キャロル・リード監督、英、116分、白黒映画、ジェームズ・メイスン主演。
北アイルランドが舞台。映画は組織と呼ばれる集団、これは状況から考えてIRAであろう。なお後のIRAの反英闘争は多く映画化されており、ここでは映画の初めに出てくるように、政治的な主張の映画ではない。映画は仲間から取り残された一人(メイスン)をどう救出するかの話である。組織の資金獲得のため、強奪計画を計画している。ここのボスがメイスンである。刑務所から脱獄して半年の間、隠れ家に潜んでいる。投獄中と合わせると長い間、外に出ていない。仲間の一人は今回の計画に参加しないほうが良いだろうと勧める。メイスンを慕っている女も同調する。しかしメイスンは自分が仕切っているだから、加わると言う。この決断が以降の悲劇を起こす。
強奪実行の後、メイスンは目がくらみそのせいで倒れ、もみ合いの相手を殺したうえ、自分も傷づく。車で逃走する際、傷ついたメイスンは振り落とされる。ひとりで逃げる。煉瓦造りの廃屋のような建物(防空壕)で傷ついた身体を休める。強盗殺人犯を捕まえるため警察は包囲網をしく。組織の家に戻ってきた者らはメイスンを助けるべく、出ていき悲劇に会う。メイスンを慕う若い女も捜しに行く。一方メイスンは傷ついた身体をよろめきながら街を歩き、一部の人間には見つかるが、警察には捕まらない。最後は若い女がメイスンを見つける。警察官たちが向かってくる。もはやこれまでと、女はメイスンと無理心中する。
映画を観ている際、気になるのはなぜ市民らはさっさと殺人犯を警察に突き出さないのか、という点だろう。メイスンの組織はアイルランド人の反英グループである。警察はイギリスの手先である。自分たちの同胞を警察に渡すのに気がひけて不思議でない。かといって殺人犯を助けるつもりもない。できるだけ関わりたくないという気持ちの表れである。メイスンを慕う女は自己犠牲を厭わないのだが、心中だけが相手への思いやりでないだろう。黒澤明の『わが青春に悔いなし』を観てもらいたかった。
なお邦題の『邪魔者は殺せ』は全く内容に合っていない。原題odd man outとは成句で、一人選び出す方法、あるいは選び出された者、の意があり、仲間はずれという意味にもなるらしい。つまり集団で一人他と違う男という意味である。映画を観ていないで邦題を決めたのだろう。Odd manをへんな男と理解し、outは日本語のアウトと思ったのか。原題を尊重するなら「置き去りにされて」といった題が思いつく。あまり売れそうにない題と思えば、全く自由に内容に合った題を作ればいい。日本人の英語はひどいが昔はもっとひどかったようだ。『刑事物語』を『探偵物語』(ワイラー)と訳した例といい、呆れるばかりである。
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