断るが相手は全く諦めない。モントーニは悪事に加え、懐具合が悪いようである。ヴェネツィアから逃げ出し、アペンニーノ山脈にある自分の城、ユドルフォ城に向かう。侍女アネットに言わせると巨大な牢獄といった感じの城である。モントーニは自分の妻となった叔母に、フランスの屋敷の権利を自分に寄こせと脅迫する。叔母は拒絶しモントーニと喧嘩し迫害され、最後には死ぬ。エミリーは城で様々な恐怖、不思議な体験をする。ユドルフォ城にフランスの兵士が囚われていて、その中にヴァランクールがいるのではないかと思うようになる。侍女などに誰が囚われているか探るよう命じる。モントーニには敵との戦いがあってエミリーは一時、他の場所に連れていかれる。最終的にヴァランクールはいないと知る。この城から仲間と抜け出す。船でフランスに向かう。

地中海に面したルブラン城にはヴィルフォール伯爵とその娘ブランシュ他が住んでいた。エミリーらの乗った船はこの沖で難破し、伯爵家に救助される。ブランシュはエミリーと仲良くなる。これ以降、ルブラン城の怪奇といった話になる。この城はエミリーにとって初めての城でない。父サントベールが客死する前にこの城の前に来て、当時は主はおらず、ただ父の神経は異様に高ぶった。その後近くの修道院で父は死ぬ。エミリーは当時そこにいたので、修道院を再訪し、かつての知り合いである修道女らに再会する。そのうち一人の修道女からエミリーは自分の出生に関係している可能性のある話を聞く。ルブラン城には昔の城主の妻の肖像画があるのだが、エミリーにそっくりなのである。その妻は城主を愛しておらず、他の男を愛していたという。まるでエミリーの父親とその城主の妻との間に、エミリーが生まれたのではないかと疑わせるような話である。今の城主ヴィルフォール伯爵はヴァランクールを知っていた。しかし全く評価せず、唾棄すべき男であるというのである。ヴァランクールはパリで賭博に溺れ、更に悪事を働き牢獄にも入っていたという。エミリーは驚愕する。ヴィルフォール伯爵の息子はヴァランクールと旧友で、息子まで悪事に引き込まれそうになったと言い、ヴァランクールを憎悪しているのである。ルブラン城でエミリーはいきなりヴァランクールに再会する。息子の知り合いなので。この際、エミリーは伯爵から聞いた話でヴァランクールが信じられなくなり、ヴァランクールも自分の罪を認めるのである。これではもうヴァランクールと別れるしかない。悲痛な思いでエミリーはヴァランクールと離れざるを得なくなる。モントーニが死んだという便りが来る。

これ以降は小説は最終段階になり、まだ解き明かされていなかった謎、事情が分かるようになる。例えばユドルフォ城でエミリーが黒いベールを取って恐怖のあまり気絶したという、ジェイン・オースティンの『ノーサンガー僧院』にも引用されているまだ解明されていなかった謎、エミリーの出生すなわち前の城主夫人との関係、不思議な音楽の謎、ヴァランクールとはどうなるのか、といった点などが明らかになっていく。ネタバレだから書かないというより長く書いたし、くたびれたから要約はこの辺で止める。


ホット・スポット The hot spot 1991

デニス・ホッパー監督、米、130分。田舎町にやって来た男は中古車の販売店に雇われる。そこの事務員をジェニファー・コネリーが演じていて、惹かれる。支払いが滞っている男へ催促に行く。コネリーが行くのでついて行くのである。その品のない男とコネリーは何か関係があるようである。販売店の社長の夫人が主人公に目をつけ、気を引こうとする。主人公はコネリーと仲良くなり一緒に水浴びなどに行く。

町にある銀行に主人公は口座を開きに行く。後に近所で火事が起きる。その隙に主人公は銀行員を縛り金を強奪する。外に出るとまだ火事が続いているので、逃げ遅れた者の救助に向かう。後に警察が銀行強盗の容疑者として主人公を調べに来る。警察は疑っていたが、社長夫人から電話があり、主人公はずっと火事場にいたと証言するので、主人公は釈放される。弱みを握った社長夫人と主人公は関係を持つようになる。コネリーから過去のいきさつで、支払いが滞っている男に弱味を握られ、販売店の金を盗んで渡していると分かる。主人公はその男がある女と寝ているところを襲い、殺して銀行強盗はその男だったと見せかける。寝ていた女がコネリーだったと思い、証拠の靴を処分する。

主人公はコネリーと一緒になるつもりだった。その計画を打ち明け、社長夫人から連絡があるので行く。実は男と寝ていたのは夫人であって、コネリーの前で主人公と一緒になれない事を明らかにする。社長は病気だったので、夫人に殺されており、悪事の秘密を凡て握っている夫人は主人公を自由にするつもりである。主人公はいったん社長夫人の首を絞めるが殺さず、くされ縁の夫人と車で去っていく。

2024年7月22日月曜日

ウィルキー・コリンズ短編選集 2016

以下の5編を含む。

アン・ロッドウェイの日記/運命の揺りかご/巡査と料理番/ミス・モリスと旅の人/ミスター・レペルと家政婦長

夫々の作品の概要は次の通り。『アン・ロッドウェイの日記』では針仕事をしている語り手は、年少の針子が死体となって見つかり、その原因を探る。女探偵物と言えるかもしれない。『運命の揺りかご』ではイギリスから豪州に向かう船の中で、ほぼ同時に出産があった。その新生児二人がどちらの親の子か、分からなくなった。どうやって判別するのか。船長の采配によったが、成人した一人の回想の形の話。『巡査と料理版』は語り手の若い警官が、料理番の通報によって殺人現場に駆け付けるところから始まる。犯人は誰か。これは『英国古典推理小説集』(岩波文庫、2023)所収の『誰がゼビディーを殺したか』と同一の作品。初め誰が・・・の題名で発表され、後に本書の名に変更したという。『ミス・モリスと旅の人』は語り手が、町に来て道に迷った男に会う。その後、かなり経ってから再会する。『ミスター・レペルと家政婦長』は親友二人の男がイタリアで観劇し、その劇のような運命に後年見舞われる。同じ異性への恋情をどう解決するのか、また自分の思い込みと実際の違いなど工夫をこらした作品。(北村みちよ訳、彩流社)


2024年7月19日金曜日

波止場の鷹 昭和42年

西村昭五郎監督、日活、82分、石原裕次郎主演。裕次郎は横浜で海運関係の会社を経営している。その片棒がやくざ映画でお馴染みの安部徹で善人役だから驚く。

麻薬を取り扱う組は警察の目を逃れるため裕次郎の会社を利用しようと提携を持ちかけるが、にべもなく断られる。その復讐として裕次郎の妹が同乗する車に仕掛けをし、事故で裕次郎は怪我、妹は死ぬ。更に金銭的にも裕次郎の会社を追い詰めていく。金策のため、知り合いのバーのマダム浅丘ルリ子の口利きで、浅丘の父、小沢栄太郎の所に借りに行く。無理して借りた金も奪われ、再度借りに行くが、すべて小沢の企んだ罠だった。裕次郎に麻薬取引の手伝いを申し込んだ組も小沢の配下だったのである。片棒の安部も殺される。裕次郎は麻薬を警察に投げ込み、小沢らのいる船に乗り込む。裕次郎は殺されかけるが、その時浅丘が現れ小沢を銃で撃つ。麻薬係の警察役で丹波哲郎が主演している。

2024年7月18日木曜日

第七の封印 Det sjunde onseglet 1957

ベルイマン監督、瑞、97分、白黒映画。主人公の騎士は十字軍から帰ってきた。疫病(ベスト)が流行り、死の恐怖が社会を覆っている。死神が騎士のところにやって来る。チェスをして勝てば死は繰り延べになるという。何度か騎士と死神の場面が出てくる。

その間、騎士は役者夫婦、妻に逃げられ取り返した男、その他に会う。魔女裁判で焼かれる若い女に会う。自分の家(館)に他の者たちと帰る。妻は待っていた。そこにも後から死神が訪ねてくる。死神を恐れ、早く分かれた役者夫婦は、騎士らが死神に引かれ、手をつなぎ歩いているのを遠景に見る。

2024年7月17日水曜日

セデック・バレ 2011

ウェイ・ダーション監督、台、第一部「セディック・バレ 太陽族」144分、第二部「セディック・バレ 虹の橋」133分。昭和5年に台湾の霧社で起きた殺戮事件とその後の討伐という歴史を元に制作された映画。

霧社は台湾山中の地域(部落)で、ここに日本人が住み、その日本人等が通う小学校が襲撃され130人以上の死者を出した事件。日本の植民地となってから日本人が住むようになり、学校や駐在所などがあった。元々の住民である山岳人のうちセディック族が住んでいた。日本の支配により仕事等が命じられていた。きっかけは駐在の日本人警官がセディック族に暴言を吐いたためという。以前より日本人への反感があった族はこれを契機として日本人の小学校で開催される運動会の日を選んで襲撃した。130人以上の児童や保護者などが殺された。日本軍は討伐を組織し、日本の軍隊だけでなくセディック族と抗争中の他の山岳族も協力した。台湾の山岳民族は元から互いに抗争していたのである。これでまず討伐は終わったが、その後、降等したセディック族を敵方の族が多数殺害した第二霧社事件という惨事も起きた。

映画は事件に至るまでの日本人に支配されているセディック族の様がまずあり、小学校襲撃では女子供が多数殺されたはずであるが、男を殺す場面がほとんどである。事件が起きて後、日本軍は討伐に出るが、セディック族に散々やられる。この映画を見ている限り、日本の軍人が殺される場面がほとんどで、セディック族がやられる場面はあまりなく壮烈に描かれる。セディック族は銃の名手揃いで百発百中である。日本軍はバタバタと倒される。この調子で進むと台湾全土の日本軍がやられてもおかしくないように見える。もっとも最後に頭目が、日本軍に降伏するか自殺せよと命じる。最後の経過は説明的に描かれる。頭目は行方不明になり、その遺体が後に発見される場面がある。映画では第二霧社事件は全く扱っておらず、専ら見ている限り、いかに日本軍が無能、役立たずであったかを描き、これでは後の第二次世界大戦に勝てる筈もない。

霧社事件は戦後、日本が負けてから抗日英雄的事件とされたが、伊藤博文を暗殺した安重根のような反日反植民地を主目的とする事件とは違うではないか。もちろん植民地化は良くない。結果的に見れば反日事件だが、セディック族はそこまで社会思想的な意図をもって行なった事件には思えない。

2024年7月16日火曜日

三島由紀夫『幸福号出帆』 昭和30年

主人公の三津子は銀座の百貨店に勤めている。家は月島にある。兄敏夫は種違いで、イタリア人の父を持つ、合いの子である。母はかつてオペラ歌手であった。イタリア人の父親というのがオペラ歌手なのである。

このイタリア人はもう一人のオペラ歌手、歌子の夫でもあった。そのイタリア人が亡くなり、歌子に3千万円の遺産が入った。歌子は渋谷の邸宅街の夫の残した大きな家に、かつてのオペラ仲間の家族と共に住んでいた。財産が転がり込んだと知った後、三津子の母は歌子に会いに行く。歌子は歓喜で迎え入れ、一緒に住めと言う。三津子一家は歌子の邸宅に移り住んだ。三津子はオペラ歌手を夢見ていた。歌子はお金が入ったのでオペラの上演を企画する。椿姫で最初は自分がやるつもりだったが、企みがあって三津子に主役が回った。直前になって歌子がやはりやるとなった。この上演は失敗に終わった。三津子の兄、敏夫は合いの子で見栄えは良いが、怠け者で自分に惚れている経営者の房子に養われている。敏夫は密輸に手を貸していたが、実はその元締めが情人の房子だった。

敏夫は歌子に入った遺産には自分も権利があると言い出し、妹三津子と組んで5百万円持ち出し歌子の家から去る。敏夫と三津子は兄妹と言いながら、まるで恋人同士のように仲が良い。敏夫は夢だった船を買う。それを幸福号と名づける。敏夫と房子は博打で1千万円以上すってしまう。その穴を埋めるため巨額の金が入る密輸を計画する。三津子も巻き込まれ、三津子に恋情を抱いている実直な税関職員の男がいるので、三津子は罪悪感を抱きながらその男を使ってトラック等手配する。幸福号もその密輸に使う。直前になって計画が税関にばれ、敏夫、三津子の乗る幸福号以外の密輸船は捕まる。二人も危ない。三津子に惚れている税関職員の男の知らせで免れた。二人は幸福号に乗って日本国外に去る。実は歌子は敏夫の母で、オペラに専念するため、三津子の母に子供を任せていたのである。敏夫と三津子はそれを知らずに育ってきたのである。(角川文庫、平成22年)

Lamb/ラム Lamb 2021

バルディミール監督、アイスランド、瑞典、波蘭、106分。寂しい土地に住む夫婦、羊飼いである。

羊の子が生まれる。ある日、生まれた羊は奇妙極まるものだった。映像では映さない。夫婦が顔を見合わせ、無言で見つめるだけである。後にこの子羊の正体が分かる。名はアダというこの子羊は調子が悪いらしく、寝台の傍の籠に入れて世話をしている。ある日、アダが行方不明になる。夫婦は捜し回る。見つける。その後、妻はアダの母羊を銃で撃ち殺し埋める。

夫の弟がやって来る。アダを見て驚く。頭は羊で服を着ている子供なのである。弟は妻を求めようとする。妻は弟を帰す。その間、夫はアダを連れて車の修理をしていた。夫は後ろから銃で撃たれ倒れる。羊人間が銃を構えていた。羊人間はアダを連れて去る。捜していた妻が夫が倒れているのを見つけ驚く。

2024年7月15日月曜日

茂木誠『日本思想史マトリックス』PHP 2023

思想史と書名にあるが、通常の日本思想史の本とは書き方が異なっている。特に最初の方は日本史の理解の仕方、といった方が内容に合っている。

題にあるマトリックスとは十字の線引きによる四次元の図で、横軸は個人主義(自由主義)と国家統制、縦軸は国際派と国内派の対立を表し、どの次元寄りかで図示しようとしている。歴史好きが多いためか歴史の本は多く出ているが、中には中立的な立場と思っているのか、事実上の出来事が書いてあるだけといった本がある。しかし歴史を学ぶとは、なぜその出来事が起こったのか、後の時代にどう影響したか、を理解しなくてはただの雑学である。この本には著者の歴史理解が書いてあり、それがどの程度、普遍的標準的なのか、著者独自の見解なのか分からない。歴史の理解とは事実を踏まえた上での個々人の解釈になる。

江戸時代の思想家など分かりやすく書いてあるが、現代に近づくほど著者の政治評論を読んでいるような感じになる。著者はあまり経済は専門でないらしく、近現代の経済を論じる際、専ら政治要因で説明している。著者は保守的というか右寄りの立場なので、思想を異にする人が読むと楽しくないかもしれない。

2024年7月8日月曜日

バンド・ワゴン The band wagon 1953

ヴィンセント・ミネリ監督、米、112分、フレッド・アステア主演。アステアはやや過去の人となりつつあるダンサーで、友人夫婦の招きで新作に出ようとする。演出家はファウストを元にしたミュージカルを作ろうとしてアステアらを困らせる。一緒に出る予定がバレリーナで、これとの共演にも難色を示す。しかし何とか練習をしていくうちに仲間意識が芽生える。初演は散々な出来だった。しかしめげずに若い仲間たちと新しいミュージカルをやることとし、各地を回る。ニューヨークでの公演は成功の裡に終わらせる。

2024年7月7日日曜日

牧逸馬の世界怪奇実話 島田荘司・編     光文社文庫 2003

牧逸馬が『世界怪奇実話』を中央公論に連載したのは昭和4年10月号から昭和8年3月号までである。

いわゆる実録物で、犯罪から著名または不思議な事件、事故を対象としている。光文社文庫に収録されている話は以下の通り。「女体を料理する男」「肉屋に化けた人鬼」「海妖」「運命のSOS」「ウンベルト夫人の財産」「女郎蜘蛛」「土から手が」「生きている戦死者」「浴槽の花嫁」が入っている。

この光文社文庫版では元の題名が分かりにくいので、編者が中身が分かる題名にし直し、元の題は副題としている。『世界怪奇実話』は他に河出文庫で『世界怪奇残酷実話』として選集が出ている。河出版では光文社文庫に入っていない話として「チャアリイは何処にいる」「都会の類人猿」がある。逆に河出版に入っていないが、光文社文庫に入っている作品が「女郎蜘蛛」「土から手が」「生きている戦死者」である。河出版では松本清張が解説を書いている。牧逸馬に触発されて犯罪実録ものを書いたとある。

千葉聡『進化のからくり』ブルーバックス 2020

書名を見ると進化一般を述べているかと思うが、中身は巻貝、陸の貝であるかたつむりの進化の著者らの研究史である。

自分だけでなく、多くの研究者を取り上げている。他人の話にこんなにページを割いてよいのかと思うほどである。研究者が実際にどう研究しているかの例が分かるところは良い。ただ今の日本の科学はかつてに比べて、低調な状態らしい。「日本の科学が自由で、豊かで、誠実で、活力に満ち、世界に対して存在感を発揮していた最後の時代のことである。」(p.217)また次の様にもある。「1990年代半ばから2000年代半ばにかけてのおよそ十年間は、日本の科学の黄金時代であった。」(p.38)

2024年7月5日金曜日

夜の来訪者 An inspector calls 1954

ガイ・ハミルトン監督、英、80分、白黒映画。

経営者の家庭で娘の婚約祝いをしている。警部が訪れた。若い女が自殺して死亡したと告げる。経営者は2年前にストライキで馘にしたのが、その女だと知る。更に娘は昨年に衣料店で帽子を買って、それを被った時、女店員が笑った。それに怒って店長に言い、馘にさせた。やはり同じ女だった。婚約者の男は、昨年娘とやや疎遠だった時に、その女に会い情を結んだ。後に別れた。経営者の妻は慈善事業をしているが、その女が妊娠して請いに来た時、相手の男のせいだろうと突き放した。しかも、この場で女の相手が自分の息子と知らされる。

家族と婚約者が全員、女に冷たくしていたのである。ところが婚約者が外に出て知り合いの警官に会った際、その警部のことを聞くとそんな警部はいないと返事される。家に戻り、病院に電話すると自殺した女なといないと返事。つまり騙されてたのだとなる。別室に待たせてある警部をどう懲らしめようかと考えていると、電話があり娘が死んだと知らされ、警察が向かってきていると知る。別室を開けてみると、警部は消えていた。

2024年7月4日木曜日

渋沢栄一『論語と算盤』(現代語訳、守屋淳訳)ちくま新書 2010

本書は実業家、渋沢栄一(天保11年(1840)生まれ、昭和6年死去、92歳)の講演を筆記したものである。仕事と生き方についての講演記録で、大正5年に出版された。

道徳経済合一説という渋沢の哲学を述べたものである。必要に応じて論語を引っ張って来て、渋沢流の解釈をする。何しろ渋沢は天保の老人であり、当時の教養書と言ったら中国の古典である。だから論語を持ってくるのは何ら不思議でない。平生の心がけを説いており、功成り名遂げた人なら大抵の人が大同小異の説教ができるだろう。しかしながら意見というのものは内容だけが重要でない。どういう言い方をしたか、誰が言ったか、が内容と同程度、あるいはそれ以上に大切になる。批判するにしても相手を怒らせて終わる言い方もあれば、深く反省させる言い方もある。20代の若者が言っても誰も耳を貸さないが、中高年の重役が同じ事を言えば謹聴して聞く。本書は渋沢栄一の著であるから読む価値がある。

目新しい事は言っていないが、渋沢がどういう人間だったかが分かる。例えば上司は優しいばかりの者が良いか、意地悪ばかりの者が良いか、の選択で後者を取る。まるで今の言葉で言えばパワハラの勧めのようだ。なぜなら意地悪な上司の方がそれに対してなにくそと思って頑張るからだという。これは渋沢が他からの圧力に負けない人間だったからだろう。

2024年7月2日火曜日

石原慎太郎『太陽の季節』 昭和30年

石原慎太郎のデビュー作で芥川賞受賞作、また著者の一番有名な作品だろう。

主人公の竜哉はバスケットボールを最初やったが、今では拳闘部員である。友人らと銀座を歩いている際、女連れを見つけ声をかけて遊んだ。その中の英子という女と竜哉は付き合うようになった。英子は顔の広い女だった。竜哉は英子と関係を持つ。女は妊娠した。子供を産みたいと言う。竜哉はお前の責任だぞとまず言ったが、後に始末しろと命令する。女は入院する。手術後、病気を併発して英子は死ぬ。

デュモーリア『青春は再び来らず』 I’ll be never young again 1941

主人公で語り手のディックは青年である。父親は高名な詩人で、家庭内では家父長的というか高圧的というか主人公など全く眼中にない、といった態度である。母親もただ父親に従っているだけ。こういった家庭に耐えられず、家を出る。

行く当てもする当てもない。橋から飛び込もうとしていた時、止めたのはジェイクという年長の男。以後、ジェイクと主人公は行動を共にする。船員として船に乗り込み、デンマーク、スカンジナビアなどに行く。フィヨルドで若い男女の群れと知り合う。そのうち一人の女に惹かれる。後にそれらとも別れる。ストックホルムではジェイクと主人公は酒場の喧嘩沙汰に巻き込まれる。逃げてまた船に乗る。随分いい加減な船で、嵐に会い沈没する。主人公のディックだけ助かった。

パリに行く。そこでへスタという若い女と知り合う。へスタは音楽の勉強をしている。へスタに惹かれた主人公は彼女と付き合うようになり、男女の関係になり、同棲する。へスタに結婚など馬鹿馬鹿しいといい、そんなつもりはないと告げる。主人公は劇や小説を書き、へスタは音楽の勉強などお互いの関心事に、同棲は支障が出てくる。へスタが自分以外の男女と付き合うのを主人公は嫌がる。主人公は執筆に没頭し、完成するとロンドンの出版社に売り込みに行く。へスタは待っている。ロンドンでは父親の作品を出していて、顔見知りの編集者のいる出版社に原稿を持ち込む。折しも父親の新作が評判になっていた。主人公は編集者からの連絡を待つ。ようやく来て会ってみると、断られた。傷心してパリに戻る。するとへスタがいない。服などもない。へスタは帰ってくる。もう主人公と別れると言う。別の男と一緒になる、主人公が相手にしてくれなかったからだ。主人公は止めるが手遅れである。一人残された後、イギリスから電報が来た。父親が死んだのである。イギリスに戻る。葬式後、出版社の編集者から銀行の勤め口を紹介される。そこに勤め、毎日規則正しい生活を送り、充実した人生と思えるようになる。

デュモーリアの長編第2作に当たる本小説は、正直なところ、読んでいる最中はどうも関心が低い。語り手の青年が自己中でガキっぽく面白くないと感じられる。へスタの相手となってからは、女から見ると若い男はこれほど鈍感で勝手な存在として映るのか、と思わせるのである。それでも全体を読み終えると一人の青年の成長小説、教養小説であり、読んで損したとは思わない。(大久保康雄訳、三笠書房、1972)

2024年7月1日月曜日

タイムアフタータイム Time after time 1979

ニコラス・メイヤー監督、米、112分。H・G・ウェルズが主人公。友人らを招いて自分が作ったタイムマシンを披露する。警官らがやってくる。連続殺人鬼を捜していると。知らないうちに友人の一人がいなくなっていた。あのタイムマシンもない。別の時代に逃げたようだ。まもなくタイムマシンは戻ってくる。設定時代を見ると1979年となっている。ウェルズはその時代に犯人が逃げたと知り、自分もその時代にやってくる。

着いたのはサンフランシスコである。銀行に行って自分と同じようなイギリス人が両替に来なかったかと聞く。来たとの答え、滞在ホテルも分かる。そのホテルに行く。犯人と出くわす。犯人は逃げ、ウェルズは追う。犯人は交通事故に会う。後でウェルズが病院に行くと死んだらしい。ウェルズは銀行に戻り、自分を担当した女子行員と話す。相手はウェルズに興味を持ち、ウェルズをサンフランシスコのあちこちに連れていく。更に泊まっているホテルもないと分かると自分の家に来させる。二人は愛情関係を持った。明くる日ウェルズが新聞を見ると殺人事件が載っている。犯人は死んでいないようだ。犯人はウェルズと対決するために女子行員をさらう。ウェルズと犯人の戦いとなり、最後はウェルズが勝つ。

石原慎太郎『行為と死』 昭和39年

商社員の皆川という主人公が過去のエジプトと現代の東京で情人を持つ。東京では二人、東京から過去のエジプト駐在時を回想する。時間が前後し、東京とエジプトの場面が輻輳する。エジプトは昭和31年、ナセル大統領がスエズ運河を国有化し、イスラエル、英仏との戦争となった当時、皆川はそこにいた。エジプト人のファリダと情人関係だった。戦争が起きたので逃げろというのにファリダは家族共々、戦争に参加する気でいる。皆川は敵を阻止するための作戦に志願した。

東京では服飾デザイナーの美奈子と関係を持ち、更に店員の偲という女とも情を通じる。後に偲が妊娠する。美奈子は偲を田舎に帰すという。思い出の中のファリダは戦争で死んだはずである。