ホームズの長篇小説の中でも特に評価の高い作品である。もちろん以前に何回か読んでいるが、どういう点で傑作と評価されるのか、確かめたくて久しぶりに再読した。
旧家に伝わる怪奇な話がある。そこに出てくる犬と関連しているのかと思わせる怪死事件が起きる。財産を相続する甥がアメリカから帰ってくる。しかし彼に危険が迫り、ホームズが助ける。
舞台は最初の方はロンドンだが、大部分デヴォンシャーという田舎である。そこの怪しい雰囲気が大きく小説を支配している。
推理小説は長篇になると短篇に比べ話が長くなる分、謎解きよりも話の展開に重点が置かれる。本作もまさに謎解きより、話の運びが主である。正直最後のネタ明かしは随分幼稚である。そういう点から評価されているとは思えない。
本作品はホームズ物の中では異色作と思った。重厚な小説であり、文学作品としてみると、ホームズ中、最も優れているのではないか。その反面、短篇でみられる軽妙な味は相対的に低い。
あと、この作品はホームズ物で一番の傑作と昔から言われている、それで評価する人もいるのではないか。人気というものはみんなが言っているから、で決まる場合が多い。
個人的には、訪問した医師がホームズを欧州第二、と言ってホームズが憮然とするところが面白かった。
さて再読は翻訳中、古典とされている延原謙訳の新潮文庫で読み始めた。(昭和29年初版)第二章のバスカヴィルの古文書の文語訳などさすがである。
しかし第六章の次の文を読んだ時、ハア?と思った。執事夫婦を追い出したらというワトスンの提案をホームズが一蹴するところである。
「万一罪があるとすれば、虎を野に放つようなもので、先生がたは舌をだして喜ぶだけだよ。」(昭和29年版、p.83)
文脈から言って不自然に思ったので原文をみてみた。(The Project Gutenbergでインターネット上、只で見られる。)
if they are guilty we should be giving up all chance of
bringing it home to them.
これでは捕まえる機会を逃す、くらいの意味ではないか。他に持っている訳本を2種ばかりみたがやはりそう訳してある。これで延原訳はやめ、大久保康雄訳のハヤカワ文庫で読むことにした。
読了後、延原訳の最終ページの最後から二行目を見ると、もっと驚いた、というか笑ってしまった。
「僕はユグノー座の切符をもっている。」(昭和29年版、p.263)
原文は次の通り。
I have a box for ‘Les Huguenots.’
これは独生まれ、仏で活躍したオペラ作曲家マイヤーベアの代表作『ユグノー教徒』のことである。ウィキペディアのマイヤーベアの項を見たら『ユグノー教徒』の解説のところで『バスカヴィル家の犬』が言及されている。延原はクラシック音楽を聴かない人だったのだろう。
ところで現在、延原訳として出ている新潮文庫は改版しただけでなく、子が修正を加えている。新版(平成23年)で見たら、上のユグノー座は『ユグノー教徒』(p.314)になっている。ただ虎を野や舌を出すのところ(p.95)はそのままである。
更に驚いたのは第二章の古文書が現代表記になっている。文語では読みにくいという配慮なのだろう。新版では活字が大きくなっている。これは現代日本では望ましいであろう。
個人的な感想を言わせてもらえば、旧版の文語訳や、山中峯太郎ばりかと思わせるところ、ユグノー座などは面白い。昭和29年頃は、翻訳についてはかなり大らかな時代だった。大人が読む文庫でも抄訳したり、有名人の名を借りただけで実際の翻訳者は一切記されていない例など珍しくなかった。そういう意味でも古典と言えるであろう。
大久保康雄訳、ハヤカワ文庫、昭和59年
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