2020年9月12日土曜日

ゲーテ『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』 Wilhelm Meisters Lehrjahre  1796

 


主人公ウィルヘルム・マイスターの成長を描く教養小説である。主人公は女優マリアーネと恋愛関係になる。しかしマリアーネの後援者を本当の恋人と思い込み、女と別れる。またマイスターは父から商業上の修業を受けるよう命令されているので、それに従い、自分の関心である演劇とは一旦離れる。後に巡業する演劇一座や軽業師(サーカス)の一行に会う。サーカスの一員であったミニヨンという娘に会い、惹かれ自分が世話するようになる。ミニヨンは13歳くらいの少女でマイスターを慕う。劇に理解のある伯爵家に会い、シェイクスピアを知り、いたく感銘を受ける。夫人に愛情が芽生える。

伯爵一家と別れ、マイスターは座の運営により関わっていくが、盗賊に襲われる。マイスターが回復した時には、座は事実上解散していた。のちみんなと再会し、座長の妹アウレーリエと恋仲になる。マイスターは自分の息子を見つける。アウレーリエも亡くなる。医者が以前入手したという『美しい魂の告白』という回想が読まれる。マイスターは最後にナターリエという理想の伴侶を得る。ミニヨンは亡くなる。

教養小説の代表と言われ、主人公には作者自身の若き日の姿が投影されている。多くの女と恋愛し、またゲーテの演劇、芸術等に関する意見が聞かれる。

ただ小説としての感銘度はどうだろうか。文豪ゲーテの有名な小説である。ただし正直、称賛しようとか他人に勧める気はおきない。なぜか。本作と限らずゲーテの小説の登場人物は魅力が乏しい、といったら適当でない。何か切紙細工か張子の虎のようで、血が通っていないのである。昔『親和力』を読んだ時、登場人物があまりに機械人形みたいで驚いた。この感じはウェルテルにも通じるし、本小説もそうである。『ヘルマンとドロテーア』は短篇だからかそんな気はそれほどしなかった。『ファウスト』は詩だから基準が異なる。戯曲はそれ自体がこさえ物っぽいからまだ読める。

本作で人間が描かれていると感じるのはミニヨンである。ミニヨンは副主人公でも女主人公でもない。しかし永遠の少女性として記憶されるのは、唯一生命感ある人物だからである。

ゲーテの小説は前近代的なのである。近代の小説の最大の特色は人間が描かれていることである。大昔の創作は話の筋を追う、作り話を語る、という形で作られている。近代になって人間そのものを描くようになった。これが我々が知っている19世紀の西洋小説群である。それ以前でもそう言える創作はある。ゲーテの小説はそうでない。

別に近代の読み方だけが鑑賞の唯一ではないだろうし、何しろ文学史上燦然と輝く大文豪ゲーテの小説というので感心して読める人はそれでよい。

高橋健二訳、河出版世界文学全集第37巻、昭和41

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