2025年3月31日月曜日

冷たい水 L’eau froide 1994

オリヴィエ・アサイヤス監督、仏、92分。高校生の男女、好き合っている。レコード屋で男が万引きし、男は逃げるが女は捕まってしまう。

女は両親とも嫌っており、母親はアラブ人の男と一緒になり、父親の方ともうまくいっていない。女は父親に引き取られ、施設に入れられる。男は学校の教師からがみがみ言われる。後にダイナマイトを手に入れ知人に渡す。女は施設から逃げ出す。男ら学友が騒いでいるところに来て、男に一緒に逃げてくれと頼む。遠い地方に知り合いがいて芸術家の楽園がある、そこに行ってくれるか。男は承知する。後で女友達に、芸術家の楽園とかそこに知り合いがいるとかは嘘だと言う。男に一緒にいてもらいたいからだと。母親とその恋人が逃げた女を捜しに来るが見つからない。

女は男と逃避行の旅に出る。ヒッチハイクで遠くまで行く。その後歩きになる。川のそばの野宿で、女は裸になり男のそばで寝る。男が起きると女はいない。川の傍に女の書置きが残っていて男はそれを読む。そこで終わり。

2025年3月30日日曜日

エラリー・クイーン『エラリー・クイーンの国際事件簿』 1964

クイーンが書いた三つの犯罪実話集を収録。『私の好きな犯罪実話』(1956)、『エラリー・クイーンの国際事件簿』(1964)、『事件の中の女』(1966)であり、以上の訳が本書である。

犯罪実話と言っても、事件の記録そのままというより、事件を元に脚色し小説化しているようである。例えば初めに『エラリー・クイーンの国際事件簿』があり、これは20話あって名の通り、世界各国の事件を扱っている。第2話に「東京の大銀行強盗」とあって、これは題からすぐに想像できないかもしれないが帝銀事件を元に書いている。自分が名をつけるなら「東京の大量殺人事件」とか「東京の毒殺大事件」とかにする。

犯人は平沢でなくキヨシ・シムラと変えてあるが、帝国銀行椎名町支店とか安田銀行品川支店などはそのまま使っている。事件の内容はかなり自由に、というかデフォルメ、茶化して書いている。帝銀事件は日本の犯罪史上の重要事件であり、これまで多くの本や映画、ドラマがある。インターネットでも情報は多くある。それをここの記述は、まるである事ない事を、読者が面白ろおかしく読めるように脚色した、風俗雑誌を読んでいるようである。

実際の犯罪は事実ということで、こさえ物の推理小説より面白く読める場合が少なくない。しかしここの立場は手を入れなくてはならない、あるいは入れたい、という考えのようだ。第5話「アダモリスの詐欺師」はルーマニアが舞台で、寒気のするほど陳腐な犯罪が書いてある。今までドラマなどで何百回使われたか分からない手口である。これで読む気が失せた。(飯塚勇三訳、創元推理文庫、2005)

海獣の霊を呼ぶ女 The she-creature 1956

エドワード・L・カーン監督、米、77分、白黒映画。小屋で見世物にしている催眠術師には女の助手がいた。海岸近くの家で夫婦の死体を、心霊学の博士が見つける。警察が調べるとおかしな足跡がある。心霊学博士は顔見知りの催眠術師が、その家から出ていくところを見ていた。催眠術師は警察から尋問されるが、人間のしたことでないと意味不明の事しか言わない。

この催眠術を見世物にして儲けようと、心霊学博士が下宿している実業家は思い立つ。催眠術師の助手である女が海獣を呼び起こす女で、術をかけられ眠ると海から海獣が出てくる。殺人をしていたのは海獣で、女の祖先であるから雌である。助手は心霊学博士と相思の仲になり、催眠術師から逃げたがっている。

公開で行われた催眠術では、女はなかなか術にかからないが、海獣は海から出てきて刑事を殺し、更に実業家、また催眠術師まで殺す。海獣が海に帰ろうとするところを警官たちが銃撃するが、果たして死んだか。疑問符が出て映画は終わる。

2025年3月29日土曜日

影なき狙撃者 The Manchurian candidate 1962

ジョン・フランケンハイマー監督、米、126分、白黒映画。フランク・シナトラ、ローレンス・ハーヴェイ出演。朝鮮戦争の場面から始まる。戦闘があって、負傷者等はヘリコプターで運ばれる。アメリカの基地に着陸した飛行機からハーヴェイが降りてくる。大歓迎ぶりでカメラマンなども多い。勲章を貰ったので母親と義理の父親が来る。一緒に写真を撮られる。義父は政治家で選挙に利用する気でいる。ハーヴェイは両親とも嫌っている。

過去の場面になる。中国やソ連の軍人らに囲まれている。ハーヴェイは言われるがまま仲間の兵士を殺す。ハーヴェイは洗脳されているのである。ハーヴェイの同僚軍人にシナトラがいる。シナトラも悪い夢を見る。シナトラはハーヴェイが大した戦功もないのに勲章を貰ったと知っている。戦友を助けたとされているが、実際は殺しているのである。シナトラはハーヴェイがおかしいと知りなんとか助けようとする。ハーヴェイに相思の仲で結婚したいと思っている女がいた。その父親が義父と反対の、革新派議員なので母親は反対する。後に好き合う二人は結婚する。

しかしトランプのクイーンの札を見ると、洗脳された状態になるハーヴェイは自分の意識のないまま結婚したばかりの妻とその父親を射殺する。更に大統領選の候補者を決める大会に行ってライフルを構える。シナトラは気づき、止めに駆け上るが間に合わず射殺する。ただし大統領候補でなく義父の政治家だった。シナトラが部屋に入るとハーヴェイはライフルを自分に向けて撃つ。

2025年3月28日金曜日

ゲットアウト Get out 2017

ジョーダン・ピール監督、米、103分。白人女性を恋人に持った黒人が災難に会う映画。黒人青年は白人の彼女と共に田舎にある彼女の実家に車で行く。そこの両親は暖かく迎えてくれる。黒人の使用人がいる。

黒人は彼女の母親から催眠術をかけられ、悪夢のような体験をする。やがてその家のパーティに、知り合いの家族らが多くやって来る。中に一人だけ黒人の青年がいた。年上の白人女性の恋人である。その黒人にスマートフォンで写真を撮ると驚愕される。正常でなくなる。黒人は警察にいる友人(黒人)に連絡し、またその写真を送る。警官はその黒人青年が失踪した有名人と知る。

ことの真相は、黒人からその健康な身体をもらうために、恋人とされていたのである。恋人は過去にも黒人の彼氏を多く持っていて、身体を取っていたのである。黒人は気づくと椅子に縛り付けられ、その眼などを盲目の白人に移植される予定だった。黒人は連れに来た男を倒し、その他の家族を殺していく。車で逃げるが木に衝突し、あの彼女が殺しにくる。何とか相手を押さえる。その時パトカーが来る。女は救助を求めるが、出て来た警官は黒人の友人だった。黒人は友人とパトカーで去る。

2025年3月27日木曜日

アンダー・ザ・スキン 種の捕食 Under the skin 2013

ジョナサン・グレイザー監督、英米スイス、108分。スカーレット・ヨハンソン主演。宇宙からやってきた異星人が地球人をものにしていく。その方法は地球人の美人(ヨハンソン)になり、男たちに声をかけてその気にさせ、ものにする。

スコットランドの田舎でヨハンソンは車を運転し、男を物色する。ものにするとは具体的には、暗い中、ヨハンソンの身体に魅入られた男たちが、近づいていくと沼のような地下に沈んでしまう、という風である。もっともヨハンソンは人間の女の皮膚をかぶっているだけなので、男とは交わうわけにいかず、最後は暴行を働こうとした男によって皮膚を裂かれ、燃えてなくなる。

2025年3月25日火曜日

E・C・ベントリー『トレント最後の事件』 Trent’s last case 1913

トレントは画家で素人探偵である。今まで犯罪事件を解決してきたので、アメリカ人の富豪実業家の殺人事件に駆り出される。被害者は美人の妻とうまくいっていなかった。秘書は二人いてアメリカ人は事業上の、イギリス人は雑務をこなす仕事である。

小説半ばでトレントは事件を解決したと思い、自分を雇った新聞社宛てに事件の真相なるものを報告する文章を書く。イギリス人の秘書が犯人で美人の妻に恋慕していたと書く。実はトレント自身もその妻に恋していて、報告を書き終わった後、事件の場所から離れる。後半になって時間をおいた後、トレントは未亡人となった妻に会い、自分の恋を打ち明ける。

またトレントが犯人と断じた秘書から真相なるものを聞く。実は実業家は自殺したのだと。なぜ自殺したかというと、秘書に罪を被せるためだと。実業家は妻と秘書の間を疑い、なんとしても秘書を陥れるため、自殺したというのである。自分の殺人の犯人として、秘書が捕まり処罰されるだろうと計算してやったというのである。更に最後になって本当の真理を聞く。妻には叔父がいてトレントの旧友だった。その叔父が実業家を殺したのだと。死んだ実業家を見て秘書は自殺したのだと思ったのだ。

瀧井敬子『漱石が聴いたベートーヴェン』中公新書 2004

森鷗外、幸田露伴、島崎藤村、夏目漱石、永井荷風といった近代を代表する小説家が西洋のクラシック音楽とどう接したか、を書いている。書名の漱石は近代の文学者の代表として、またベートーヴェンはクラシック音楽の代名詞として使っているのであろう。今はどうか知らないが、自分の子供の頃、昭和時代のある時までベートーヴェンは西洋音楽の中で絶対的に抜きんでた存在のように見えた。西洋美術ならルネサンスとか19世紀のフランスとか何人もの有名な画家等がいる。それに対してクラシック音楽ではベートーヴェンの存在が圧倒的に大きかった。だからベートーヴェンを代表としていてもおかしくない。

ただ副題に「音楽に魅せられた文豪たち」とあるのは異議を感じる。文豪らはクラシックを好きになっていたようには見えない。あくまで西洋の高尚で難解な芸術として接していたと思える。例外は藤村と荷風の一時期で、好いていたと言ってもおかしくないが。鷗外はドイツでオペラを鑑賞し、その訳本を試みているが、オペラを好きになったと言うより高尚な芸術として日本に紹介を考えていたように見える。また自分の作品に利用していた。ここに引用されている短編『藤棚』でもクラシックの音楽会に、当時の上流階級が理解してもいないのに、西洋の高尚な芸術ということで聴きにいっている様が描かれ、これは長い間、日本人のクラシック音楽への接し方だった。

小林秀雄の『モオツァルト』は終戦直後に出ており、頭でっかちな観念的議論である。人から聞いたが、戦前の音楽会には楽譜を持ってきて、見ながら聴く人がいたとか。見栄の手段としてクラシック音楽を使っていたのか。今はそんなことは全くなくなったが。

2025年3月23日日曜日

池亀彩『インド残酷物語』集英社新書 2021

著者は社会人類学者でインド南部で暮らし、その経験からインドの社会の実態を書いている。最近のインドは経済の躍進として語られる場合が多いが、ここでは現代なお息づくインド社会の問題点の幾つかを洗い出している。

インドといえばカーストと誰でも思うだろう。ただこのような捉え方だけではインドの実際は分からない。インドのカーストと聞けば、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラと答えるだろう。このような身分制は「ヴァルナ制」というそうである。これとは別の切り口で職業別とも言うべきジャーティという区分がある。土地持ち農民のカースト、商人・金貸しのカースト、職人カーストなどがその例である。またこのカーストに属さない、ダリト(不可触民)、アーディーヴァシー(山岳地域の部族民)という身分がある。

特にこのダリトと呼ばれる不可触民は、交わると穢れるという意識が持たれている。新書の初めにある挿話には、上級層の娘が好きになって結婚した相手がいた。それが後になって夫は不可触民と分かった。すると妻の家族がその夫を殺してしまったのである。不可触民とはそのように扱われているのである。同じ国民なのに驚くべき発想と実際である。

ただ本書にはそのような事例ばかりでなく、より下の層がどうやって上昇していくか、といった例もある。ともかく才覚と実行力がなければ全くどうにもならない社会である。インドの成長の中での変化が書いてある。

2025年3月21日金曜日

モスキート Mosquito 1994

ゲイリー・ジョーンズ監督、米、92分、総天然色。異星から来た宇宙船が沼に墜落し、そこが蚊の繁殖地だったため、影響を受けて巨大化した蚊が人間を襲うという恐怖・SF・アクション映画。

主人公の若い男女が運転する車に蚊がぶつかり車は故障、蚊はペシャンコになる。この巨大化した蚊は人間を襲い、血を吸う。吸うための蚊の吸取り管が人間の身体に突き刺さるところは見物。主人公たちは他に科学者、公園管理人、更には悪党と一緒になって蚊の襲来に立ち向かう。蚊に刺され血を吸うと目が飛び出てミイラになるところも見物である。

最後に閉じこもった屋敷が実は蚊の繁殖用の基地だったため、蚊の大群が押し寄せる。ここで地下に卵の大群があったので、屋敷もろとも蚊を吹っ飛ばす。先に逃げた主人公の男女の他、科学者が大爆発した屋敷の中に隠れていたため、助かったで終わる。

2025年3月20日木曜日

保坂正康『六十年安保闘争』講談社現代新書 昭和61年

本書は60年の安保改定を巡る騒動を解説した書。闘争に挑んだ英雄たちの物語といった叙述ではなく、どうして安保騒動があれほどまでに大きいものになったかの経緯、説明を目指している。以下では本書の要約でなく、本書を元にして安保騒動への自分の理解を書いた。

まず60年は安保条約の改定であった。それでは改定されるまでの安保条約があったはずだ。それは1951年サンフランシスコで調印された日本の独立時に、アメリカと結ばれた条約である。日本は独立した。しかし当時の日本は今の自衛隊にあたるような防衛組織は何もなかった。それでアメリカが日本を保護するために結んだのが安保条約である。もちろんこれはソ連を敵においた条約である。サンフランシスコでの独立調印にはソ連等は参加しなかった。この時点ではソ連は日本の独立を認めていない。米ソ対立の中で日本は米側についた。それでソ連を敵とみなす軍事条約、アメリカが軍隊のない日本を保護するのが安保条約であった。この条約を日米対等の形で条約し直す、それが60年安保条約改定であった。
しかしこれはもし米ソが戦争を起こした際、日本が巻き込まれる。それが嫌だ、避けたいという気持ち、意見が安保条約改定への国民的規模の反対運動を生んだのである。
反対運動を指導したのは、既成政党である社会党、共産党を中心とした国民会議(安保条約改定阻止国民会議)と学生自治会の連合である全学連(全日本学生自治会総連合)である。全学連の思想は共産党とは離れていた。共産党が体制内での共産主義化を目指すのに、全学連の主流はブント(共産主義同盟、同盟のドイツ語がブント)であり、共産革命を目指していた。つまり安保条約改定阻止では一致するが、ブントは究極的には革命を意図し、学生であるから過激な行動をとった。
1959年11月27日には全学連は警備を破り、国会の構内に突入する行動に出た。これは安保阻止運動で象徴的な出来事であった。
明くる1960年6月に当時のアメリカ大統領アイゼンハワーが来日することとなった。この来日の前に安保条約を成立させたい、これは自民党にとって至上命令となった。5月19日に自民党は衆議院で強行採決した。これで全国民的な反発、怒りを招き全国民的な反対運動が展開された。ただひと月経てば自動成立してしまう。だからなんとしても阻止しようと、学生らの国会への突入行動が6月15日に起きた。この時に死んだのがブントの活動家であった東大生の樺美智子である。しかし6月19日に安保改定は自動成立。
これで大いなる挫折感を抱いた者もあれば、ともかく政治への大衆行動を起こせたと意義を強調する者もいた。ここから安保改定で大いに活動したが、その後は小市民的に生きていく層と、より過激な政治運動に走る層が出た。後者がその後紆余曲折あって、12年後に起こる連合赤軍事件の当事者の、遠い源流になる。

2025年3月19日水曜日

クリーピング・テラー The creeping terror 1964

アーサー・ネルソン監督、米、76分、白黒映画。主人公は最近結婚した保安官補佐。空から宇宙船のような物が墜落した。

保安官の伯父とそれを確かめていく。宇宙船の中に伯父が入ると悲鳴や銃声が聞こえ、そのままになった。主人公の男は連絡し、兵士たちが来て宇宙船の内部を調べる。この調査はイギリスから来た男が担当することになった。宇宙船から出て来た怪物はゴミのようなものに覆われた蝸牛状の形。恋人たちを襲い、食う。女が食われ、脚が身体の下の方についた口に吸い込まれる様子の場面が何度も出てくる。その他に若い母親、一緒に釣りに来ていた親子も犠牲になる。何組かの恋人たちが集まっていた場所へ怪物は来て、オープンカーの上からのしかかり恋人たちを襲い、車をひっくり返して中の者を餌食にする。更にダンス・ホールにもやってきて、何人もやられる。兵士たちが銃で攻撃しても平気で殺される兵士もいる。指揮官は生け捕りにしたかったが、無理のようである。最後は手榴弾で倒した。

指揮官は宇宙船の方へ車で急ぐ。宇宙船の中にはもう一体、怪物がいた。共に宇宙から地球を探りに送り込まれてきた。指揮官が怪物にやられそうになったので、後から来た保安官補佐は車で衝突させ怪物を倒す。宇宙船の中の通信機器を壊す。既に情報は宇宙に発信されているだろう、それを受けて地球に攻撃に来るかもしれない。それまでに地球人が発達して迎え撃てるようになればいい、と指揮官が言って終わり。

2025年3月18日火曜日

伴野準一『全学連と全共闘』平凡社新書 2010

かつての学生運動を指導し、また大きな影響を社会に及ぼした全学連と全共闘の解説を意図して書いているようである。かつての学生指導者を務めた人たちにインタヴューをし、当時の想いなども書かれている。だから本書は当時の学生運動を担った者の視点で記述されている。

しかしながら安保騒動から半世紀経ち、終戦から65年も経った時点での総括であれば、もう少し歴史の中での、その位置づけをする書き方がありえたし、そういった記述を希望した。当時の学生たちはなぜ学生運動をしたのか。その答えは本書の中にある。学生らの国会構内乱入のニュースを聞いて、九州のある学生運動家は次のように思ったという。「ヤッターッていう感じだったね。どうしてかと聞かれても困るけど、やっぱり騒乱状態というのが夢ですからね、(以下略)」(本書p.88)これが本書中、最も感心した文章である。ともかく騒ぎたかったのである。青春でエネルギーを持て余しその捌け口にしたのである。

もちろんその目的は革命にあった。運よく革命は成就しなかった。日本史上、最大の僥倖は日本で革命が生じなかった、という事実である。もし日本が共産主義国家になっていたら今の北朝鮮のように最低、最悪の国家になっただろうから。

2025年3月17日月曜日

バリンジャー『赤毛の男の妻』 The wife of the red-haired man 1957

刑務所から脱獄してきた男はかつての妻のところに行く。妻は別の男と結婚していた。妻は男が戦争で死んだと思っていたのである。男は妻の今の夫と争い、銃を相手が出したので撃ち殺してしまう。今の夫を嫌い、昔の男を今でも愛している妻は男と一緒に逃げる。

明くる日、死体が発見される。妻がいない。妻の犯行だろうと警察は考え、妻の行方を追う。小説は逃避行を続ける妻と元の男、それを追う刑事の話が交互に出てくる構成になっている。刑事は逃げる者の心理を推理し、それによって追っていく。逃げる側は男の方は精神がやや正常でなくなり、追手の警察を恐れている。妻は冷静になってどうすればよいか考慮して男を励ます。刑事は追う先で、ここに追っている犯罪者がいるのではないかと直感し、男の方も自分を追っている警察の眼を感じる。からくも追手をくらますが、最後にアイルランドに渡って、二人で暮らせると思った家に警察がやってくる。銃の撃ち合いとなり、男は倒れる。それを希望していたと知っていた妻の企みがあった。

追う刑事が最後に台詞で自分が黒人だと明かすのがこの小説の有名なところらしい。ある一行で伏せられていた事情を明かすというのが推理小説では好まれているらしい。(大久保康雄訳、創元推理文庫、1961)

2025年3月16日日曜日

山田風太郎『人間臨終図巻』 昭和53年~62年

過去の有名人の臨終の様子、また人によってはそれまでの生き方の叙述を900人以上も書いている。死んだ歳の若い順に書いてあり、十代、二十代、百代はまとめてあるが、それ以外の年齢は1歳ごとに分けている。

死に方で自分の知識と違う記述があった。そもそもどういう人か、知らない人もいる。インターネットですぐに調べられる。勉強になった。死ぬ様は人夫々だが、随分周りに、特に配偶者(妻)に散々迷惑をかけて死んだ人がそれなりにいる。生涯に亙ってそういう関係だったのだろう。妻が死ぬと夫も死ぬ、夫が死ぬと妻は長生きできる、と言うが、まさにそれの実証のような例が幾つもある。それまでの生き方、人生の過ごし方と死に方は関係ないと(当然であるが)改めて感じた。(角川文庫、上中下3冊)

2025年3月15日土曜日

宇宙船の襲来 I married a monster from outer space 1958

ジーン・フォウラー・Jr監督、米、78分、白黒映画。結婚を控えている若い男女がいる。男の方が車で帰る途中、道に倒れている者を発見し、止まる。すると宇宙人が現れ、男に発光し煙が出て男は消える。明くる日は結婚式の日なのに男は遅れてやって来る。結婚する。

1年経つ。女の方は結婚した相手に不審を抱いている。まるで昔の男と違ってしまった。妊娠もしない。医者に診てもらうが問題はないと。結婚一周年なので女は男に贈り物として犬を買ってくる。男は犬が嫌いだと言って、後にその犬を殺してしまう。女はますます男に疑念を抱く。宇宙人に乗っ取られていたのは他にも警官などいた。女は昔から知っている警察署長に相談に行くが、その署長も宇宙人に乗っ取られていた。

女はある夜、外出する男の後をつける。林で男の身体の中から光る宇宙人が現れ、隠してある宇宙船に入っていく。女が男に近づくと男は倒れ、まるで死体だった。女は周りに分かってもらえなかったが、最後に女の言うことを信じた捜索隊が宇宙船のある林に行く。現れた宇宙人に銃は効かなかったが、犬が飛び掛かると食い殺される。捜索隊が宇宙船の中に入ると、乗っ取られていた人間たちの元の身体が吊るされていた。その下にある装置を壊すと乗っ取った宇宙人が死んでいく。元の人間たちを宇宙船から助け出す。女の夫になっていた男も消え、元の男が女のそばにやって来た。地球人を乗っ取る気でいた宇宙人は母船に連絡し、宇宙船群は地球から離れていく。

2025年3月14日金曜日

ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』 The Greene murder case 1928

イースト川に面した、ニューヨークの東53番街にあるというグリーン家の古い屋敷で起こる連続殺人事件。現代までの推理小説に親しんでいる者であれば犯人はすぐに見当がつき、いつまでも悩んでいる探偵たちがもどかしく思えるだろう。

中学生の時読んで、それ以来の再読。犯人は分かっている(覚えている)し、改めてファイロ・ヴァンスの衒学癖に驚くというか辟易する。グリーン家の2階の見取り図があって各人の部屋の配置がある。なぜこの人間がこの部屋になっているか、これは小説に出てくる事件の都合上、作者が決めたのであろう。それを離れ、各人の部屋の配置について色々考えてしまう。本小説に現在では感心する者がいるか不明であるが、この小説の設定というか枠組みがクイーンの『Yの悲劇』(1932)に影響を与えたと思われる。

2025年3月9日日曜日

恐怖の火星探検 It! The terror from beyond space 1958

 エドワード・L・カーン監督、米、69分、白黒映画。火星探検隊が隊長を除いて凡て死亡した。隊長が殺したのだろうと思われた。

救助隊のロケットが火星に向かい、生存者の隊長を連れて帰る。隊長は自分が殺したのではない、いつの間にか次々と隊員が何物かによって殺されたのだと主張する。誰も信用しない。ところがいつの間にかこのロケットに火星の怪物(火星人)が乗り込んでいた。ロケットの乗組員を殺していく。隊長が無実と分かったが、この怪物をどう退治するのか。通常の方法では死なない。火炎放射器を浴びせても死なない。放射能を浴びせかけても生きている。乗組員は宇宙服を着、最後に酸素をゼロにしてやっつけた。

2025年3月8日土曜日

鉄路の闘い La bataille de rail 1946

ルネ・クレマン監督、仏、82分、白黒映画。第二次世界大戦中、占領下のフランスにあって鉄道員などによる対独抵抗運動を描いた映画。

占領下、ドイツ軍は鉄道を使って戦闘用の兵器などを輸送していた。その鉄道輸送にフランス側の妨害工作がある。汽車の運行妨害をしたり、レールをはずすなどの行為で独の輸送を邪魔する。途中では独軍の戦車、軍人を乗せた汽車をレールを外して止め、銃撃戦を挑む。独側も機銃や戦車などを使って応戦する。多くの仏抵抗勢力が殺される。映像的に圧巻はノルマンディへ戦車を多く搭載してゆく列車を脱線させるところか。貨車の横転、多くの戦車が転落していく。最後はドイツが逃げ出し、フランスの国旗をかざした列車が運行され人々が喜んで迎える。いかにも戦争直後の勝利感に溢れている時代の作品に見える。

2025年3月7日金曜日

ハウスシャーク House shark 2017

ロン・ボンク監督、米、111分。家の中に巨大な鮫が現れ、人間を襲う(食う)という映画。

家を売るため客を案内していると鮫が現れ、客を襲う。トイレに座っている若い女が便器に吸い込まれ(下に鮫がいるという設定)、血まみれの便器になる。鮫は巨大な頭しか出てこない。それが家のあちこち扉の向こう、人間の後ろから現れる。この鮫退治に男が三人立ち向かう。若い男はルーズベルトと言い、鮫退治に来た一人はエイブラハム・リンカーンという男である。あと一人が鮫退治専門というザカリーなる男。この三人が鮫退治に挑むのだが、無駄な場面の連続。最後にリンカーンが飲み込まれアル中なので銃で撃て、そうすればアルコールに引火し爆発する、といってその方法でバラバラにする。

悪魔の調教師 Nightmare circus 1974

アラン・ルドルフ監督、米、83分。ラス・ベガスに行く若い三人の女が途中で車がエンコし、男に声を掛けられ、そこの家に電話を借りに乗せてもらう。ところが荒野の一軒家の納屋に閉じ込められる。しかも既に監禁されている他の女らがいた。サーカスに出すために調教しようと言うのである。男の父親が放射能を浴びて廃人狂人化しており、最後にはこの父親に男もやられる。知り合いが警官と共に助けに来て助かった者もいるが、殺された者もいる。

2025年3月6日木曜日

ストーリー・オブ・ラブ The story of us 1999

ロブ・ライナー監督、米、95分。ブルース・ウィリス、ミシェル・ファイファー出演。二人は結婚して15年になる。少年と幼い娘の子供がいる。

夫婦仲は悪化しており、なにかと言い合いになる。子供たちの前では仲の良い夫婦を演じているが、ウィリスは別居を決心する。ファイファーは料理教室で出会った離婚している男に好感情を持つ。ウィリスは自分のこれまでの言いたい放題の問題を友人と話し合い、妻との仲を戻そうとする。ウィリスが家に行ってファイファーに話そうとしたら、奥から料理を作っている男の声が聞こえてきていっぺんに気が変わる。

子供たちがキャンプに行っている。終わって車で迎えに行く。どう子供たちに自分らの離婚を切り出そうか、迷う。キャンプ場に着く。子供たちに再会できて二人とも子供たちも喜ぶ。ファイファーはウィリスに言う。素晴らしい子供たちを作って来た自分たちの間を元に戻したい。ウィリスもファイファーを抱きしめる。

五月の七日間 Seven days in May 1964

ジョン・フランケンハイマー監督、米、118分、白黒映画。バート・ランカスター、カーク・ダグラス、フレデリック・マーチ他出演。軍人が米国をクーデターで乗っ取ろうとする話。

映画制作より数年先、近未来の設定。支持率の低い大統領はソ連と軍縮条約を結んだ。これに対し、空軍の最高司令官であるバート・ランカスターは大反対をする。条約などで平和は保てない。条約など守ったことのない相手である。真珠湾攻撃も条約があったところで防げたはずもない。ランカスターの部下がカーク・ダグラスである。そのダグラスは偶然、秘密の作戦やそのための措置があると知る。なぜ自分が知らされていないのか。調べていくうちに上司ランカスターが仕組んでいるクーデター計画のようだ。大統領に話す。大統領は部下たちにその証拠を集めるよう指示する。本当だった。

大統領はランカスターを部屋に呼ぶ。大討論になる。ランカスターは大統領のやり方では米国を守れない、自分が指令者になるつもりだと主張する。部屋を出てランカスターは計画を進めるが、大統領の方もランカスターを排除すべく手はずを勧める。最後の記者会見で大統領は、いつか国家間のもめごとを平和に処理できる日が来るだろうと希望を述べる。

2025年3月5日水曜日

クロフツ『樽』 The cask 1920

イギリスの推理作家クロフツの処女作。現実的な推理小説として名高い。犯人当てでなく、アリバイ崩しを主眼にした推理小説である。

イギリスにある樽が届く。重いので船から吊り下げて下ろす際に縄が切れてしまい落下した。そのため少しだけ中が分かるようになった。人間の手のような物が見えた。それで警察に行く。連絡を受けて警察がやって来ると誰かが持ち去ったらしい。それは樽の受取人であったから渡したと。警察はこの樽の行方を追う。受け取ったのは郊外に住んでいるある画家のようだ。その男に確かめる。フランスで買った宝くじが当たって、相棒がその賞金の金貨を送って来たと言う。開けてみると確かに若干の金貨が出て来たが、女の死体も入っていた。男は驚愕し、女の名を叫んで気を失う。その後も精神が正常でなくなり入院のはめになる。

フランスから送られてきた樽だから警察はフランスに調べに行く。以前の事件で知り合った友人の警部と共に、樽が来た経緯を探る。まず女の死体が誰か分かる。その主人に会いに行く。妻は行方不明になっている。イギリスに妻かどうか確かめに行って確認する。犯人は誰か。端折って書くと、女の主人かイギリスで受け取った男か、どちらかではないかとなる。主人のアリバイを調べる。問題はなさそうだ。イギリスの男の方が怪しい。イギリスの男は女の情人であったようだ。イギリスで受取人を逮捕する。逮捕された男の友人らがその無実を証明するため弁護士を雇う。女の主人しかいないが、アリバイは鉄壁である。そのアリバイ崩しに行なっていく。(大久保康雄訳、創元推理文庫、1965)

2025年3月4日火曜日

火山湖の大怪獣 Crater lake monster 1977

ストロンバーグ監督、米、83分。田舎にある湖に流星が落ちる。それによって怪獣が孵化したという設定。洞窟の奥で太古に書かれた恐竜の絵を発見する。湖では不思議な出来事が発生する。貸ボート屋をしている男らがいて、そこでボートを借りたアベックは湖から現れた恐竜を見て逃げ出す。ボート屋の男らはアベックを見つけるが事情は分からない。

保安官は不思議な出来事を調べているうちに、殺人強盗犯を見つけ追いかける。犯人は湖のほとりまで逃げるが恐竜に食われる。保安官は巨大な足跡を見て教授に相談に行く。後に保安官も恐竜に遭遇する。対策案を村人を集め協議する。貴重な観光資源ではないかという意見や危険だから退治すべきと、まとまらない。そこに襲われた村人が来るので、恐竜のところに行く。観光にしようと言っているボート屋の一人は恐竜にかまれ投げられ死ぬ。保安官はブルドーザーで恐竜に立ち向かい身体を傷つけ倒す。

2025年3月3日月曜日

平野啓一郎『本の読み方』PHP文庫 2019

小説家の平野啓一郎が2006年に出した書の文庫化。副題に「スロー・リーディングの実践」とあるように速読ではなく、ゆっくり読めと説く。熟読、精読と言い換えてもいいと言う。つまり量でなく質の読書にすべき。現在多くの本を読めるようになったが、昔に比べ知的になっているのだろうか。魅力的な誤読はするべきである。

第2部では具体的な本を取り上げ、その読み方を説明する。取り上げている本は『こころ』『高瀬舟』『橋(カフカ)』『金閣寺』『伊豆の踊子』『蛇にピアス』『葬送』『性の歴史 Ⅰ 知への意志(フーコー)』である。これらの書でその読み方を例示する。

また書き手として小説の執筆についても書いてある。一日4、5枚書ければよく書いたと思えると。他の作家も同様らしい。それに休憩をとる。30分程度書いたら、3~5分は休むそうだ。これの繰り返しで10時間以上机に向かっていられると。執筆はマラソンでなく、短距離ダッシュの繰り返しとある。

2025年3月2日日曜日

島田荘司『占星術殺人事件』改訂完全版 2013

1981年にデビュー作として発表された推理小説の改訂完全版とある。内容は戦前、2・26事件当時に起きた殺人事件を、小説の発表された頃、つまり1980年頃に名探偵が解くという話である。

最初に殺された画家の手記なるものがある。その画家がアトリエで密室殺人される。後に娘など身内の大量殺人、しかも猟奇殺人が起こる。その後、40年間警察などが捜査してきたが、謎のままだった。評価が高いので期待して読んだが、全く小説として面白くない。冗長で読んでいるうち飽き、最後の方は真相などどうでもいいから早く終わってくれと思った。

最初にある手記は昭和11年(1936)に書かれたとあるが納得のいかない記述がある。どう考えても間違いじゃないかと思ったところを以下に書く。p.24に「妙は 現在都下保谷に私が買い与えた家で」とある。東京都が出来たのは昭和18年で、それ以前は東京府。昭和11年に「都下」などという言葉はない。

更に日本帝国の北南東西、それぞれの端が書いてある。p.44に「 幌延もオンネコタンも日本領土と考える者は多いが、(中略)ハルムコタン以南を日本領域と考えるべきである。」とある。領土はどこからどこまで厳密に決まっており、個人の考えで決まるものではない。(戦後日本の領土問題は例外である)手元に昭和9年の「帝国地図」の復刻版があるが、東端は「北海道占守郡占守島東端」とある。占守島はしゅむしゅとうと読む。北端は「北海道占守郡阿頼度島北端」とある。阿頼度島はあらいどとうと読む。占守島、阿頼度島ともにカムチャッカ半島に近い千島列島の島である。いずれも当然、春牟古丹(ハルムコタン)島より北である。他に幾つも同様に北にある島がある。更に西端が与那国島とあるのは噴飯物である。当時の西端は台湾の西にある澎湖諸島である。先の帝国地図の西端を見ると「台湾高雄州澎湖郡花嶼西端」とある。明治当初の日本の領土を基本に考えた、と書いてあるならまだしも、日本帝国と書いてあるのである。まるで戦前の日本の領土を全く知らない、戦後の出来の悪い人間が書いたようなものである。もちろんこれは中心線を東経138度48分とするための推理小説ならではのご都合主義の極みである。