仏の作家エミール・ガボリオによる長篇探偵小説の第一作。ポーに始まる近代推理小説は英のコリンズと仏のガボリオに受け継がれた。共に長篇探偵小説を創始者である。ガボリオは本作であり、コリンズは『月長石』(1868)が名高い。コリンズの『月長石』は創元推理文庫で昔から読めた。それに比べ、ガボリオは翻訳に恵まれてこなかった。コリンズでも『月長石』以外では『白衣の女』が岩波文庫で出たものの、他の長篇小説は傑作選が出るまで完訳がなかった。ガボリオは更にひどく、戦後では抄訳なのだが『ルコック探偵』(旺文社文庫)くらいが読める本だった。
なぜこうもガボリオ(及びコリンズ)は冷遇されていたのか。推理小説の歴史が書いてあると、その名は必ず言及されている。だから推理小説の愛好家は、名は良く知っていても、翻訳がない。その理由は自分の理解では、「本格」推理小説の偏重という以前の我が国の風潮のせいではないか。本『ルルージュ事件』にしても謎解き、犯人の意外性などはもちろんあるが、他のロマンス的、冒険小説的な要素が大きく、「純粋な」推理小説から逸脱している。しかしこれが19世紀長篇推理小説の主流だったのである。まず犯罪が起きる。その謎解きだけでなく、なぜこんな犯罪が起きたかの過去の経緯が延々と書いてあり、こちらの方が主ではないかと思わせるほどである。つまりホームズで言えば『緋色の研究』や『恐怖の谷』のような形式である。
この小説は田舎で起きたルルージュ夫人という未亡人の殺害事件の謎解きが中心である。探偵はルコックでなく、その師であるタバレ親爺が活躍する。ただし探偵が快刀乱麻を断つように解決する話でない。推理小説的な謎と19世紀ならではの浪漫的要素が一体であり、楽しめる。同時代のデュマは昔から読まれているが、あんな感じである。
本格推理小説を大人になってから読み返したら、理屈は合っているものの、こんなこと実際に可能なわけないだろ、と思ってしまった。別に本格推理小説をけなすつもりはない。色々な楽しみ方がある。かつての価値観で高く評価されなかった、本作のような作品が翻訳されるようになったのは喜ばしい。
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