2021年4月30日金曜日

小沢信男『犯罪紳士録』ちくま文庫 1990

明治以降のいくつかの犯罪をまとめている。最初の3篇は古典的な有名事件である。吹上佐太郎、鬼熊こと岩淵熊次郎、坂田山心中の事件の概要である。それ以降は現代の犯罪と言ってよい。昭和40年代以降の事件を記している。女高生の監禁暴行、女による嬰児殺し、嫁の姑殺し、有名大学の兄弟同士の殺人等々。週刊誌に載せる犯罪話のような感じになる。言葉つかいも当時の流行語のような、何となく安っぽい言い方を使っており、現在では本書の価値を低くしている。

最後に犯罪紳士録、明治大正昭和と題する過去の有名な犯罪者の概要が小さい字で載っている。高橋お伝や都井睦雄から宮崎勤に至るまで有名な犯罪者の説明があり、これは役に立った。

悪魔は闇に蠢く 맨홀 2014

シン・ジェヨン監督、韓国、100分。

これまた女子連続殺害事件もの。犯人はマンホール下の地下に住み、マンホールに被害者を引っ張り込み、殺害する。映画で描かれる被害者(候補)の一人は聾啞者の少女、姉がいる。またもうひとりの少女は父がいて捜索する。今まで沢山の被害者が出ているのに、聾啞の少女は一人で姉を迎えに行き、被害に会う。姉は妹を捜しに地下に行く。また失踪した娘を捜す父親はやはりマンホール下に何かがあるとして潜っていく。韓国映画ならではというか警察が無能で何もしない。韓国映画は警察を非難するために作られているのだろうか。地下には犯人の他、少年がいてこれがなぜいるのか、被害者の味方なのか敵なのかよく分からない。地下で犯人と姉妹、及び父親との戦いがある。韓国映画では他の映画なら、殺す必要もないと思うような殺しが起こる。ここでも父は殺された娘を発見し、犯人を非難するが犯人はお前が殺したのも同然だと(助けに来なかったから)とやり返す。姉妹も悲劇に会う。

正直言って他の韓国映画に比べ感心するところは少ないが、無情さは十分描いている。

2021年4月29日木曜日

鬼はさまよう 살인의뢰 2015

ソン・ヨンホ監督、韓国、102分。

いかにも韓国映画らしく女の誘拐殺害で映画は始まる。主人公の刑事は、最初は容疑者が確定できたので喜んでいた。しかし連続誘拐殺人事件の被害者に、自分の妹がなっていると初めは知らなかった。妹の夫である義理の弟からの連絡で、もしかしたらとなる。容疑者を捕まえ、何としても妹の居場所、もう死体の在り処なわけだが、を吐かせようとする。

しかし犯人はロボットの様に全く動じない。死体の場所が分かった3人の殺害容疑で起訴、判決が出る。その判決に刑事も、夫も全く納得いかない。話の後半はややこしくなり、服役中の犯人を殺すか、あるいは逃がすような一連の動きがある。これは犯人に自ら復讐したいという固い意志の持ち主の画策だった。犯人はアメリカ映画の超人的な登場人物よろしくどれだけ痛めつけられても、不死身のようである。最後に近づくと復讐を図る男が誰か、その企みが刑事に分かるようになる。果たして私刑は許されるのか。

韓国映画は他の国の映画なら敬遠するというか、最初からそうは描かない、が不文律になっているところを遠慮会釈なく徹底的に描き尽くす。それが暴力的、残酷過ぎるように見えるが、それ故に強く迫るものがある。

2021年4月27日火曜日

悪魔は誰だ 몽타주 2013

チョン・グンソプ監督、韓国、120分。

もうすぐ時効になる誘拐殺人事件を担当する刑事。被害者の母親に犯人を捕まえると約束しこれまで捜してきた。容疑者らしき者を見つけ、追うが逃げられる。時効まで2時間で間に合わない。母親に謝る。15年経つ。別の誘拐事件が発生する。祖父が目を離しているうちに少女が誘拐された。脅迫の電話がかかってくる。以前の事件担当の刑事は、この身代金要求の手口が全く昔の事件のやり方をなぞっていると気付く。最初は狂言誘拐で祖父が孫を誘拐し、身代金を要求するつもりでいたと警察は判断し、祖父を捕まえる。祖父は無実を訴える。以前の刑事は疑問を持つ。改めて調べると声紋で奇妙な発見をする。結局祖父は無実と分かる。今回の事件では。しかし15年前の犯人だった。その時の被害者の母親が今度、犯人となってかつての犯人の身内を誘拐したのである。細かい設定が色々あるが、自分の感想を言えばあまりに作り話過ぎている。実際にこんなにうまくいくわけない、とまず思ってしまう。丁度、推理小説で綿密にからくりが仕掛けられていても読むと、実際にはこうはいかないと思ってしまうのと同じである。歳をとると以前なんとも思わなかったところが気になってくる。理屈だけ合っていれば納得できる者向けである。

2021年4月26日月曜日

山崎圭一『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』SBクリエイティブ 2018

本書は、ストーリーとして歴史を描き、年号を出さないという方針のもとに書かれた世界史である。構成としてはあちこちの世界の各地域に飛んで記述するのではなく、地域ごとの歴史を書く。ヨーロッパとか中東とかインド、中国など古い時代ではそれぞれの地域の歴史をまとめて書いている。その後は一体化する時代として、西洋人が東洋など他の地域に乗り出した時代以降は横のつながりで書くという構成である。

書き方の話以前で、どういう内容を取り上げているかを見ると何十年か前の世界史とは随分違うような気がする。中東の歴史をこんなに詳しく教えようとはしなかった。また中国は昔からそれなりの記述があったが、更に量を増している感じがする。最近の非西洋の重視、実際に政治的経済的に重要性を増している地域だからだろう。ただ書き方の点では気になるところがある。歴史というのはどうしてもある視点、価値観、世界観から書かざるを得ない。そうでないと書けないのである。どういう事項を、記述の対象として選んだか、それをどう書くかは著者の見方によるからである。例えば、第二次世界大戦前後の記述で、ファシズムを悪である、対照的に社会主義はスターリンが悪人だったので良くなかった、などと記述してある。これでは昔と同じである。社会主義はファシズムと変わらない、いや一層悪い体制である。なぜなら理論的に「正当化」されているので何十年も自由の束縛のみならず百万単位、いやそれより桁の多い犠牲者を出させた。史上最悪の体制である。現在ならそう分かっている。それをなぜ書かないか不思議である。

2021年4月25日日曜日

アトランティック・リム Atlantic Rim 2018

 ジャレッド・コーン監督、米、85分。

怪獣対巨大ロボットのシリーズもの。大西洋の海中からいきなり巨大な甲殻類のような怪獣が現れる。フロリダの街を襲う。対策本部はロボットで対処するため、急遽開発した研究者を呼び戻す。以前確執があり久しぶりに古巣に戻った研究者。研究者が聞くと以前と違ったOSになっていて、しかも操縦士はシミュレーション練習のみの実戦経験のない連中だけである。男と女二人である。研究者が言うには別のシステムなので操縦士を乗せても動きが鈍く、反応に遅れが生じる。それでもともかく出動するしかない。三人の乗った巨大ロボットは怪獣と対決する。動きが鈍いため一人のロボットは倒され、男の操縦士は亡くなる。後二人で怪獣を倒すが、倒れた体から無数の蜘蛛のような小型怪獣が発生する。それが街を襲う。今までの兵器ではだめなので、小型怪獣を倒しそれを解剖して調べる。女研究者が怪獣を倒す液を開発する。一方新しい怪獣が二匹現れ、上陸する。今度は開発した研究者と軍人が巨大ロボットに乗って対決する。しかし発射装置が壊れ、怪獣打倒兵器が作動しない。二匹の怪獣は合体して巨大化する。軍人操縦の巨大ロボットは体当たりの神風特攻をする。研究者も装置が壊れているので、ぶつかり装置を発射させる。倒れたロボットに救助に乗りこんだら研究者は無事だった。一番感心しないのは、最後の体当たりで相手怪獣に兵器を浴びせた筈なのに、その辺がはっきり映されない。倒れている怪獣は死に、ロボッの中で気を失っている研究者を見つける場面になるだけである。

吉田秀和『音楽を語る』(上・下)芸術現代社 1974、1975


評論家吉田秀和が大学生有志3人を相手に音楽入門とも言うべき話を、やり取りしながらした記録である。内容(目次)は次の通り。

音楽の入り方について/バロック音楽/バッハ/モーツァルト/ベートーヴェン/シューベルト/シューマン/ショパン/室内楽(以上上巻)オーケストラの伝統と文化/ワーグナー/ブラームス/ピアニスト/チャイコフスキーとロシアの音楽/日本の演奏家/ドビュッシー/マーラー/現代音楽/音楽批評(以上下巻)

対談で相手に講義する形であるから分かりやすい。相手の大学生も通を自認しているようであり、全く音楽を知らない相手との対談ではない。大学生らの意見は当時の音楽ファンの代表的とも言うべきであり、それを吉田が訂正と言うか自分の意見を言ったりしている。ここで話されているのは50年近く前の会話で、吉田にしてももし後年これを見返したら別の意見であったろうと思わせる。いずれにしてもやさしい音楽入門として現代でも読む価値はあると思われる。