2018年7月25日水曜日

転校生レナ Чучело 1984


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ロラン・ブイコフ監督、125分。
ロシヤの田舎町の学校でのいじめを描く。

少し前に都会から田舎の学校に転校してきた少女レナは、他の生徒たちからいじめられている。帰宅し祖父から聞かれ、そのいきさつを話す。
転校してきてから、クラスの一人の男の子に興味を示す。英雄のように見えた。
自習の時間、チンピラがやって来て、サボって映画に行くことをけしかける。みんなはその気になり、先生の見舞いとの言い訳で学校を出る。あの男の子が忘れ物を取りに戻る。少女も後をつける。男の子は先生に見つかり、映画に行ったと話す。

明くる日、先生はサボった罰として、予定されていたモスクワへの観劇旅行を中止すると生徒たちに言い渡す。子供たちは集まり、誰が先生に告げ口をしたか見つけ出そうとする。誰も手を挙げない。男の子は無言のままである。とレナが手を挙げ、自分だと言う。

これ以降レナは裏切り者として、仲間はずれだけでなく、いじめを受けるようになる。
レナがいじめを受けるようになってから、彼女は男の子に会う。男の子はみんなの前で告白すると約束する。みんなに男の子は言いかけるが、やはり自分でないと否定する。見つかったレナは縛られ、彼女を模した藁人形を火炙りにする罰を受ける。レナは暴れ出し、みんなは逃げる。
最後には真相が明らかになる。嘘をついていた男の子をみんなが制裁しようとするが、レナは止める。レナは再び転校することになった。祖父と共に町を出る。奇人として知られていた祖父は絵画の収集をしていた。その高価な多くの絵を町に寄贈して孫と去った。

まず気になったのは、そもそも自分たちが授業をサボって映画に行ったという点に、全く生徒たちは反省する気がない。ともかく裏切り者を糾弾し、制裁しようとする。他人を非難してばかりの人は日本にも当然いるが、外国ではそれが甚だしいように見える。

なお映画の原題を辞書で調べると、藁人形、醜い子といった意味らしい。レナは仇名で、かかしと呼ばれている。このかかしが藁人形、ひいては醜い子になるとは我々には分からない。映画の中でレナが自分は醜い、きれいになりたいと祖父に泣く場面がある。
邦題については、よく批判がある。最近の差別語禁止の風潮から、実際に映画の中で差別されているのに、それが映画の言いたいことなのに、当たり障りのない言葉にしてしまうのは映画に対する冒瀆ではないか。

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