2018年7月5日木曜日

長谷川宏『幸福とは何か』中公新書 2018


 幸福とは何か - ソクラテスからアラン、ラッセルまで (中公新書)
本書は西洋の哲学者等が、その著で幸福あるいは道徳について、どう述べているかをまとめたものである。

取り上げられている思想家等は、古代ギリシャ、ローマではソロン、ソクラテス、アリストテレス、エピクロス、セネカであり、近代ではヒューム、アダム・スミス、カント、ベンサム、20世紀ではメーテルリンク、アラン、ラッセルである。

なぜ西洋中世がないのか。中世はキリスト教が支配していた時代であり、現世の幸福への問いとは、迂遠な世界だったからと著者は述べる。一見尤もらしく聞こえるが、次のような疑問が出てくるかもしれない。西洋人の幸福感はキリスト教信仰に大きく影響されており、いや西洋に限らず宗教は、現生での安心をもたらすための死後等についての教えではないか。だから個人の幸福感と宗教は大きく関係しており、それについても論じていいのではないか。
しかしこのような問いというか要望は、お門違いである。本書はその時代に賢人たちが、幸福についてどう語ったかを論じた書である。だからその時代に適当な著作がなければ、いくら後世の幸福感に影響を与えたとしても対象外なのである。

近代のうちアダム・スミスとベンサムは社会思想家である。著者はベンサムの最大多数の最大幸福をくそみそに批判している。評価していないのだから、もっと簡単に済ませてもよかったのではないかと思った。アダム・スミスとベンサムのところでは、著者のような哲学者の、社会科学、社会思想への思いというか批判、解釈が述べられている感じがする。

さて20世紀である。メーテルリンクは本著のうちで、普通、思想史の類に出てこない人である。その『青い鳥』について引用を含め延々と説明している。よほど著者は『青い鳥』に思い入れがあるのか、正直これほどページを割く理由について、自分はよく理解できていない。最後にある「大切なのは、青い鳥がいるかどうか、返ってくるかどうかより、青い鳥を求めつづけることだ、と」(p.204)は当たり前過ぎるが、まさにここで言っているように結論だけではないのであろう。
なお著者は序章と終章で、随筆風に、すなわち我々がイメージする幸福論的な文章を綴っている。

本書名だけみると、人生訓や自己啓発本にもありそうな名だが、もちろんそんな類の本ではない。これを読んで幸福についての考えが変わるようなものでないだろう。ただ知識は増える。

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