著者は林学、公園学等の専門家で東大教授を勤めた。また蓄財の大家としても有名だったらしい。その自伝である。著者は慶応2年、埼玉県に生まれた。よく自伝にあるように歴史ある家に生まれた。兄弟姉妹は多かったが、著者はきかん気で、餓鬼大将であった。これまた偉人の幼少期の特徴としてよく出てくる。年少期は家が裕福であったが、父の死で仕事をしながらの勉学となる。逆境になってより勉強に励む。上京して山林学校(後の東大農学部の一部)に入る。学業優秀で婿の口がかかる。自分を留学させてくれたらという条件で断るつもりだったが、相手方が承知する。かくてドイツに留学する。留学後は東大の教師となる。その後は専門の知識で、例えば日比谷公園の造園に寄与した、など多くの事業を手掛けた。当時の有名人とも交友があり、後藤新平や渋沢栄一などと付き合いがあった。また蓄財の専門家とも知られていた本多は、所得の四分の一を貯蓄に回す方法を紹介する。 ともかく一所懸命努力すれば何事も成る、といった人生を実践し送った人物である。
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