女優高峰秀子が行なった全45組、総勢延べ74名との対談(鼎談、あるいはそれ以上の人々との話を含む)集である。最も古い対談は昭和23年の長谷川一夫、新しいのは平成14年の沢木耕太郎と半世紀以上に及ぶ。対談者は次の通り。
長谷川一夫/灰田勝彦、旗一兵/志賀直哉/谷崎潤一郎/中原淳一/宇野重吉/徳川夢声/谷崎潤一郎、谷口千吉/ファン一同/猪熊弦一郎夫妻、木下恵介/鶴田浩二/亀井勝一郎/越路吹雪/田中絹代/池島信平、扇谷正造/木下恵介、笹本駿二/津村秀夫/谷崎潤一郎/田中絹代、山田五十鈴/茅誠司/猪谷千春/永井道雄/ドナルド・キーン/深沢七郎/谷崎潤一郎、松山善三/獅子文六/菊田一夫、森光子/河野一郎、細川隆元/若尾文子/市川崑/梅原龍三郎/杉村春子、陳舜臣/木下恵介/井上靖、松山善三/森繫久彌、松山善三/円地文子、小田島雄志、吉行淳之介/沢村貞子/石井好子、外山滋比古/加藤唐九郎/色川大吉/田中一光、村田吉弘/池部良/川本三郎、出久根達郎/井上ひさし/沢木耕太郎
高峰秀子と言えば女優であるが、何十年も前、まだ俳優等の名前をよく知らなかった時分、『わたしの渡世日記』を読んで無暗に感心してしまった記憶がある。この対談で初めて知ったのは、高峰と同い年の女優らの名前である。京マチ子、淡島千景、乙羽信子、越路吹雪、津島恵子(p.217にある)と昔の日本映画をみている人なら知っている女優ばかりである。このうち越路吹雪とは親友で、この本に対談がある。嫌っている女優もいるようだが(p.465、編者斎藤明美(高峰夫妻の養女)の解説にある)それは分からない。またこれも初めて知ったのは、市川崑監督の東京オリンピックの記録映画の件で高峰が援護したという事実。同映画は当時、批判にさらされた。批判の先鋒は当時オリンピック担当大臣だった河野一郎である。その河野との対談が入っている。このオリンピック映画への批判は子供ながらよく覚えている。小学校の担任の先生が児童に向かって、監督を指名して作らせたのだから後からとやかく言うのはおかしい、と怒っていた。市川との対談もあるし、旧知の間柄だったのであるが、高峰以外の映画人が市川を擁護しなかったとも知った。ともかく本書は昔の日本映画に関心があれば一読の価値がある。
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