2026年8月31日月曜日

機動捜査班 警視13号応答なし 昭和38年

小杉勇監督、日活、76分、白黒映画、「機動捜査班」シリーズの最終作。羽田空港近くで内田良平は悪人が集金してきた金の入った鞄を奪い、悪人を殺す。後、羽田空港では米に研修に行く刑事の見送りがあった。連絡が来て死体が空港近くの水路で発見されたというので、そこに行く。

金を奪われたボスは大ボスからどやされる。ボスには張り合うやくざがあった。内田はそこの子分で、自分の親分と相手のボスを戦わせ、漁夫の利を狙っていた。内田の親分は相手のボスに殺される。親分が仕切っていたクラブのマダムと組んで、自分のものにすべく画策する。大ボスの配下の他の者も、自殺に見せかけ殺す。その妹役が松尾嘉代で、内田は松尾に近づき交際する。これを知ったクラブのマダムは内田が自分の物だと思っていたので、怒り、松尾にお前の兄を殺したのは内田だと告げ、内田の敵に回る。

大ボスや相手のボスがマダムと共に内田に迫るが、内田はそれらを倒し逃げる。丁度、警視庁の車が内田を捕まえに来たので、内田は刑事らが降りた隙に、パトカーを乗っ取り逃走する。警視13号(パトカー)応答せよと警視庁が呼んでも無視して逃げる。警察が追う。多摩川河川敷で、内田と刑事らによる銃撃戦がある。最後は泥だらけになった内田を逮捕する。上の鉄橋をこだま(東京大坂間を6時間で結んだ当時の最速列車、この映画の翌年に新幹線が開通)が通り過ぎる。

2026年8月30日日曜日

黒い画集 あるサラリーマンの証言 昭和35年

堀川弘通監督、東宝、95分、白黒映画。松本清張の短編集『黒い画集』の中の『証言』を元にした映画である。小林桂樹は、丸ビルにある繊維関係の会社の課長を演じる。部下の原佐知子を2号として囲っている。ある夜、2号の家から出てきたところ、路地で自宅の近所に住む中年男に出会って、挨拶されこちらも返した。自宅と遠く離れたこんなところでなぜ会ったのか。

後日、この男が殺人の容疑者とされていると分かる。小林が会った時間に離れた場所で殺人事件が起こり、その容疑者となっているのである。男は小林と会ったと言い、それがアリバイとなる筈だが、小林は警察に会っていないと言い張る。なぜそんなところにいたのか聞かれれば、2号について話さなければならなくなる。裁判の証人として出ても知らぬ存ぜぬである。男は殺人容疑で死刑を求刑される。

2号宅を引越しさせる。2号は新しいアパートに住む大学生と仲良くなる。大学生は2号の身体を求める。その際、小林が入ってきて、逃げ去る。大学生は金が必要だと言い、2号を通じて小林に要求する。小林の名、会社名まで知っており、恐喝である。しょうがなく金を工面し、払う約束をする。映画を見ていて時間に遅れた。部屋に行って見ると、大学生は殺されていた。小林は殺人の容疑者となる。最後は真の犯人が捕まり、小林も、あの中年男も釈放される。警視庁から出た小林は、家も滅茶苦茶だしと言い、人生が壊れてしまった身を嘆いて映画は終わる。

この神聖なお転婆娘 Cette sacree gamine 1956

ミシェル・ボワロン監督、仏、83分、総天然色。バルドーの父親はクラブを経営しているのだが、娘には内緒にしている。その父親が偽札事件に巻き込まれそうになる。父親はクラブで歌っている男性歌手にバルドーを連れて外国に行ってくれと頼む。その歌手には学者の婚約者がいる。

歌手はバルドーが今いる学校に行く。ダンスの練習中である。教師にバルドーの身内だと言って引き取りたいと申し出る。警官がやってきて来ているのは悪人だと教師に告げるので、仰天する。歌手はバルドーを連れて逃げ出す。警官や教師などが追いかける。歌手は車に乗せて自分の家に連れてくる。召使がいて外国の偉い人に仕えたというが嘘である。この召使にバルドーの世話を頼む。

バルドーは歌手のいない間にドジをやらかし尽くし、最後は火事を起こして家のかなりの部分を焼いてしまう。歌手の許嫁である女教師が来る。バルドーを隠そうとするが、ばれ自分の妹とか言って嘘をつく。この時、歌手がバルドーを大きな赤ん坊と言って寝台に連れて行くのだが、赤ん坊を仏語ではbebeといい、バルドーの頭文字と同じなのが笑える。この他、婚約者の授業に出ている歌手は眠って夢を見、そこでバルドーほかのミュージカル的な場面が続く。最後はクラブでハチャメチャのどたばたがあってバルドーも父親に再会し、歌手も婚約者と結ばれ幸福結末で終わる。

2026年8月29日土曜日

顔のない眼 Les Yeux sans visage 1959

ジョルジュ・フランジュ監督、仏伊、88分、白黒映画。夜間、車を駆けるのはアリダ・ヴァリ演じる中年の女。川辺に車を止め、後部座席から外套を着せた女(脚で分かる)を引きずり出し、川に投げ入れる。女の死体が見つかったので、心当たりのある者は警察に来る。高名な医師は死体を見て自分の娘だと言う。後から来た老人には警察はもう身元が分かったと言って帰らせる。この医師は再生治療で有名だった。

実は医師の娘は死んではおらず、郊外の広壮な屋敷の奥深くに伏せている。ひどい怪我で顔面が失われ、目だけ残っている。仮面をつけている。父親の医師は犬の実験で、何度も皮膚移植を行なってきた。それが成功しているので、娘の顔面を他の女から移していた。しかしこれまで失敗ばかりだった。顔面を取られた女は死に、それを冒頭の場面で、医師の助手をしているヴァリが処分してきたのだった。ヴァリは新しい若い女を物色する。連れてきて顔の皮を剝ぐ場面がある。剥がれた女はヴァリの隙を見て逃亡を図るが、塔の上から落ちて死ぬ(自殺か)。今回の皮膚移植も初めはまともだったが、段々崩れていく様子が映し出される。

ヴァリはまた女を捜してくる。実は警察もこの医師を怪しみ、囮として使った女だったのだが、医師に言いくるめられて帰る。その頃、寝台に寝かされていた女の所に医師の娘がやってきて逃がす。ヴァリが来ると娘はナイフで刺す。更に実験用に飼っていた多くの犬を逃がす。犬の群れは孵ってきた医師に襲い掛かり食い殺す。仮面をつけた娘は夜の闇の中へ歩き去る。

2026年8月28日金曜日

機動捜査班 裸の眼 昭和38年

小杉勇監督、日活、75分、白黒映画。交通事故を起こした当事者間に立ち、法外な金を巻き上げる示談屋の手入れが警視庁によってなされた。内田良平が仕切る示談屋はなかなか捕まらない。悪徳示談屋の事務所に泥棒が入り、金と手帳を奪われた。これは社長の秘書、香月美奈子が企み、男にやらせたものだった。実行した男は、社長が使っている集金屋の弟分だった。社長はその集金屋を怒鳴りつける。

奪った男は車にはねられる。その時、内田良平が居合わせ、運転していた女の代わりに自分がはねたと言ってやり、男を病院に運ぶ。奪った男は意識が回復してから病院を逃げ出す。しかし金を入れたロッカーの鍵が見つからない。この鍵は病院に運ばれる途中、車の中で落としたのだった。後に内田良平はそれに気づき、鍵を渡す代わりにその場所を教えろと男と交渉する。駅の操車場で、内田と男は撃ち合いになり、男とその兄貴分を殺す。

内田は香月と手を組んで、金を入れた東京駅のロッカーに向かう。それを警視庁の車が追跡していた。東京駅の構内で、内田と警察の追っかけがある。さすがに駅での撮影なので、他の映画のように銃の撃ち合いはない。内田を逮捕し、桜田門に向かう警視庁の車を空中から撮影する場面で終わり。

2026年8月26日水曜日

花嫁はあまりにも美しい La mariee est trop belle 1956

ピエール・ガスパール=ユイ監督、仏、94分、白黒映画。田舎に住むブリジット・バルドーは親がいなく二人の伯母と住んでいる。ここに婦人雑誌が撮影に来る。モデルがいなくなり、急遽、バルドーは代わりのモデルになる。雑誌では新人の俳優と組んでバルドーを、結婚式の特集に抜擢する。

婦人編集長は一緒に仕事をしている、プレイボーイの色男と結婚したく思っていたが、今の夫が離婚を承知しない。相手の俳優からバルドーは結婚してくれと打ち明けられる。しかしバルドーにはその気がなかった。傷心の俳優は夜中に逃げてしまう。相手がいないので、写真がとれない。そこで色男が代役として、バルドーと結婚する相手役になる。結婚式で教会から出てくる時、婦人編集長は色男に駆け寄り、抱きついて夫が離婚を承諾してくれたと話す。これで色男と結婚できるわけになった。バルドーはその場で失神する。バルドーは色男を愛していた。新人俳優から愛しているなら告白せよと忠告される。バルドーは色男に愛を言うが、相手は結婚する気になれないと答える。バルドーは気を紛らすために、夜中に次々と男の部屋を訪ね、抱いてほしいと言う。それは叶わず、また色男も編集長に向かい結婚する気はないと伝える。結局のところ、バルドーと色男は本物の結婚をする。

2026年8月25日火曜日

機動捜査班 群狼の街 昭和37年

小杉勇監督、日活、78分、白黒映画。男たちが都会の建物から出てきて車に乗り、走り去る。原っぱのようなところで、右左に分かれた男たちが銃撃戦をする。警視庁のパトカーが現場に向かうが闘いが終わった後で、残された死体は某暴力団の組長だった。相手方は競争相手の別の組だろうと推測された。殺された組の一人が内田良平で、相手方の組を乗っ取ろうと策を弄する。

まず警察に組長を殺したのは、幹部の某だとたれこむ。その某は敵方の暴力団に自分の組の権利を売り渡して、自分を敵方に取り込もうとしていた。内田はその某より格下だったが、敵のボスに取り入り、秘書役になる。またそのボスは箱根で療養している。世話をしているのが香月美奈子で、元はバーのマダムをしていたが、今はボスの心が移り他の女がバーを仕切っている。内田は香月を口説き味方につける。内田はかつての組の幹部某を殺す。

元敵の幹部連中とバーのマダムは、内田を成り上がり者として下に見ている。内田は箱根のボスに、今のバーのマダムは幹部の一人と出来ていると知らせ、激怒するボスは亡くなる。建物等の権利を自分のものとするため、死んだボスのハンコを勝手に自分で押し、自分名義にする。バーのマダムと幹部には、氷に毒を入れたウィスキーを飲ませ殺し、心中に見せかける。金持ちの娘と婚約し、自分の物となったバーで披露の宴を開くつもりが、来たのは警察だった。香月が警察に知らせたのである。その場で銃の撃ち合いをした後、内田は車で逃げる。警察のパトカーが後を追う。最後に捕まえる。

2026年8月22日土曜日

機動捜査班 東京暴力地図 昭和37年

小杉勇監督、日活、74分、白黒映画。弱小化した暴力団にいる内田良平は、湘南で勢力を持つ組に張り込もうとする。カミナリ族の連中は店で暴れていたりしたが、湘南で地域の仕切る暴力団の幹部からひどい目に会わされる。内田はこのカミナリ族を使って相手側を潰す計画を立てる。相手の幹部二人を殺し、それを仲たがいのように見せかける。これにカミナリ族の一人を使った。その男も後に内田に殺される。

内田は相手側暴力団のボスに会い、今まで死んだ幹部の仕切っていた場所をとろうとする。ボスの娘、香月美奈子にも手を伸ばしていた。内田は自分がいた弱小暴力団の今は主であるバーのマダムと通じていたが、マダムは内田が他の女、組に出て行こうとするので、カミナリ族の連中に、仲間を殺したのは内田だとばらす。これで香月と逃げた内田を捕まえるべく、カミナリ族は内田の車を追う。警察も殺人事件の犯人が内田と知り、追いかけ、最後に捕まえる。

2026年8月21日金曜日

恋するオペラ Futures vedettes 1955

マルク・アレグレ監督、仏、93分、白黒映画、ブリジット・バルドーが出た初期の映画で、ジャン・マレーなども出ている。バルドーは親友と、ウィーンの音楽学校で、歌と踊りの勉強をしている。教師のオペラ歌手をマレーがやっており、女生徒はみんな憧れている。バルドーもその友人もマレーに恋している。

バルドーはある日、マレーと寝る仲になる。その前から友人は、音楽の才能を認められていたが、母親の死で気が塞いでいる。それをマレーが慰めてやり、余計マレーに夢中になる。しかしマレーの妻も歌手で別居していたが、妻は病気で歌えなくなり、マレーの元に戻ってくる。するとマレーは妻に愛情を誓う。バルドーと友人は自分たちは遊ばれていただけと気付き、マレーに対する熱は冷め、批判的になる。

2026年8月19日水曜日

汚れた顔 昭和34年

森永健次郎監督、日活、42分、白黒映画。主人公は元公務員で汚職に関係し、行方をくらましていたが、東京に戻ってくる。かつての上司の課長が死んだという古い新聞を読んだからだ。上司の家族宅を訪ねるが、引越しており会えない。この上司の娘とは婚約していた。元の役所で関係があった会社の社長を訪ねると、婚約者だった娘が秘書をしていて驚いた。

娘は父親の死は主人公のせいだと言わんばかりである。社長が戻ってくるが、主人公が元上司の死の事情を聞き出そうとしても、ろくに返事がない。警察はこの元上司が死んだのは事故死か殺人か調べていた。大森海岸駅のそばの文字通り海岸で死んでいた。実はこの取引先の社長が悪人で元上司を殺していた。戻ってきた主人公が邪魔になり暴力団を使って消そうとしたが、主人公に警察が張り付いていたので、暴力団は逃げる。今まで悪人社長は死んだ男の娘にいい顔をしてきたが、主人公によって事情がばれそうになり、主人公と娘も亡き者にしようと常盤橋公園で企んだが、警察が乗り込み悪漢一味は逮捕される。

2026年8月18日火曜日

秋元雄史『芸術の価値とは何か』中公新書ラクレ 2026

美術、特に現代美術の取引がどのように行われ、どう価格が形成されていくかを中心に解説した本である。書名のような美術の価値とは何かを論じたと言うより、現代社会での美術のあり方を語っている。どのように金持ちが美術に巨額の金を出し、それで価格が形成されていくかの仕組みが書いてある。

資本主義の中での美術がどう扱われていくかの実態を述べる。資本主義とは人間の外にあって人間を支配翻弄する怪物のように書かれる場合がよくあるが、資本主義とは人間の欲求、欲望を実現させる仕組みなので、人間というものの本質をあらわにする。人間とは別ものとみなしては理解できない。本書でマルクス経済学の用語を使って商品の「使用価値」と「交換価値」という言い方が出てくるが、美術品の取引で成立する「交換(市場)価値」と、書名にある「美術価値」とは乖離することがないのか。そのへんをどう理解するのか。

ベティ・サイズモア Nurse Betty 2000

ニール・ラビュート監督、米、110分、レニー・ゼルウィガー主演。ゼルウィガー演じるベティ・サイズモアは田舎の食堂で女給をしている。テレビの医療ドラマの医者に恋し無仲になっている。旦那はつまらない男で、盗んだ麻薬を悪党ども(モーガン・フリーマンとその息子)に売ろうとして、頭の皮剥ぎで殺される。それを隣室で見ていたベティは頭がおかしくなる。恋する医者に会うと言って、車でロサンゼルス目指して出かける。

実はそのベティが乗っていた車に、旦那が盗んだ麻薬が入っていた。それを知った悪党二人は追いかけようとする。ただベティの行き先が分からない。それでベティの実家などに押しかけ、知ろうとする。ロサンゼルスに着いたベティは、知り合った女友達に自分が捜している恋人の医者の名を告げる。後にそれがテレビの登場人物だと知って、おかしくなり、ベティをその俳優が来るパーティに連れて行く。ベティはその俳優、自分の恋人を見つけ、近寄って声をかけ、自分が恋人と名乗る。最初驚いた俳優はそのうち話を合わせ、ベティもその気になって恋人に会えてすっかりうれしくなる。

ベティと話がはずんだ俳優は、製作者にベティをドラマに使おうと言いだす。実際のドラマの撮影現場に来て、ベティは正気を取り戻し、自分がおかしな場所に来ていると分かり、何も言えなくなる。俳優は怒り、ベティを家に連れていく。その時にあの悪党二人がやってきて銃を突きつけ、ベティに麻薬を出せと迫る。何がなんだか分からないうちに、故郷の保安官と友人もこの家に来る。保安官は悪党の一人、息子の方と撃ち合いになり、息子を倒す。モーガン・フリーマンはベティと話し、相手が何も知らないと分かる。フリーマンは逃げる。ベティはその後、ドラマに多く出演したと説明が出る。

2026年8月16日日曜日

機動捜査班 港の略奪者 昭和37年

小杉勇監督、日活、74分、白黒映画。港で荷役を仕切っている会社の社長は刑務所に入っているので、幹部の内田良平は、社長夫人の香月美奈子といい仲になり、港全体を自分の物にする気でいる。しかし新興勢力の会社がのしてきて、潰すつもりである。相手方の人夫が不正をしているので、やっつけ、警察にも連絡する。相手方の会社は不正を働いた人夫を殴って殺す。秘密裡にそれを録音した内田はその録音で相手方を脅す。

警視庁の刑事の一人は人夫に化け、港の荷役の内情を探ろうとするが、後にばれて散々な目に会う。内田は相手方がしている密輸でも儲けようとして、交換の場で向こうの人間を殺す。内田の悪行が分かった警察は、逮捕しようとする。内田は香月を連れて、モーターボートで逃げる。そのボートを水上署の船が追い、東京湾での追っかけとなる。最後には内田は捕まる。

裸で御免なさい En effeuillant la marguerite 1956

マルク・アレグレ監督、仏、100分、白黒映画、ブリジットバルドー主演。バルドーは田舎に住んでいて匿名でエロ小説を書き、ベストセラーになる。父親が頑固な将軍で、バルドーは兄がパリで成功しているので、家出しパリに向かう。途中の列車内で二人のジャーナリストに会う。切符を持っていなかったバルドーは助けてもらう。そのうち一人がプレイボーイで、女を見ると手を出す。バルドーもその対象になる。

パリに着いて兄の家に行くと大邸宅である。実はここはバルザックの博物館で、兄はそこで案内係をしているのだが、故郷に対し大家になったとほらを吹いていたのである。バルドーはお金を作るため、そこにあったバルザックの初版本を古本屋に売り、金を入手する。後に兄から実際を聞き、本を取り戻す必要が出てくるが、使ってしまいもう手に金はない。バルドーはストリップの大会があると知り、優勝すれば大金がもらえると知る。それでこれに出る。顔はベールで隠し、分からないようにする。

父親の将軍がパリに出てきて、大会で担当に捕まり審査員にされる。娘が出ていると息子から聞いていたので、恥ずかしくてしょうがない。予選で優勝した、ベールを被ったバルドーに、バルドーとは知らずに恋人のジャーナリストが迫る。バルドーは不快になる。楽屋でジャーナリストとのやり取りがある。自分を好きになってくれるというのでバルドーはジャーナリストと結婚する。ストリップ大会には他の女が出て収まった。最後に日本に新婚旅行に来る。外国人のイメージそのままの日本が映し出される。鳥居の向こうに富士山が見え、桜の中、着物の女の子が鳥居でブランコしている。

2026年8月13日木曜日

ドイル『バスカヴィル家の犬』 The Hound of the Baskervilles 1902

1901年に発表されたホームズの長篇小説である。発表の順序では『最後の事件』(1893)の次で、当時の読者にはホームズが復活した小説であり、大評判になったそうだ。『空き家の冒険』(1903)より早い公表である。ただ時代は『最後の事件』より前の設定となっている。次のような話である。

旧家に伝わる怪奇な話がある。そこに出てくる犬と関連しているのかと思わせる怪死事件が起きる。財産を相続する甥がアメリカから来る。しかしその男に危険が迫り、ホームズが乗り出す。

舞台は最初の方はロンドンだが、大部分はデヴォンシャーのダートムアという田舎である。そこの怪しい雰囲気が小説を大きく支配している。


ホームズの長編小説は、短編に比べて推理小説というより冒険小説的になる。謎解きより話そのものが関心の対象になる。本書も謎解きの観点から言えば全く面白くない小説である。登場人物は少ないから犯人はすぐ分かる。ミスディレクションというのか、読者の関心を他に逸らす書き方をしているが、現代の読者には幼稚な感じさえする。夜光怪獣の謎も子供だましもいいところである。長編小説の中ではせいぜい四番目の出来であろう。


それでは本書の特色はどういう点か。やはり異色作というところであると思われる。事件の主な舞台はロンドンでなく田舎で、そこでの怪談めいた話や活劇が出てくる小説である。また形式においては小説の真ん中にあたる部分はホームズは出てこず、ワトソンが活躍する『ジョン・H・ワトソンの冒険』とも言うべき、スピンオフみたいになっている。通常のホームズ物からすれば規格外の作品である。なぜこんな小説になったのか。それについては後に書く。

変わったホームズ物を求めるなら勧められるかもしれない。ただ典型的なホームズ物とは言えない。新潮文庫の解説で、エラリー・クイーンが本小説を高く評価しているとあるが、自分にはどこを評価しているか見当がつかない。クイーンの評価の内容を聞いたところで、自分の意見は変わらない。

この小説で一番面白かった箇所は、来訪した医師がホームズを欧州第二と言って、ホームズが気を悪くする場面である。ここを読むと『瀕死の探偵』でホームズがワトソンを「君なんか経験も資格も大したことない一般開業医に過ぎないじゃないか」と言ってワトソンを侮辱する(策略だが)ところを思い出した。


さて『バスカヴィル家の犬』の成立については興味深い経緯がある。ドイルが書きたかったのは歴史小説で、ホームズ物は請われて金のために書いていたとは周知であろう。ドイルはホームズ物が嫌になって『最後の事件』で殺したが、読者からはホームズ物への要望が激しくなった。だからといって書く材料もない。

そこで出会ったのが、ジャーナリスト兼作家のバートラム・フレッチャー・ロビンソンである。はしょって言うとこのロビンソンによって材料が提供され、それが本小説の素になる。最初この作品はロビンソンとの共著で出る予定であったが、後にドイルの単独作として公表された。そもそもの本小説のアイディアはロビンソンのものと言っていいのか、少なくともその関与、助力があったのは確かである。

そういうわけで変格物のホームズになったのも分かる。

「コナン・ドイルはロビンソンに合作を申し出たが、ロビンソンはそれを辞退した。」とシャーロック・ホームズ全集第5巻(ちくま文庫)のp.739の覚書にあるが、それで済んだわけでなく、後に色々議論を生んだ。正直なところ、本小説の成立経緯は、こんな小説よりよほど面白いというか、興味をひく。

なお小説家がアイディアを他に求めるのは珍しくない。夏目漱石も『抗夫』の案は他人から買ったし、芥川龍之介の有名な短編は『今昔物語』の書き替えが多い。太宰治の有名な小説も元の作があると言われるようになった。


翻訳は新潮文庫の延原謙訳の、昭和29年初版で読んだ。20世紀半ばの翻訳という感じがした。以下、読んでいて気になった箇所について、原著や他の翻訳との比較を書くが、あら捜しをするつもりはなく、たまたま目についた場所を書いているだけである。


第2章初め、ホームズのところに来た医師が持つ古文書の年代推定のところである。延原訳は次のようになっている。ホームズのせりふである。


「この種の書類の年代の鑑定が、十年か二十年以上もちがうようじゃ、玄人とはいわれません。」

(昭和29年版、p.13)


年代推定で二十年も違っていいのか、と思わないか。それで原著を見ると次の通り。ホームズの原著は英語なので、中学以来の勉強のせいで何とか意味が分かるのがよい。


 ”・・・It would be a poor expert who could not give the date of a document within a decade or so. You may possibly have read my little monograph upon the subject. I put that at 1730.” 


「within a decade or so」なので十年かそこら以内、くらいの意味か。


自分の持っている他の訳書、いずれも古いものだが、を見ると次のようになっている。


「古文書の年を十年からうえも読みちがえるようでは、玄人の名が泣きますからね。」

(富山太佳夫訳、シャーロック・ホームズ全集第5巻、ちくま文庫)


「文書の年代を誤差が十年くらいの範囲内で推定できないようでは、専門家として失格です。」

(大久保康雄訳、ハヤカワ文庫)


「文書がつくられた年代を誤差十年ぐらいの範囲で推定できないと、専門家の肩書が泣きますよ。」

(鮎川信夫訳、シャーロック・ホームズ大全、講談社)


延原訳でなぜ a decade or so を、倍の範囲まで広げたか。これは12年ずれていたので、それを許容範囲とするためだったのか。


また第六章の初めにある次の文も気になった。

執事夫婦を追い出したらというワトソンの提案をホームズが一蹴するところである。


「万一罪があるとすれば、虎を野に放つようなもので、先生がたは舌をだして喜ぶだけだよ。」(昭和29年版、p.83)


少し不自然さを感じたので原文をみてみた。


“if they are guilty we should be giving up all chance of bringing it home to them.” (chanceは原文のまま)


これでは捕まえる機会を逃す、くらいの意味ではないか。持っている他の訳本は次のようである。


「二人が犯人だとしたら、思いしらせてやる機会をみすみす捨てるようなものじゃないか。」

(富山太佳夫訳、シャーロック・ホームズ全集第5巻、ちくま文庫)


「もし有罪なら、それを立証する機会を逃すことになる。」

(大久保康雄訳、ハヤカワ文庫)


「もし有罪だとしたら、それを彼らに認めさせる機会を失うことになる。」

(鮎川信夫訳、シャーロック・ホームズ大全、講談社)


なぜ延原訳で虎を野に放つとか、舌を出して喜ぶなどという表現を使っているか不明である。訳者の好みなのか。


さてこの延原訳で最終ページの最後から二行目を見た時、驚き目を見はり、笑ってしまった。


「僕はユグノー座の切符をもっている。」(昭和29年版、p.263)


原文は次の通り。


“I have a box for ‘Les Huguenots.’”


Les Huguenotsとは独生まれ、仏で活躍した19世紀のオペラ作曲家マイヤーベアの代表作『ユグノー教徒』のことである。生前は大人気だったが、後に忘れられた。今では再評価され、復活し、多くのCDやDVDが出ている。この翻訳が出た当時、日本のクラシックファンでも『ユグノー教徒』を知っている者はほとんどいなかったはずである。訳者はLes Huguenotsが歌劇とは分からなかったのだろう。


更に旧版p.221の3行目に前後の文からして明らかに誤訳と分かる箇所がある。原文など見る必要はない。なぜ長年気がつかなかったのか。改訳新版では直っている。


現在、延原訳として出ている新潮文庫は改版しただけでなく、子が訳文に修正を加えている。新版p.318に「不適当と思われる訳文は修正した」とある。

その新版(平成23年)で見たら、上のユグノー座は『ユグノー教徒』(p.314)になっている。ただ「十年か二十年以上もちがうようでは、」(p.18)や、虎を野や舌を出すのところ(p.95)はそのままである。

また第二章の古文書は文語文から口語表記に変えている。当時は文語文に抵抗を感じる人は少なかったと思う。戦前の公文書はすべて文語体だった。更に新版では高齢社会に考慮し、活字が大きくなっている。

書評などで、文章または訳文が不適当と言っているだけで、それがどこか書いていない場合がある。そういうのは嫌いなので、ここでは具体的な場所及び他の訳を示した。

延原訳は非常に評価が高いそうである。だから多数意見に沿う内容でなくともいいだろうと思って書いた。もし延原訳でバスカヴィル家の犬を読むのなら、爆笑物のユグノー座がある旧訳を勧める。古銭蒐集でも瑕疵のある硬貨は価値があるそうではないか。


遠藤周作『白い人』 昭和30年

フランス人の一人称形式の小説。戦前のリヨン、語り手は斜視で容姿が醜い。宗教に厳格な独生まれの母、いいかげんな仏人の父。近所の娘の身体の一部を見て興奮する。父に連れられ、中東での旅行の際の若い娘を見た経験。大学に入る。神学生がいて、この男も醜い。この神学生から叱咤される出来事があった。神学生には恋人のような女がいる。

後、戦争になり仏はドイツに占領される。語り手は独語が出来るので独軍の協力者となる。あの神学生が、抗独の闘士だったので捕まえられ、拷問を受ける。語り手もその拷問に加わる。協力者の名を吐かないので、あの恋人だった娘を捕まえ、利用して吐かせようとした。しかし元神学生は拷問死する。

2026年8月12日水曜日

機動捜査班 東京午前零時 昭和37年

小杉勇監督、日活、71分、白黒映画。内田良平が社長の業界紙は、バーなどの広告を勝手に乗せ、後から高い広告料をふんだくる悪事を働いていた。知り合った、密輸もしているクラブの経営者が事業を拡張するため、多くのホステスを必要としていた。内田はその引き抜きの仲介をする。知っている兄貴分が女の斡旋先を捜していたからである。

内田はある店で働いていた三原葉子を、気に入り引き抜く。三原も上昇志向が強かった。内田の弟分は内田からひどい扱いをされ、内田を恨むようになる。ホステスを提供している内田の兄貴分に接し、内田が甘い汁を吸っていると告げる。その男はホステスを必要とするクラブ経営者に会い、自分も直接仕事に参加させてくれと頼む。経営者は内田に電話し、やって来た男の件で怒る。内田は兄貴分である男を、車で連れ出し殺す。クラブの経営者も三原を好きになり、店の権利を渡すと言い出していた。

その頃、弟分は経営者の指示で、内田を殺すため、取引の場所なるところで内田と会う。警察も張り込んでいて、内田を殺す前に警察が発砲し、弟分は内田に逆に殺される。警察は内田を取り逃がした。内田はクラブに戻る。経営者や仲間は内田に殺される。三原を人質にとってクラブ内で、警察官らと内田の銃撃戦になる。弾が切れ、逮捕される。

容疑者 The suspect 1944

シオドマク監督、米、85分。チャールズ・ロートンの妻はやかまし屋の悪妻で、息子は家を出ていく。ロートンが勤め先で、職を捜してきた若い女と知り合いになり、付き合うようになる。妻と離婚して若い女と結婚したいと思うようになるが、妻は絶対に離婚を承知しない。ロートンが若い女と付き合っているのも突き止めている。ロートンは妻を事故に見せかけ殺す。

警視庁の刑事は事故か、殺人ではないかと疑う。ロートンは若い女と結婚する。隣家に嫌な男がいて、それがロートンの殺人を知っているかのように言ってきて、恐喝をする。ロートンは酒に毒を入れて殺す。この家にいるのが嫌になって、息子がカナダに渡るので、夫婦も渡加を決める。出帆する日、刑事が来てロートンに隣家の男の失踪はその妻が殺したようだと告げる。ロートンはその妻を良く知っており、そんなことをするような者でないと否定する。後で刑事は警官に言う。ロートンに隣家の妻が逮捕されたと嘘を言って、ロートンは極悪人ではないから、船を降りるだろうと。ロートンは出帆せず、街に戻ってきた。

2026年8月8日土曜日

機動捜査班 無法地帯 昭和37年

小杉勇監督、日活、64分、白黒映画。暴力団の経営するキャバレーで殴り込みがあるというので、その組の前で警視庁の車は見張っている。三人いた組の者のうち二人が車でキャバレーに向かったので、警察もそれを追う。その間、残った男が侵入者に射殺された。男を殺すための偽の殴り込み情報だった。殺した男を追っていくうち、銃の件で以前の神戸の殺人事件と関連があるのではないかと疑いが出てきた。

可能性のある男はあるバーで働いていると言う。そこに行くともう辞めていた。刑事はそのバーのマダムが自分の田舎にいた女と似ていると気づく。黒幕は神戸からやって来た悪党で、東京で地盤を築くため、暴力団を潰す予定だった。それで暴力団の一人を殺させたが、下手人の男も殺す。暴力団の他の二人も、地盤と交換に金を取るつもりだったが、悪党に殺される。警察は悪党の仕業と分かったので、手入れにくる。悪党は女と一緒に車で逃げる。それを空からヘリコプターで追う。最後に捕まえる。一緒の女、刑事と同郷だった田舎へ帰させる。

2026年8月5日水曜日

機動捜査班 暴力 昭和36年

小杉勇監督、日活、79分、白黒映画。暴力団同士の相手を潰そうとする闘争というお馴染みの設定。暴力団のところに警察の手入れがあり、隠し持っていた銃を押収する。米軍基地から出たトラックは途中で襲われ、運転手は殺され、積荷にあった銃を盗まれる。

張り合う暴力団は元々は一つの組の子分同士だった。その元の組の親分は落ちぶれ、酒浸りになっている。その息子も網走刑務所で死んだ。そこで同室だった男が銃を奪って、暴力団に銃を斡旋しようとする。男は元親分宅に行き、息子と刑務所で同室だったので助けたい、元の組を盛り返したいと言う。元親分の娘(清水まゆみ)はそんな申し出を断り、もう暴力団とは関わりたくないと答える。男はチンピラを使って暴力団同士の闘いをさせるつもりだった。しかしチンピラが店の店主を脅し、警察に捕まる。警察は銃の斡旋をしている男を捕まえるべく追う。追っかけと銃の撃ち合い、逮捕というお馴染みの展開で終わる。

2026年8月4日火曜日

フローベール『感情教育』 L’education sentimentale 1864-1869

19世紀前半のフランス、主人公のフレデリック・モローは田舎からパリに出てきて、アルヌー夫人という女に激しく恋する。それだけでなく他の若い女と同棲し子供を作り、更に地位のある男が死んだ後、その未亡人との結婚を目論み、財産を手に入れようとする。また田舎にはフレデリックと結婚する予定の女がいる。友人には、若く、名を上げようとする男たちが多くいる。後半では2月革命の描写がある。

現代人には歴史である、19世紀フランスの実際を主人公が体験する諸事によって、どんな社会であったかの例を見ることが出来る。『暗夜行路』に登場する若い男の行動から大正時代の様子が分かるように。それにしても『感情教育』は『ボヴァリー夫人』以上に退屈な小説で、写実主義の大家、フローベールの作品だからその退屈さも、高い評価につながっているのだろう。

2026年8月3日月曜日

機動捜査班 東京危険地帯 昭和36年

小杉勇監督、日活、68分、白黒映画。張り合う暴力団の一つが、もう一つ組の島を乗っ取ろうと図っている。内田良平の組はあまり大した勢力ではないが、その両者の間で漁夫の利を選ろうとする。一つの組のボスが内田に働きかけ、もう一つの暴力団を潰そうとする。内田は承知したが、その相手の組に行き、今度はその暴力団と組んで、敵の暴力団を潰そうと言い出す。

その資金源として贋の株式証券を作った。印刷した会社に内田は乗り込み、相手を殺し原版を破壊する。更にこの株式の売りさばきに使った者らを車に乗せ、銃殺及び崖から転落死させる。偽の株券はすぐに発覚した。別の件で捕えていた暴力団員から、贋株式の作成した暴力団を聞き、一斉に検挙する。またもう一つの暴力団にも手が回り、内田は金を持って、情婦の香月美奈子と車で千葉方面に逃走する。この追っかけと浜辺での内田と警察との撃ち合いなどが最後にある。

ワーロック Warlock 1959

エドワード・ドミトリク監督、米、122分。リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン出演。ウォーロックという西部の町はならず者たちに支配されていた。平和を取り戻すため、放浪保安官ともいうべきヘンリー・フォンダを呼ぼうと町では考える。有能だが報酬目当てで町から町へ、保安官をして放浪している。相棒がアンソニー・クインで、良くない男である。

悪党の一味にリチャード・ウィドマークがいて、弟もその仲間で、ウィドマークは悪党連中から抜け出そうとしている。フォンダがやってきて保安官になり、クインは酒場兼宿屋を経営する。町に若い女が来る。以前、フォンダやクインと知り合いで因縁がある。この女はウィドマークと恋仲になる。フォンダは悪党一味に立ち向かい、以前のように勝手にさせない。またこの町の女と好き合い、婚約する。町ではフォンダ以外の保安官を町の中から募集し、ウィドマークが立候補して副保安官となる。町にウィドマークの弟と仲間が来る。フォンダに向かおうとする。ウィドマークは止める。しかし弟は聞かず、フォンダと撃ち合いで斃れる。

ウィドマークはかつて仲間として加わっていた悪党一味の家に行き、もうウォーロックに来るなと言う。相手のボスは怒り、ウィドマークの手をナイフで刺し、ひどい傷を負わせる。傷の手当はするが、銃がうまく使えない。フォンダが来て、悪党一味との闘いに手助けしようかと申し出るが、ウィドマークは断る。悪党一味が町にやって来た時、ウィドマークは何とか相手方を倒す。これで悪党一味は実質的になくなった。後にクインが暴れ、フォンダはやむやく殺す。相棒を失ったフォンダは抜け殻になり、婚約者を置いて町から一人去っていく。

2026年8月2日日曜日

村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』新潮文庫 平成22年

一人称小説である。不思議なエレベーターに乗ってどこかに運ばれる。初めの方は全くカフカそのままである。カフカの名を冠した小説を書いている著者であるから、大いに影響されたのであろう。そえから女に従って目的の方へ行く。この辺りはよくある空想科学映画に出てくる風景である。わたしは小説の中だけの特殊な知識があって、それを老人の学者から頼まれる。

わたしは、ソファについて蘊蓄を傾け、座って心地よいソファがあまりないという。次いでサンドイッチにも造詣が深く、これほどうまいサンドイッチはそうそうないとか言う。よほどサンドイッチを良く食ってその味にうるさい者なのだろう。こういった作者の代弁なのか、偉そうな文章を読んでいて、すっかり嫌になり、読むのを止めた。これほどつまらない小説はそうそうあるものではない。

高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』講談社学芸文庫 1997

昭和56年に公表された著者の処女作。わたしという語り手による一人称小説。以前、わたしはある女と一緒に住み、女の子が生まれた。その女の子を可愛がるが、死んでしまう。女もどこかにいってしまった。今はソングブック(S・B)という女と、猫のヘンリー四世と一緒に暮らしている。わたしは詩の学校で詩を教えている。色んな生徒が来る。またギャングたちが登場し、警察との撃ち合いで殺される。普通の小説とは異なり、軽い調子で書かれており、一読して印象が鮮明な小説である。