2025年2月27日木曜日

中野雄『丸山眞男 人生の対話』文春新書 2010

前著『丸山眞男 音楽の対話』に続く続編である。社会人となってからも丸山真男との交流を続けた筆者により、丸山の思い出が色々書いてある。

前書同様、音楽談議が続き、またオーディオに関しての丸山の関心ぶりも書いてある。丸山は好奇心が強く、何でも徹底的に調べて臨んだという。機器の説明書は隅から隅まで読み、病院に入った時は自分の病気を詳しく調べ、医者に尋ねる。

本書の著者は大学卒業後、日本開発銀行に入った。それで開銀の下村治について随分書いてある。周知のように下村は日本経済の成長力を見抜き、国民所得倍増計画(1960年以降)を政府が策定する前に、同様の日本経済の将来の姿を示した。それで下村が同計画の発案者であるかのように言われてきた。また後になって下村が今度はゼロ成長を言い出し、その際も若干は注目を浴びたが、当時は批判が多かった。それをこの著者は自分がいた開銀の有名人であった下村を高く評価し、このゼロ成長論も将来を見抜いていたと書いてある。高度成長を予言したのは有名だが、ゼロ成長論は一般にはあまり評価されていない気がするが。

なぜこんな話題があるかと言うと丸山が政治学を廃業したのは高度経済成長を見抜けなかったから、と書いてあるのである。しかし日本経済の高度成長はほとんどの人が予想できなかったので、だからこそ下村の名が今でも残っているのである。丸山の予想が外れたのは、日本が豊かになればもっと労働組合が活動的になり、左翼路線が活発になると期待していたのに、日本が保守的になったという点だろう。丸山の大いなる失望でもあった。

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