2020年8月30日日曜日

バルザック『浮かれ女盛衰記』 Splendeurs et misères des courtisanes 1838~1847

 

バルザックの後期の長篇小説。美青年リュシアンに恋する娼婦のエステル、リュシアンを後援する悪党のヴォートラン、その他の人物がいれ乱れ、前々の作品から登場するヴォートランがどうなったか語られる。

社交界で話題の美青年リュシアンと高級娼婦エステルは相思の仲である。リュシアンを高い地位につけるため貴族令嬢の結婚が必要だが、それには巨額の金がいる。リュシアンを後援する悪人のヴォートランは本小説ではスペインの司祭エレーラと名乗っている。エステルに入れ揚げているユダヤ人の銀行家ニュシンゲン男爵を手玉にとり、エステルの下女をしている身内の女を通じて巨額の金を巻き上げる。

しかしエステルは自殺する。これを毒殺と見なした警察によってヴォートラン、リュシアンともに逮捕される。小説の後半は、ヴォートランが官憲といかに戦うかの展開となる。

ヴォートランは天才的な悪人で、官憲と渡り合う能力がある。しかし世間知らずのリュシアンは自分の余計な自白で、ヴォートラン共々窮地に陥らせたと悩み、監獄内で縊死する。ヴォートランは頭を働かせ、役人どもと丁々発止の戦いをし、掣肘を加えようとする貴族の夫人や役人の権力抗争の間を泳ぎ抜け、処刑どころか最後は出世までする。

最後の方で当時のフランスの司法の実態は、機械的に刑法が適用される世界とはほど遠いと分かる。有名なヴィドックのように泥棒から刑事になった実例があるから、当時はそれほど不思議ではなかったのであろう。(東京創元社、藤原書店で訳が刊行されている)

緋色の街 Scarlet Street 1945

 フリッツ・ラング監督、米、102分、白黒映画。中年男が娼婦に惚れ、利用される。


主人公は戦前のギャング映画でお馴染みのジョージ・ロビンソン。実直な会計係で長年の勤続により社でお祝いを受ける場面から映画は始まる。終わってその帰り道、ロビンソンは若い女が暴力を受けているところを見る。駆け寄り男を倒し警官を読んでくる。戻ってみると女しかいない。遅い時刻でロビンソンは女を送っていく。茶を飲む。女に職業を訊かれ、趣味の絵描きから画家と答える。ロビンソンは家庭では恐妻家だった。女は娼婦で、殴っていたのは恋人の男だった。

男は女にロビンソンから金をせしめようと持ち掛ける。ロビンソンは女に惚れているので、なんとか苦労して金を持って来る。家では妻から文句を言われている絵を持ち出し、アトリエ用の家を借りそこに女を住まわせ自分も好きな絵を描く。ロビンソンが持ってきた絵を男が売ろうとして持ちだす。専門家から評価される。作者を訊かれ、女だと答える。女の名で絵が売れ、女は画家として有名になる。ロビンソンは二重に騙されていたわけである。絵を女の名で売りその金額を男が着服している、男は女の愛人である。

ロビンソンは絵が女の名で売られていると知り、女に問い詰める。それしかしょうがなかったと。ロビンソンは承諾した。だが後に女の愛人が男と知ると嫉妬に狂い、女を殺す。男が容疑者として捕まり死刑になる。しかしここで映画は終わらない。ロビンソンは死んだ女の声の幻聴に悩まされ、自首しようにも聞き入れられず、惨めな人生を送る。

素人画家の絵が本人に知らずに高く評価され、陰で儲ける男がいるという松本清張の短篇小説があり、それを思いだした。また自分の絵が他人の名で売られていると知れば、普通はかなり怒るのではないかと思った。

2020年8月28日金曜日

その女を殺せ The Narrow margin 1952

 

フライシャー監督、米、70分、白黒映画。裁判の証人を刑事が列車で護送する。

シカゴからロサンジェルスまで、裁判の証人(女)を列車で護送する。二人の刑事が女のアパートに着く。階段で降りるところを狙撃され、刑事の一人は殺される。残った刑事一人で女証人を連れていく。列車には女を消そうとする悪漢どもが乗りこむ。悪漢たちは女の顔を知らない。刑事をつけ回し、女の居所を捜そうとする。

刑事が偶然会った婦人やその幼い息子、更には巨漢の乗客とのからみがある。悪漢どもは女を見つけ探害する。しかしどんでん返しがあり、真相が分かり悪人どもも逮捕される。

刑事が証人を護送するアメリカ映画は多くあるが、初期の作品だろう。列車内の緊迫した描写が比較的短時間におさめられ、映画だから変に感じるところは当然あるが、観やすい作品である。

2020年8月27日木曜日

ケルベロス、紅の狼 O Doutrinador 2018

 


グスタヴォ・ボナフェ監督、ブラジル、108分。警官がガスマスクをつけ、悪徳政治家連を退治する話。

主人公は警察特殊部隊で汚職知事を逮捕する。のち釈放される。幼い娘と一緒の時、銃撃を受け娘は亡くなる。絶望した警官は目の所が赤いガスマスクをかぶり、悪徳政治家等を狙撃し片付けていく。これには若い女ハッカーの助けがあった。大統領に立候補した実業家側にハッカーを人質に取られ、相手候補をテレビ討論中に殺さないと、ハッカーの命はないと脅かされる。警察側も狙撃犯が警察官ではないかと突き止め、狙っていた主人公は、友人の警官に邪魔される。結局、大統領候補の殺害はなかった。ハッカーの女も自力で逃げだす。主人公は警察に捕まった。

大統領に当選した悪党を始末するため、主人公は警察を脱獄する。その前に上司たちも賄賂を受け取っていると分かり、警察内の腐敗を知る。敵の護衛たちを片付け、大統領も射殺する。乗ってきた自動車には爆弾を仕掛けてあり、ビルごとふっとぶ。

非常に単純な筋であり、ブラジルの汚職構造を反映しているのだろう、決してなくならないと映画内でも言っている。ともかくブラジルのアクション映画を観られて貴重な体験だった。

2020年8月26日水曜日

吸血髑髏船 昭和43年

 松野広軌監督、松竹、81分、白黒映画。

悪漢どもに乗っ取られた貨物船上。西村晃とその妻松岡きつこを初め、乗客は銃殺される。3年後になる。殺された妻の妹がいる。松岡の二役、双子という設定。松岡は恋人がいるが姉が忘れられない。

あの悪漢どもの前に、殺した松岡の幽霊のようなものが現れ、次々と死んでいく。妹が頼みにしていた神父は実は悪党で、妹を絞殺し西洋甲冑に入れる。神父らはあの自分たちが皆殺しにした貨物船を沖に発見する。ボートで船に着く。そこで死んだはずの西村に一人の悪漢は殺される。西村を殺した偽神父へ松岡が降りてくる。妹は死んでなく、復讐に来た。偽神父も死に、西村も船と運命を共にする。実際はもっと長かったらしいが、編集で大幅に削られたらしい。主演松岡のエキゾチックな美貌と、悪漢どもはやくざ映画の悪役ボスが勢ぞろいで、筋より登場人物を見る映画だろう。

2020年8月25日火曜日

デュマ『千霊一霊物語』 Les Mille et Un Fantomes 1849

 

アレクサンドル・デュマによる怪奇小説集。形式は枠物語、大勢の話者が夫々話を語るというもので、短篇集に近い。内容は死んだ者が生者に働きかける、という点で一貫している。小説は妻を殺した者が自首してくるところから始まる。斬首した妻の首がしゃべった、というので下手人は恐怖におののいた。居合わせた者たちは、実際にそんなことがありうるかと議論になる。

デュマの時代はギロチンで首が胴と離れてもまだ生きているのではないかと議論があった。小説はその反映である。小説中、それを否定する医師が出てくる。俗物と描かれ、最後の方では出なくなる。当時の議論の反映だから、こんな人物を出したのである。人々は自分の経験等を物語る。その話の章名は以下のとおり。

「シャルロット・コルデーの頰打ち」「ソランジュ」「アルベール」「猫、執達吏、そして骸骨」「サン=ドニの王墓」「ラルティファイユ」「髪の腕輪」「カルパチア山脈」「ブランコヴェアヌの城」「ふたりの兄弟」「ハンゴー修道院」

本邦初訳である。デュマの小説は「三銃士」「巌窟王」ばかり繰り返し出され、他の小説はたいして出ていない。解説にあるようにデュマ名義の小説は何百もあるのだから、もっと未訳の作品を出して欲しい。文庫でこれまで出た小説は、三銃士の続篇小説群、「王妃の首飾り」「王妃マルゴ」「赤い館の騎士」「黒いチューリップ」などか。黒いチューリップはアラン・ドロンの映画があったせいか何度も出版されているが、デュマ愛好家でこの映画を観た者はどのくらいいるのかと思う。電子書籍のKindleではDelphi Collected Works of Alexandre Dumasという英訳集が出ており、これには31編の長篇小説の他、短篇、ノンフィクション、伝記などが入って99円で買える。電子書籍が出て以来、日本が翻訳大国とは噓と分かった。英語だから時間をかければ読める。もっとも日本語で読めればこしたことはない。ただ売れそうもないから出さないだろう。デュマ愛好家には英訳での読書を勧める。

前山悠訳、光文社古典新訳文庫、2019

2020年8月23日日曜日

『グラン=ギニョル傑作選』 2010

 

フランスはパリ、グラン=ギニョル劇場という劇場で、20世紀前半に上演された恐怖演劇の集成である。劇自体もグラン=ギニョルと呼ばれた。その台本集、戯曲集である。収録は以下のとおり。モーリス・ルヴェル「闇の中の接吻」、アンドレ・ド・ロルド/アンリ・ボーシュ「幻覚の実験室」、ガストン・ルルー「悪魔に会った男」、 ウジェーヌ・エロ/レオン・アブリク「未亡人」、シャルル・メレ「安宿の一夜」、ピエール・シェーヌ「責苦の園」、マクス・モレー/シャルル・エラン/ポル・デストク「怪物を作る男」。

ここに収められたグラン=ギニョルは日本式に言えば、ほぼ大正年間に上映された劇である。古い時代ならではのおどろおどろしさがある。筋は単純、視覚的には刺激的、まるで無声映画を観ているような感じになる。現代の恐怖小説や映画のように凝っていて、込み入った筋、斜に構えた視点とは対照的である。加えて古き良き時代のフランスの劇なので、我々にはエキゾチックな魅力も感じさせる。

真野倫平訳、水平社、2010