森鷗外、幸田露伴、島崎藤村、夏目漱石、永井荷風といった近代を代表する小説家が西洋のクラシック音楽とどう接したか、を書いている。書名の漱石は近代の文学者の代表として、またベートーヴェンはクラシック音楽の代名詞として使っているのであろう。今はどうか知らないが、自分の子供の頃、昭和時代のある時までベートーヴェンは西洋音楽の中で絶対的に抜きんでた存在のように見えた。西洋美術ならルネサンスとか19世紀のフランスとか何人もの有名な画家等がいる。それに対してクラシック音楽ではベートーヴェンの存在が圧倒的に大きかった。だからベートーヴェンを代表としていてもおかしくない。
ただ副題に「音楽に魅せられた文豪たち」とあるのは異議を感じる。文豪らはクラシックを好きになっていたようには見えない。あくまで西洋の高尚で難解な芸術として接していたと思える。例外は藤村と荷風の一時期で、好いていたと言ってもおかしくないが。鷗外はドイツでオペラを鑑賞し、その訳本を試みているが、オペラを好きになったと言うより高尚な芸術として日本に紹介を考えていたように見える。また自分の作品に利用していた。ここに引用されている短編『藤棚』でもクラシックの音楽会に、当時の上流階級が理解してもいないのに、西洋の高尚な芸術ということで聴きにいっている様が描かれ、これは長い間、日本人のクラシック音楽への接し方だった。
小林秀雄の『モオツァルト』は終戦直後に出ており、頭でっかちな観念的議論である。人から聞いたが、戦前の音楽会には楽譜を持ってきて、見ながら聴く人がいたとか。見栄の手段としてクラシック音楽を使っていたのか。今はそんなことは全くなくなったが。
0 件のコメント:
コメントを投稿