菊富士ホテルとはかつて東京本郷の菊坂町にあった下宿兼ホテルである。大正3年に創業し、昭和19年に廃業した。その後空襲で焼け落ちた。
このホテルが有名なのは、そこに泊まった、滞在した客たちが近代の有名文人、あるいは外国人でその後名を成した人らだったからである。本ホテルはまだその当時、少なかったホテルであって、当局からの許可もなかなか降りなかったとか。洋室もあれば和室もあるが、凡て鍵がかかる個室であって、当時の日本の旅館としては特異である。元々上野の大正博覧会(大正3)で来日する外国人を当て込んでいたらしいが、博覧会後は、色々な者が泊まる。有名な文人が多いが、ロシヤ人で日本学の創始者たちと言うべき者らも滞在したようだ。有名人でここにベージを割いて記されているのは大杉栄と伊藤野枝、また竹久夢二、宇野浩二、広津和郎、坂口安吾らである。
かなりの期間、滞在する者も多く、まるでバルザックの小説のようだと中に出てくるが、確かに『ゴリオ爺さん』の世界を見ているかのようである。戦争が始まるとホテル業は圧迫され、廃業し焼け落ちた。その特異なデザインと共に日本近代史上、回想されるホテルである。
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