スティーヴン・ミラー監督、米英、99分。
アーロン・エッカートは警官で少年相手に雑談していた。その頃、誘拐犯が身代金を取りに来るというので警察は待ち構えていた。犯人は警察がいると知り逃げ出す。警官たちが追う。警察の無線電話で犯人の追っかけを知ったアッカートは近くと知るので、追いかける警察一団に加わる。かなり長い間の追っかけで、ついに路地に追い詰める。向こう側を向いていた犯人はぶり向くと銃を構えている。アッカートは発砲し犯人はたおれた。
これで警察署長からどやしつけられる。署長の娘が誘拐され、その犯人を殺してしまったので、娘の在りかが分からなくなってしまった。銃を置いて謹慎しろと署長は命令する。並行してインターネットを使った素人の私的放送があった。若い女の子二人でやっている。レポートにきた女子は盗聴してアッカートに犯人を殺したのかと詰め寄る。アッカートは誘拐された娘の救出が一番だと女子にも分からせる。女子はアッカートに車を貸す代わりにつきまとい、逐次レポートをし、アッカートの行動はインターネットで多くの者が視聴する。本職の放送局もそのインターネット映像を流す。
アッカートが殺した誘拐犯は兄弟がいて、これが復讐のためアッカートを襲う。街中で銃撃戦になり多くの警官が死ぬ。アッカートが負傷させ警察が捕えるものの、救急車から犯人はまた多くの警官を殺して逃走する。アッカートらは誘拐された署長の娘の居所が分からない。時限があってそれに間に合わないと助からない。犯人は虚偽の情報しか教えない。何度か警察はだまされる。最後には間に合う。
こうした映画の常で、少女レポーターはどんなに危険な目に会っても殺されることはない。正気の沙汰と思えない行動に出るが、映画の約束事で守られている。また誘拐された娘も助かる。もちろん主人公も死なない。こういう決まりの下での映画なので、観客はそれを望んでいるにしても、やはり見ていて覚めるところがある。ルールの下での制作のようなものか。また素人レポーターは嬉々として自分の行動を正義と見なしているが、メディアによって犯罪が伝えられ、それを真似する者がいて新たな犯罪が起こる。こういう犯罪教唆機能をマス・メディアは自覚しているのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿