2019年6月7日金曜日

エッシャー 無限の旅 M.C. Escher - Het oneindige zoeken 2018

オランダ映画、ロビン・ルッツ監督、80分。
だまし絵やデザインで有名なエッシャー、祖国のオランダで制作された伝記映画である。エッシャーは19世紀末に生まれ、長生きした。

本映画は、凡てエッシャー自身の言葉で説明されている。即ち書簡、講演等で残されているエッシャーの言葉による解説で構成される。今では高齢者である息子へのインタビューもある。
正直、エッシャーが比較的最近の人と知った。エッシャーの図案等は勝手に利用されて怒ることもあったようだ。

アン・ルール『テッド・バンディ』(上下)権田萬治訳、原書房、1999年

稀代の殺人者、テッド・バンディ(1946~1989)の伝記である。この伝記というか、殺人犯の記録は通常の犯罪記録とやや異なる。それは著者のアン・ルール(有名な犯罪記録作家)がバンディの知り合い、あるいは親友といってもいい仲であったからである。もちろん連続殺人を犯していく前である。
そのため、できるだけ客観的に事実を記録していくというより、まるで身内の犯罪者を語っているかのような記述が散見される。例えばバンディが犯人でないかと警察から訊かれ否定するところや、刑務所でのバンディの待遇を心配するところなどである。

手にかけた全体の数は、若い女性ばかりだが、分かっているだけでも36人、もっとあるかもしれないという。驚くべきはバンディは2回も脱獄しているのである。特に2回目の脱獄後、数人を殺害している。この辺り、アメリカ人のいいかげんさが影響しているのではないか。
裁判が始まってからも知能の高いバンディは法廷闘争で自分への刑罰を逃れようとする。
最後に処刑になった時には刑務所外で、民衆が歓声を上げたという。

なぜこのような人物になったのか。下巻の最後の方で少しだけ触れている。生まれは複雑である。私生児として生まれ自分の祖父母を父母と、母を姉として育ったという。やがて母は結婚し義理の弟妹が生まれる。しかし自分の出生を知る。

犯罪者は不幸な幼少年時代を過ごした者が多いように思われる。もちろん幼少年時が不幸でも犯罪者になる者は限られている。
ともかくこのような犯罪をできるだけ防止できる(可能性を低下させる)措置が必要である。

2019年6月4日火曜日

岡田暁生『音楽の聴き方』中公新書、2009

著者は「音楽の「語り方=聴き方」には確かに方法論は存在するのだ」(はじめにp.III)という。それならその方法論とは何か。興味を持って読み始める。しかしちっとも面白くない、興味をもって読み進められない。権威ある引用と個人的な体験や感動が色々述べられている。

第1章の最後に村上春樹の文章が引用されている。読めばほとんどの人がそのとおり、同意見と思うであろう。著者は「音楽を聴くことの究極の意味について、これにつけ加えることは何もあるまい」(p.33)と言うのである。呆れる。それまで述べてきたことは何だったのか。付加価値ゼロである。

最後の「おわりに」を読む。小説のようにそれを読む自体が楽しみでなく、何か知りたい、目的を持って読む、手段としての読書ならはじめにの後、おわりにを読むといい。俯瞰が得られる、残りを読む際にも分かりやすくなる。
本書の「おわりに」を見ると、箇条書きで要約が書いてある。ここを読めばよい。大体同意できるというか、当然の事柄が書いてある。同意できないところもある。どちらにしろ新味は全くない。
本書を読もうとする人はまず最初に「おわりに」にある要約を見ればよい。これで自分にとって読む意味があるかどうか分かる。

「あとがき」を見てもボルネオへ行ったとか、ジャズばかり聴いていたとか著者自身の経験をまた延々と書いているが、読者が知りたいのは音楽の聴き方であって著者自身には興味はない。大学の先生は知見経験のない学生を相手にしているからそれで済むことでも、当該事項に関心のある読者には本当に「内容のある」(難しい書き方で煙にまくのでなく)ことを書かないと相手にしてもらえない。正直本書は著者の権威を保たそうとするなら書くべきでなかった。

モーム『シェピー』 Sheppey 1933

モームによる3幕の劇。シェピーとは床屋に勤める主人公である。そつない腕を持ち、評判がいい。そのシェピーに8,500ポンドという巨額の、競馬の一等賞が当たる。この大金になんとかありつこうと周囲の人々は奮闘する。

最初シェピーはある島を買うつもりでいた。しかし貧しい人たちを見て、それらの人々に分け与えようとする。家族等はなんとか止めようと躍起になる。援助を受けた人たちも大して喜んでいないようである。遂に周囲の者たちはシェピーを精神病と診断させ、施設に入れようと画策する。

棚ぼたの大金にありつこうとする人々と対照的なシェピー、分かりやすい劇である。
新潮社版モーム全集第22巻、瀬口城一郎役、昭和30年

吉川節子『印象派の誕生』中公新書、2010

マネとモネを論じる。特にマネが中心である。ルネサンス以来の伝統を革新した、近代の絵画である印象派がどのように始まったかを考察する。

まずマネを中心として有名な画家等が描かれている「バティニヨル街のアトリエ」(1870年、ファンタン=ラトゥール作)の説明から始まる。誰がどの画家等なのかの説明の後、絵にある静物等の意味するところが解説される。
続いてマネの有名な「草上の昼食」「オランピア」に移る。大醜聞を巻き起こしてこれらの絵は、伝統的絵画を真似ながら美術上の約束事を破り、当時の社会を批判したのであった。
更に「バルコニー」「鉄道」では人物たちはお互いに目を合わせず、近代の疎外、心の通い合いのない様を描く。

モネはアトリエでなく、戸外に出て日の光のもとで描いた画家である。印象派でいう印象とは、普通はモネの絵がまず浮かぶ。マネ自身も自分の印象を描いていると言っている。その印象とは近代人の心の闇であった。

2019年6月2日日曜日

クイーン・オブ・アイルランド The Queen of Ireland 2015

コナー・ホーガン監督、アイルランド映画、86分。
クィーン・オブ・アイルランドと呼ばれている、ゲイの男(女装している)が主人公で、いかにしてゲイ(のみならずLGBT)の権利を認めさせるまでに至ったか、の記録映画。

主人公は田舎町で生まれた。自分がゲイであると知る。当時では、特に田舎では、全く容赦されない。都会に出る。更にバブル期の東京に来て、ゲイのショーで活躍した。90年代以降母国に戻る。ゲイとして売り出す。マス・メディアにも出る。特別問題ないと思った発言も保守派から総攻撃を受ける。その後アイルランドでは世界初の、LGBT同士の結婚を認める国民投票をすることになった。主人公は何とか認めてもらうよう奔走する。
そして投票、結果によってアイルランドの国民は狂喜する。LGBTの権利にとどまらず、人権が前進したのだと。映画の最後は、主人公は保守的な故郷の田舎に帰ってショーをする。熱烈な歓迎を受ける。

ゲイの映画と聞くと何か特殊な世界が描かれるかと思うかもしれないが、もっと一般的に少数者が権利を獲得するまでの記録と言った感じで、かなり感動的な映画になっている。
国立フィルムアーカイブの上映では、映画の終了で拍手が起こったほどである。関係者が来ていないのに。

古代の森 Sengirė / The Ancient Woods 2017

ミンダウガス・スルヴィラ監督、リトアニア映画、83分。
リトアニアの森に棲息する生き物たちを描いた記録映画。

リトアニアの古代は森に覆われていたが、今では非常に狭い地域にのみその名残がある。森に棲む生物を記録している。自然の記録映画は、俯瞰的というか巨視的に撮ったものは何度か観た。この映画では接近して微視的な撮影をしている。鳴き声も録音している。映像は遠くから望遠レンズで撮影可能だが、鳴き声のような音は簡単に録音できない。かなり苦労してとったようだ。そのため映像と音は必ずしも同時に撮ったものではないそうである。
ともかく普通ではまず見られない生物たちが至近距離で動く、あるいは蠢いている様子が撮影されている。