2026年9月30日水曜日

血の唇 House of dark shadows 1970

ダン・カーティス監督、米、96分。ニュー・イングランドの古い館。この地下に眠る吸血鬼の棺を使用人が宝物と勘違いして開け、吸血鬼は復活する。吸血鬼はこの家の親戚と称し、イギリスから帰ってきたと言い、館を訪れる。壁に掛かっている古い肖像画と生き写しである。吸血鬼の毒牙にかかり、何人かが死ぬ。そのうち一人は女主人の娘で、自分も吸血鬼に変身する。

吸血鬼は家の家庭教師である女が、大昔の結婚が叶わなかった恋人にそっくりなので、自分のものにせんとする。犠牲者の血を調べていた女研究者は、そこに人間にはない成分があると知り、これを使えば吸血鬼を普通の人間にできると知る。吸血鬼を吸血鬼と知った女研究者は、人間に戻れて昼間でも生活できるようになると言って、その治療を進める。自分のかつての恋人に生き写しの女を吸血鬼は攫って、結婚式を挙げようとする。女研究者は、吸血鬼に恋していたのだが、他の者から吸血鬼が愛しているのは、生き写しの女だけだと言われ、嫉妬で吸血鬼の人間化の薬を大量に入れ、完全に老人にするが、吸血鬼から絞め殺される。老人となった吸血鬼が結婚式を挙げようとしている時に、女の恋人は殴り込み、吸血鬼を倒し、女を助ける。

松本清張『事故』 昭和38年

住宅街のある家に運送トラックが突っ込み、玄関などを壊した。運転手は居眠りをしていたと言う。会社の事故処理係がその家に赴くと、賠償は驚くほど少なくて済んだ。事故を起こした運転手は後に、山梨県で運送途中にいなくなり、死体で発見される。調べると殺されていた。しばらくして女の死体がやはり山梨県で見つかる。探偵社の調査員だった。この両事件の捜査は警察でも別の事件として扱い、調べたが共に迷宮入りになりそうだった。

小説後半で、探偵社の所長による説明がある。ある女から夫の浮気調査を依頼された。その夫は確かに他の女と関係があった。所長自ら調べたのは、依頼の女に興味があったからだ。実際にホテルで夫と情人が密会しているところを見つけ、所長は依頼した女(=妻)に電話で知らせ、女はそのホテルに来る。所長は女に会い、そこでかねてから関心のあった相手と関係を持ってしまう。これ以降、女と所長は密会を重ねていた。後になって、その女の夫、つまり所長が調べた男が探偵社に来る。所長は驚き、妻との関係がばれ殴りこんできたのかと思った。しかし実際は妻の素行調査だった。所長は男から自分がその相手である妻の浮気調査を頼まれたわけである。この調査を所長は部下の女調査員に命じた。

所長は女と会う時、ばれないよう余計に気を付けた。ホテルで会うと、女調査員に見つけられやすい。それで夫は家を留守にしていることが多いから、家で会おうと申し出た。その女の家に所長がいる時に、トラック事故が起こったのである。これは実は女調査員が企んだもので、近所に住む運転手にその家に突っ込むようにさせた。その際に驚いて隠れていた所長は飛び出し、近所の者らと共に張り込んでいた女調査員に見つかったわけである。女調査員は辞職を申し出る。真相が分かったからだろう。この女と運転手を亡き者にしようと、所長と今は情人になっている女で計画を立て、離れた場所で死体が見つかるように工夫し、殺害したのだった。

2026年9月27日日曜日

井上靖『黯い潮』 昭和25年

中年(当時の感覚)の新聞記者が主人公で、発表前年に起きた下山国鉄総裁怪死事件を背景とする。下山怪死事件を扱った書籍は多く出ているが、基本的にその謎を解くという意図で著者の考えが書かれており、小説の形で出ている物が他にあるか知らない。更に本書は、事件後1年しか経っていない時点での発表であり、過去の歴史となっていない当時に書かれた。

これは下山怪死事件だけを扱っているのではない。主人公の恩師の娘との縁談があり、以前の妻の、芸能人との心中が書かれている。周知のように著者は当時、毎日新聞に勤めていた。毎日新聞が他の新聞と違い、自殺説を支持していたのも知られているだろう。この小説で、当時から一般の国民の大部分が他殺に違いないと信じ、そういう情勢だったと読めば分かる。下山怪死事件の途中経過までしか書いていないが、新聞記者としての、また個人としての苦悩が描かれている。

2026年9月24日木曜日

井上靖『補陀落渡海記』 昭和36年

那智にある補陀落寺の住職金光坊は、61歳近くになると渡海を意識せざるを得なくなった。渡海とは南方にあるという観音浄土を目指して、住職が小さな舟で海に乗り出す行事である。古い歴史があり、何も61歳と決められているわけでないが、最近、三代続けて過去の住職が61歳で渡海を果たしたので今の就職金光坊も、当然そうすると期待されていた。本人はまだ心構えが出来ていないので、もっと先にするつもりでいたが、その歳以前から周囲がそう当然視していたので、引くに引けない。過去に渡海した色んな師や、まだ若く十代や二十代で渡海した者などを思っていた。

実際にその日が来る。金光坊の乗った舟は嵐で難破し、近くの島に金光坊は打ち上げられた。周囲はまた舟を作り、それに金光坊を入れて、海に出した。後の時代になると渡海は形式化し、住職の死後、その遺体を舟に乗せ出すような例もあったとか。

2026年9月23日水曜日

ダニー・ケイの天国と地獄 Wonder man 1945

ブルース・ハンバーストーン監督、米、98分、総天然色映画。ダニー・ケイは人気のある寄席芸人で、婚約者の女と一緒に舞台で歌い踊っている。このケイが以前、殺人現場を目撃したので、そのための証言を阻止しようと、悪人どもは楽屋でケイを殺し、公園の池に捨てる。

一方ダニー・ケイの二役で、学者のケイがいる。図書館に勤める女と仲良くなり、その家に招待される。食材のサラダを買いに行った学者ケイは、店で音楽が聞こえ、声が聞こえる。それに連れられて公園に行く。そこで双子の兄弟のケイの幽霊に出会う。芸人ケイから殺された経緯を聞き、学者ケイに芸人ケイの魂が乗り移る。これで芸など出来る。しかしいつも学者ケイの中に入っているわけでない。学者ケイは劇場に行き、そこで婚約者や仲間から色々言われ困惑する。舞台に出される。すると観客席にいたケイを殺した悪人どもがいて、悪人らは驚く。

学者ケイの帰りを待っていた図書館の女は、行方不明になったケイを捜している。悪人どもは今度こそケイを殺そうと追いかける。芸人ケイの幽霊はもう学者ケイの身体に入れなくなったと言って去る。学者ケイは図書館の女の家に行き、事情を話すと相手は呆れ、信用しなくなる。しかしその後に悪人たちが学者ケイを追いかけているので、女も事情が分かった。逃げるケイは検事が観劇中のオペラの劇場に行く。そこで主役の扮装を盗んだので、舞台に出される。観ている検事にケイは歌を歌いながら呼びかける。悪人どもは舞台にケイがいるのに見て、殺そうとするが、警官がやってきて悪人どもは捕まる。ケイの証言で、殺人事件の犯人は有罪になった。その後、ケイは図書館の娘と結婚する。

2026年9月22日火曜日

松本清張『草』 昭和35年

病院が舞台の話である。語り手がいて入院している。某病院は最近流行っており、病棟も新築した。ここの院長は創立者の2代目である。その院長がある日失踪する。また看護婦長も同日にいなくなった。堅いと思われていた二人だが、駆落ちかと思われ、どこかで心中するのではないかと噂された。更に薬剤師が首を括って自殺する。語り手の隣室の男は活動的な男で、院長がいなくなったのだから、入院費をまけろと病院側と交渉を始める。その交渉相手で、この病院を切り盛りしていた、やり手だった事務長は飛び降り自殺をした。

更に看護婦長の死体が山中で発見された。院長の方は不明のままだったが、後に別の所で死体が見つかった。最後になって明かされる真相は次の通り。この病院は麻薬の取引に使われていた。それを病院長が嫌がったため消された。院長も婦長もその組織に攫われたのである。薬剤師はそれに関わっていたので自殺した。隣室の男は、組織の者で監視するため入院していたのだった。事務長との交渉はその隠れ蓑だった。事務長の自殺はそのせいだった。語り手は当局の者で、部下の社員と称する男が見舞いに来ていたのは連絡のためだった。

松本清張『濁った陽』 昭和35年

劇作家は放送局からシナリオを頼まれる。役所などの汚職で全貌が明らかになる前に、中核となる課長補佐などが自殺して犯罪がうやむやになる場合がある。最近でも某公団汚職の際もそうだった。この件について若い女助手に、亡くなった補佐の未亡人について調べてくるよう命じる。ところがその未亡人は、公団の者かと思われる連中によって、隠されているような状態だった。

これに女助手も作家も不審を感じる。更に調べていくと、役所に影響力を持つ、大物と言われる男がいて、これが補佐の自殺に関与しているのではないかとなった。推理を進めると補佐の死は自殺ではなく、その大物によって殺害されたのではないかと思われた。しかし大物には鉄壁の現場不在証明がある。

またこの大物に使われていたと思われる公団の職員、女助手が調べている際に立ちふさがった男であるが、が死体となって発見された。作家は補佐を偽装自殺に見せかけた、大物による殺害可能を証明するトリックを発見する。これに結構ページを使っている。女助手は自分を妨害した公団職員の死は、自分らが捜査していたためではないかと悔やむ。

殿方ご免遊ばせ Une Parisienne 1957

ミシェル・ボワロン監督、仏、88分、総天然色、ブリジット・バルドー主演。バルドーは首相の娘で、首相の秘書をしている男に恋している。その男はもてまくりで、他にも結婚を迫られている女がいる。首相やその政敵の政治家などと狩りに行った際、男の部屋に政敵の妻のみならず、バルドーも潜り込む。男の部屋で政敵の妻は逃げることが出来たが、バルドーは見つかってしまい、結婚を親から命じられる。

男は結婚しても、依然として他の女からもてるので、バルドーは不快になる。夫に嫉妬させてやれと、折から訪仏中の他国の女王の夫(王配)と浮気してやろうと思いつく。その王配はシャルル・ボワイエが演じており、バルドーを気に入ったボワイエは高速ジェットで、彼女をニースに誘う。そこでマフィアのボスと間違えられ騒動を起こす。またジェットでパリに戻る。バルドーの夫はバルドーが王配と浮気しており、その証拠をつかもうと女王の滞在する施設に行く。運よく王配は戻ってこられ、バルドーの夫の疑いは晴れる。女王と王配が仏を去る飛行機のタラップで王配はくしゃみをする。ニースで風邪をひいたためである。夫と見送るバルドーも同じようにくしゃみをする。

2026年9月21日月曜日

松本清張『凶器』 昭和34年

九州の田舎で冬に殺人事件が起こる。被害者は商人でこの辺り一帯を対象として、よくこの地にもやって来た男である。丸太のような鈍器で頭部を殴られ死んだ。最後に被害者が会ったのは若い未亡人で、被害者が熱を上げていたと分かった。容疑者であるが、証拠がない。

何度かその家に赴くうち、近所の者たちにぜんざい餅を振舞っている時に出くわし、刑事たちも馳走になった。凶器を捜したが見つからない。結局犯罪は未解決で終わった。3年の後、刑事は思い当たった。凶器は硬い餅だったのだ。それを自分らは食ってしまった。凶器のアイデアはロアルド・ダールの『大人しい凶器』によっている。

松本清張『寒流』 昭和34年

主人公は某銀行の支店長、融資をした料亭の女将、若い未亡人に惹かれている。自分の女(二号)にしたく思っていた。しかし入行は同期だが、今は上司になっている、女に手の速い男が女将を横取りしてしまう。主人公は更に田舎の支店に飛ばされる。これで出世の目はなくなった。書名の『寒流』は出世コースの暖流でなく、落ち目の寒流になったという意味がある。

憤懣やるかたない主人公は、上司を引きずり下ろすため、私立探偵社に、女将の逢引の実際を調べさせる。更に写真も撮らせる。これらの材料で、大物である古株の男に摘発を頼む。ところが後にその男は主人公が渡した資料は偽物だと怒鳴り、顔を潰されたといって大金をせびる。実は相手からも金を取り、主人公からもまたふんだくったのである。主人公は探偵社の男と打合せ、上司を潰すため、高級車を泥棒したように見える工夫をする。警察がそれを発見したところで小説は終わり。

2026年9月20日日曜日

松本清張『証言』 昭和33年

主人公は丸の内に勤める課長、二号を囲っている。そのための家が西の方にある。会社と自宅の通り道ではない。この二号宅に行っていて、そこから帰る時、自宅の近くに住む保険員に会った。相手が頭を下げたので、ついこちらも下げた。なんであんな所にいるのだろうと思った。

後から保険員が殺人事件の容疑者にされていると分かった。事件は遠く離れた東の方で起きた。容疑者となった保険員は、近所に住む課長にその時間に西の方で会ったと主張し、それが通れば現場不在証明になる。しかし課長は警察に対し、それを否定する。言ったら自分の二号について話さなければいけなくなるからだ。しかし、二号に若い恋人がいて、その恋人に二号が真相を告げたため、その恋人から警察に通報し、あっさりばれてしまう。短篇だから簡単に済ませている。本編を元にした映画『あるサラリーマンの証言』では、更に後半に話を追加し、全体として面白い話にしている。

2026年9月19日土曜日

クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか』 When bad things happen to good people 1989

本書は息子を年少で失ったユダヤ教のラビ(教師兼指導者)が、苦悩の中で神について考え直し、学び取った理論を書いている。かなり前から本書の存在は知っていたものの、読むには若干のためらいがあった。まず一つは邦訳名である。原題はWhen bad things happen to good people、であり、直訳では、ひどい事が善人に起きる時、か。本文p.4に「なぜ、善良な人が不幸にみまわれるのか?」とあってこちらの方が自然な日本語だろう。それが邦訳では「なぜ私だけが」とあって、これは我々の周りにいる、「他の連中は好き勝手なことばかりやって幸せでいるのに、自分だけが全世界の不幸を背負っている!」などと叫ぶ人を思い出してしまう。(分かりやすくするため大袈裟な言い方にした)こういう人はジコチューにしか見えない。それで抵抗を感じたのである。なぜ自分「だけ」が不幸、などという発想になるのか分からない。世の中を見れば、本を読めば本当に不幸な人がいる。

もう一つ抵抗を感じた理由は、なぜ神がいるのに、という問いである。神は全能である、世の中のすべて、人間の運命のすべてを支配している、何事も神のおぼしめしと子供の時から教えられ、そうだと思ってきた人がいる。だからこの著者のように子供を亡くすといった最大限の不幸を経験すると、なぜこのような目に会うのか。本当に神はいるのか。いるならなぜこんな目に会うのか。信じていたからこそ、騙された、詐欺にあったと思うわけである。本書はそういう問いに対して答えをだそうとしている本である。そういう本であるから、自分のように元々神など信じていない、だから「全能の神がいるのに」という問い自体、発しない。それで自分には縁のない本ではないかと思っていたのである。実際、本書は極めて宗教的な本である。著者は神を否定しない。神に対して疑問を発する者に対して、神を擁護している。それが本書の目的である。だから自分には関係ない議論を延々としているように思え、実際に読んでもそうだった。正直、日本人で神を信じている者がそんなにいるのかと思っていた。神を信じる、とは特定の宗教、キリスト教でも仏教でもイスラム教でもいいが、その教えを信じている、に留まらず、世の中のすべてを支配する超常的な力があり、自分の運命もそれによっていると思っている人も含めていいかもしれない。それなら結構いると思う。自分は一切そういったものを信じていない。神が存在していると思っていないから。だから読む気が起きなかった。しかし日本人でも神はいるのかと問い、神を信じている、信じようとしているのなら、本書は読む価値がある。

さて自分には縁のない本でも、読んだので本書のメッセージを書いておく。本書の真ん中あたりにある聖書の「ヨブ記」の解釈である。神は信心深いヨブの信仰を試すため、ヨブに対し残虐極まる目に会わせる。それでもヨブの信仰は揺るがないのか。聖書の神は信者の信仰心を度々試す。本ヨブ記だけでなく、聖書の初めの方にあるイサクの犠牲もそうである。全能の神がいるならなぜこんなひどい目に会うのか、に対する著者の答えは次のようである。神はいる。しかし全能ではない。不幸をもとより起こすわけでない。しかしその不幸、災難を止める力は神にはない。それでは神の存在意義は何か。それは不幸に会った人に対し、より添い不幸に耐える力を与える、忍耐力を与える。信仰があればこそ、苦難を乗り越えられると説く。

2026年9月16日水曜日

松本清張『天城越え』 昭和34年

短編集『黒い画集』所収。語り手が三十数年前の少年時代を回顧し、後半は現在(発表当時)が舞台となっている。大正最終年、語り手の少年は下田の鍛冶屋だった家を飛び出し、静岡に勤めている兄を頼うつもりで伊豆半島を北上する。南から天城越えをした。家出は家が面白くなかったからである。途中で商人などに出会う。到底向こうに着けないと悟り、元の道を戻る。

途中で若い女に出会う。少年にはたいそう魅力的に見えた。二人で一緒に歩いていると、土方風の男に会う。女は少年に向こうに行っていろと言い、土方と草叢に消える。後日、土方の死体が見つかった。警察は犯人を捜したが、迷宮入りとなった。この事件の記録を大人になった当時の少年が、今は印刷所に勤めている、読むのである。昔事件を担当した老年になった刑事がやってくる。語り手と会話を交わす。語り手は事件の実際を語る。当時の少年が犯人だったのである。氷室で一晩過ごした方法について、そのトリックの説明がある。

松本清張『紐』 昭和34年

短編集『黒い画集』所収。岡山の津山で神主をやっていた男が儲けを企んで、上京する。しかし考えていた計画はうまくいかなかったらしい。姉の家に泊っていたのだが、行方不明になる。何日経っても消息が分からない。岡山の妻も呼び出す。分からないまま日にちが過ぎ、妻が帰る日に男が見つかった。多摩川の河川敷で、死体となっていた。当時の多摩川の近くは寂しい場所だったようだ。

小説は死体を子供たちが発見するところから始まる。警察の見立ては、他のところで殺し、そののちここへ運んで来たのではないか、というものだった。タクシーその他車関係を調べるが不明である。死体もどこのだれか分からなかったが、新聞で見た姉が弟ではないかと警察に来て確認する。最後に判明する事実は、家族による殺人で、よそで殺して死体を運んで来たのではなく、被害者と妻と義理の兄が鉄道の駅で降り、この寂しい多摩川沿いの場所に来て殺したのだった。動機は高額の生命保険が被害者にかけてあり、受取人が妻となっていたという事実であった。

2026年9月15日火曜日

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ Joker folie a deux 2024

トッド・フィリップス監督、米、138分。『ジョーカー』の続編。前作で犯罪の限りを尽くしたジョーカーが刑務所に入り、裁判を受ける様を描いている。ジョーカーに恋する女をレディー・ガガが演じる。ジョーカーは裁判でも弁護士を解任し、自分で弁護すると言う。陪審員たちによる評決は有罪、有罪の繰り返しだった。その時、爆破が起こって法廷は破壊される。ジョーカーは恋人と逃げるが、また刑務所に戻る。最後はジョーカーの礼賛者だった他の者にナイフで刺され、倒れる。

2026年9月14日月曜日

松本清張『坂道の家』 昭和34年

短編集『黒い画集』所収。下町で小間物屋を営む中年男は、吝嗇で勤勉でお金を貯めていた。しかしたまたま知り合ったキャバレー勤めの若い女に入れあげ、大金を費消してしまう。女は上辺は従順だが陰には若い男がいて、中年男から金を巻き上げる。男は自分が騙されていたと分かっても女を諦めない。赤坂の坂上にある瀟洒な家まで購入して女に与える。最後には男も金が尽きた。店を飛び出し、女とそこで同居する。

しかし女は口先と違い、いつまでも若い男と陰で付き合っている。とうとう男は殺意を抱き、女を亡き者にしようと考えるが、男の方が先に死んでしまう。それは事故死らしい。そう見えたが、これには氷を使った殺人方法の目くらましがあって、自然死と見せかけたのだった。最後に女と若い男は捕まる。

2026年9月13日日曜日

松本清張『遭難』 昭和33年

短編集『黒い画集』所収。山での遭難を扱った小説。3人の男が鹿島槍ヶ岳に登る。そのうち一人が遭難死する。生き残った者の一人が雑誌に書いた、その体験談から小説は始まる。

書き手は初心者で指導者は山登りに慣れた男、もう一人は幾らか経験がある者。新宿から寝台車に乗ったのは、指導者が初心者に配慮しての措置だった。実際に登り始めると、経験がある筈のもう一人がひどく疲れたように元気がない。天気が悪くなり、指導者は道を間違え、とうとうへたばった男は動けなくなり、最後は死んでしまう。以上の経過が掲載された雑誌を遭難者の姉が読み、指導者のところに連絡してくる。死んだ弟の場所に行きたい、もっとも女の身で登山は無理だから、従兄に行ってもらう、案内を頼めるかと。指導者は承諾する。冬山に登る。

相手は登山に慣れている模様である。遭難した時と同一の経路を辿り、遭難場所に着いた後、相手は指導者に計画して殺したのではないかと問い詰める。遭難者を精神的に疲れさせ、一見親切そうに見えるが、疲れさせる工夫を色々したのではないか。ただ動機が分からないと言う。指導者はクレバスを密に作り、そこに相手が落ち込んでから、動機を教える。自分の妻と密通したからだと。それを列車の中でほのめかしたのでノイローゼになったのだと。相手はクレバスに押し込まれた。木乃伊取りが木乃伊になったわけである。

2026年9月12日土曜日

白い閃光 昭和35年

古川卓己監督、日活、49分、白黒映画。警視庁中庭に白バイが並び、そこから街中に出ていく。時間になっても戻ってこない白バイがある。事故を起こしていたと分かる。スピード違反のダンプカーを追っていたが、急停車されぶつかり、警官は重傷を負った。

この警官の弟が小高雄二で主人公、兄をひどい目に合わせたダンプを警官はもちろんだが、自分も仕事を休んで追う。自分がダンプカーの運転手になって情報を聞きまわる。また小高の恋人、香月美奈子の弟がオートレースに出ており、危険だから辞めさせるよう、香月から頼まれる。弟はオートレースで良い成績をあげていたが、八百長が嫌になり、抵抗したら暴力団から叩きのめされる。小高と香月の諌めを振り切って去る。

小高は探っているうち、怪しい男を見つけ出す。その男がいる採掘の山に行く。そこには香月の弟がいて、男からひどい目に会わされ縛られる。小高は怪しい男が東京に向かうダンプに同乗するが、自分を疑っていると男は気づいていたので、殴られ気絶する。香月の弟は自由になった後、警視庁に電話する。ダンプカーを追って、警視庁のヘリコプター、白バイ隊が繰り出す。気づいた小高は男と格闘し、警官が逮捕する。映画の最後は白バイ隊が列を組んで、絵画館前、道路を行進する場面である。白バイの宣伝映画として警視庁の協力のもと製作された。当時の神風ダンプカーを取り締まる意図があった。

2026年9月11日金曜日

山本有三『はにかみやのクララ』 昭和12年

書名にあるクララとはクララ・バートン(1821~1912)を指す。バートンはアメリカ赤十字の設立者であり、永年看護婦として活動した。これは雑誌『主婦の友』に連載された話で、バートンの生涯を著者がやさしく書いている。バートンの幼児時代から書かれており、幼い頃から少女の時期は、臆病でおくてな子供であったという。それが書名のはにかみやの、になっている。それが兄が重病になった時、看病し回復させた。長じて教師になり、その後、南北戦争の時から戦時の看護婦として活躍し、その後も色んな救援活動をし、またヨーロッパでは普仏戦争の際にも戦時の看護婦として従事した。いずれも先駆的な業績である。

同時期のフローレンス・ナイチンゲールは誰もが知っている有名人であるが、わが国でバートンはどのくらい知られているだろうか。ナイチンゲールに比して、知名度が劣っているのはなぜかよく分からない。今、クララ・バートンでAmazon検索したら、和書は一冊も出ていなかった。もちろん英語の本は多く出ている。山本による本書はそういう意味でも貴重である。

2026年9月7日月曜日

特捜班5号 昭和35年

野村孝監督、日活、49分、白黒映画。銀行ギャングが6千万円もの金を強奪し、車で逃走したが列車と衝突、ギャングどもはみんな死ぬ。しかし金が見つからない。これに脚の悪い男が関係しているらしい。キャバレーの支配人は悪党で、手下にそのビッコの男をつけさせるが逆に殺された。風来訪の一匹狼の男が現れ、取り戻してやるから分け前を寄こせと言う。風来坊はたまたまバーで見つけた男が盗んだ一味の一人と分かって捕まえ、その案内でアジトに行く。しかし既にビッコは殺されており、捕まえた男も支配人の手下に殺される。更に、後をつけてきた刑事を別の手下が殺していた。

支配人のところに取引先が見つかったと連絡があり、風来坊と手下が行ってみると殺されそうになり、逆に相手を倒すと、支配人の情婦と別の手下だった。こいつらが金を盗んだだろうと見当をつけ、情婦がやっている店で大金を発見する。支配人と風来坊らは取引先の外人と会う。しかし外人はだますつもりで、双方で銃の撃ち合いになる。警察が来て悪党どもを捕まえる。風来坊は特捜班5号だった。『機動捜査班』シリーズで主役の扱いだった青山恭二が風来訪の役をしている。

2026年9月3日木曜日

ブリガドーン Brigadoon 1954

ヴィンセント・ミネリ監督、米、108分、ジーン・ケリー主演のミュージカル映画。ケリーはスコットランドへ友人と二人で旅行に来たが、道に迷う。下の方に人家の灯りが見える。降りていく。民族衣装を着た者に会う。聞いてもろくに返事もくれず逃げられる。若い娘に会い、この村の名がブリガドーン、食事が出来るところは広場だと教えてもらいそこに行く。ここでも多くの者から奇妙な対応をされるが、今日結婚式を挙げる若者に、目出度い日なのでもてなされ、ビールを振舞われる。しかしこの若者が結婚する相手に、熱をあげていた他の男が不快な顔をしている。

結婚する娘の姉が途中で会った娘で、ケリーは好きになる。その娘にこの村の事情を聞くと賢人のところに案内される。賢人が言うにはこの村は百年に一度だけ現れて、その間は眠りにつき、よその者には見えない。これは魔女から守るための仕掛けだと言う。もしこの村から出ていく者がいれば、村は消滅してしまうという。あの結婚出来なかった男は、結婚式の最中に殴り込みをかけるが阻止される。男はこの村から出てやると言い、逃げるのでみんなが追う。男が村から出るとブリガドーンが消滅する。男は隠れていたが、ケリーの連れが鳥と間違えて銃を撃つと当たって死ぬ。

ケリーは娘が好きになったので、この村に残るつもりだと言う。しかし後に友人に説得され、考え直し、娘に別れを告げる。ニューヨークに帰ったケリーは文明社会の喧噪に嫌気がさし、また友人を連れてスコットランドに飛ぶ。あのブリガドーンのあった場所に行く。するとブリガドーンは再び現れる。愛があれば凡て可能の証。ケリーは娘に再会し終わり。

2026年9月1日火曜日

モダン・ミリー Thoroughly modern Milie 1967

ジョージ・ロイ・ヒル監督、米、138分、ミュージカル映画。1922年のニューヨーク、田舎から出てきたジュリー・アンドリュース扮するミリーは、街で他の女の服装を見て自分のなりが気になる。宿泊予定の女専用ホテルの前で、タクシーが止まり、客の若い女は現金を持っていないようだ。アンドリュースはタクシー代を払ってやる。その女もこのホテルに滞在予定。二人はエレベーターに乗るが、すぐに動かない。踊り子が使ってから調子が良くなくなったと言う。足で床をける必要がある。エレベーターの中でダンスを始めると動き出す。アンドリュースと若い女は向かいの部屋になる。最近、ニューヨークでは若い女の失踪事件が相次いでいた。実はこのホテルの女主人が犯人で、中国人を使って身寄りのない女子を攫っていたのだった。

アンドリュースは仕事を捜す。ある会社に応募すると、そこの社長は二枚目ですぐにアンドリュースは参ってしまう。合格し、秘書として働く。アンドリュースは仲の良くなった若い男から飛行機乗りに誘われる。向かいの若い女も同乗する。空中で別の飛行機に出くわす。着陸すると年配の婦人で、ここに住む大金持ちと知る。その年配婦人は何でも挑戦し、アンドリュースは感心する。二人は意気投合する。夜、そこの館に泊っていると、若い男の部屋に向かいの若い女が入っていく。男を気に入っていたアンドリュースはいたく失望する。ホテルに帰ってからも、アンドリュースは若い女につっけんどんになる。アンドリュースの上司である社長はたまたま、若い女を見て一目ぼれ、共に相思の仲となる。高級レストランに誘った。それなのに若い女が現れず、社長はがっかりする。実はホテルの女主人が中国人に、若い女をさらわせたのだった。

アンドリュースと若い男と社長は若い女を取り戻すべく作戦を練る。若い男が女装して、ホテルに泊り、誘拐させるという手だった。偽装で誘拐させるつもりが、若い男は睡眠薬で眠ってしまい、実際にさらわれる。中華街に連れていかれる。アンドリュースは若い男と女を捜すが、どこか不明である。たまたま他の女の真似をして煙草を吸ったが、むせかえり、それを投げ捨てると、火薬工場だったので大爆発し、火事になる。若い女は起き、アンドリュースと共に寝ている若い男を助けて逃走する。ホテルの女主人が追いかける。あの年配婦人の屋敷に来て、女主人や中国人はとっちめられる。最後に、年配婦人は実は若い男と若い女はきょうだいで自分の子供であり、金めあてを避けるためにしていたと明かす。アンドリュースは若い男と、若い女は社長と結婚する。