2024年5月31日金曜日

ロストシティZ 失われた黄金都市 The lost city of Z 2016

ジェームズ・グレイ監督、米、141分。実話を元に映画化。

20世紀初頭、英の軍人は親が放蕩者だったせいか評価されていない。何とかしたい出世欲がある。南米ボリビアに測量に行けという命令を受けて行く。そこにはかつて素晴らしい国があったと聞く。これを見つけ出したい。その探検に生涯をかける。妻や子供は反対する。発見できなかったので非難される。何度も行く。男の子は長じて父親と一緒に行く。第二次世界大戦中行方不明になる。妻は戦後9年間生きていたそうである。

2024年5月30日木曜日

恐喝(ゆすり) Blackmail 1929

ヒッチコック監督、英、82分。イギリス初の発声映画だそうである。

刑事の恋人はデートの最中、刑事と喧嘩して、たまたま眼が合った男に付いていく。男の部屋で乱暴されそうになる。格闘の最中、ナイフを手に取って男を刺す。男は死んだ。女は逃走する。明くる日、現場検証で刑事は恋人の手袋を発見する。恋人に拾った手袋を見せて問い詰める。実は目撃した男がいて、刑事と恋人相手にゆすりをする。横柄な態度で命令する。この男は犯罪者で警察がかぎつけ、逮捕に来る。男は逃げ出す。大英博物館に行き屋上の天窓から落ちる。女は自首するつもりで警察に行く。話そうとした時恋人が来る。女を連れ出す。警察は女がゆすった男を犯人だと話すつもりでいたと思って、後から刑事、女、警察官の三人の場面で笑う。

2024年5月28日火曜日

野矢茂樹『哲学な日々』講談社 2015

哲学者、野矢茂樹が新聞に連載した文章と後半はそれ以外に書いた哲学的随筆から成る。このうち前半に入っている国語に関する文を話題にしたい。

ここで野矢教授の意見は従来からの自分のそれと全く同じであり、うれしくなった。自分の意見を分かりやすく書いたり口頭で伝える技能は誰にも与えられているわけでない。それどころかかなりむつかしい。前々から思っていた国語と文学を別の科目にすべきとここに書いてある。国語では実用的な日本語表現の訓練をすべきである。

今までの国語ときたらおよそ意味がとりにくい文を読ませ、どれが言いたいことかを選択肢から選ばせるという問題が結構あった。つまり分かりにくい文でよいのだ、読み手に正しい読解の全責任はあるのだという考えを百年以上日本人の頭に叩き込んできたのである。自己表現など全く関心がないのだ。これが日本人が英語を使えるようにならない遠因になっている。また要約を書かせろと本書にある。これにも賛成である。読書感想文などは止めて要約を書かせるべきである。

殺人! Murder! 1930

ヒッチコック監督、英、102分。劇団の女優が殺された。同じ部屋にはもう一人の女優がいただけで人が出入りした様子はない。もう一人の女優は記憶が定かではない。

裁判が行われる。女優に有罪判決が下る。陪審員の中の一人は納得できなかったが、他の連中の圧力で有罪にしたのだ。その男は容疑者の女に会いに行く。何か容疑者には秘密があるらしい。結局犯人は空中ブランコの芸人だった。身軽なので犯行後、窓から飛び出て逃走したのである。空中ブランコ芸人は自分の隠している私的な秘密がばれないか危惧して殺人に及んだのである。容疑者の女優は自由になった。

サニーサイド Sunny side 1919

チャップリン監督、主演、米、30分、無声映画。チャップリンは村の旅館兼雑貨屋のようなところで働いている。寝坊して主人に𠮟られてばかりいる。村の娘に恋している。しかしその旅館に都会の若い男が泊まりに来て娘と知り合い、意気投合する。チャップリンは失恋するばかり。

2024年5月25日土曜日

『教科書名短篇 少年時代』中公文庫 2016

ヘッセ『少年の日の思い出』、魯迅『故郷』以外の収録作品は以下の通り。

永井龍男『胡桃割り』(1948)語り手が少年時代の、胡桃割りに関する思い出を語る。わがままに育てられた故の、子供の自分勝手な言動を読んでも少しも感情移入できなかった。親がこわい、親の顔をみて、何も言えずに育つ子供はいくらでもいると思う。井上靖『晩夏』(1952)田舎の浜辺、夏が過ぎ海水浴客がいなくなったが、療養に来ている少女の家族はまだいる。語り手はその少女に惹かれているが故に、仲間をけしかけて意地悪をしようとする。大学生が来て少女と一緒にいるので、その大学生に怒る。あまりにもパターン化された筋で読んでいて驚く。この展開はどれだけ映画などに使われて来ただろう。文字通り呆れた作品であった。

長谷川四郎『子どもたち』(不明)四つの挿話から成る。最初の話はジュウシマツを飼おうとした少年が父親に反対される。親を説得するが最後は不幸な結果になる。最後の行の少年の思いは、どう理解したらいいのか。次の話は納豆売りの少女を語り手が助けようとする。納豆など半世紀以上前は東日本の者しか食べなかった。西日本の人間は名前くらいしか知らなかった。著者は北海道の生まれだから書けたのだろう。三番目は子供が子犬を拾ってきて、母親は捨てに行く。大雨が降ってきて子犬を母親は捜しに行くが見つからない。子供は気にしていないようだ。最後は牛乳配達される牛乳が盗まれる話である。最初は新聞配達の少年を犯人と疑ったがそうでないと最後に分かる。安岡章太郎『サアカスの馬』(1955)語り手は不真面目な生徒にしか見えない。サーカスに行って貧弱な馬を発見する。最後に自分の思いが間違っていたと知る。吉行淳之介『童謡』(1961)は病気にかかった少年の体型がひどく変わる。最初は痩せ、次に多太りになる。

幻想的な話。竹西寛子『神馬』(1972)は島にいる有名な神馬を少女は知る。神馬ならではの仕草にみんな感心する。少女はある日、その仕草の秘密を知り悲しくなる。山川方夫『夏の葬列』(1962)は戦時中の出来事、田舎に疎開していた少年は、戦闘機の機銃掃射を経験する。やはり疎開していた少女の悲劇が起こる。戦後大人になってから訪れた田舎であの日と同じような葬列を見る。その際自分の思いが間違っていたと悟るが更に反転して事実を知る。三浦哲郎『盆土産』(1979)は父親が帰省する。土産に海老フライを買ってくるので、初めて見て食した子供らの驚き。柏原兵三『幼年時代』父親が息子たちに肝試しをさせる。お墓など怖くて兄弟誰も行きたくない。その顛末。阿部昭『あこがれ』(1965)は少年が近所に住む少女に憧れる。母親はその少女との付き合いを好ましく思わない。

2024年5月22日水曜日

ヘッセ『少年の日の思い出』 Das nachtpfaueuauge 1911

子供の時に教科書に載っていて読んだ作品。

戦前と違って国定教科書ではない。教科書によっては載せていないものもあったのだろう。ただインターネットによれば多くの人が教科書で読んだと言っている。ヘッセの作品を読みだしたのはそれからあまり経っていない時期だったろう。ヘッセと言えば『車輪の下』や『デミアン』その他などが全集や文庫で出ており、短篇である『少年の日の思い出』は教科書以来、見かけたことがなかった。

少年時代に蝶の収集をしていた男が物語る当時の挿話。隣に高慢ちきな少年がいてやはり蝶を収集していた。ある日珍しい蝶を手に入れたと聞き、その家に行く。誰もおらず標本になった蝶に見とれる。それを欲しくなり手に取る。誰かが来たので慌ててポケットに入れた。女中だった。蝶を出してみるとバラバラになっていた。帰宅し母に告げる。母は早くその持ち主に事情を話し謝れと言う。少年に会う。話して自分の蝶をみんなあげると言う。しかし相手は嘲笑するだけで要らないと言い、自分を見下げるだけである。語り手の少年はそれまで集めていた蝶を凡て潰す。知り合いの少年の物を盗むと言えば有島武郎の『一房の葡萄』と同じだ。『一房の葡萄』は1920年の発表である。この作品を読んで影響されたのだろうか。不明である。(「教科書名短篇、少年時代」所収、中公文庫、2016)

2024年5月19日日曜日

ヴォイジャー Voyagers 2021

ニール・バーガー監督、米チェコルーマニア英、108分。地球外の人類の住める惑星捜しというよくある映画。ただし乗っているのは若者30人で、大人は指揮官のコリン・ファレルのみ。80年以上の長旅となるので、孫の代しか到達できない。

乗っているのは優秀な人間と思いきや、少年院から宇宙に追放されたかと思うような連中ばかり。悪の若者は思うようにならないのでファレルを事故死に見せかけて殺す。しかもその後の投票で自分が指導者に選ばれなかったので、選ばれた男を殺そうとする。悪の指導者づらに簡単に言いなりになる他の若者たち。殺し合いになる。悪の男を殺して騒ぎが収まると、簡単に元の秩序に戻る他の若者たち。展開についていけない。

ブレット・トレイン Bullet train 2022

デビッド・リーチ監督、米、126分、ブラッド・ピット主演。東京から京都までの新幹線もどきの列車内が舞台。そこに殺し屋らが満載で、次々と格闘が起きる。

映画に理屈を求める気があると、こんがらがる。ケースに大金が入っていて、それを取り戻そうとする動きがある。また過去の恨みを晴らすために乗っている殺し屋がいる。日本が舞台なので、若干は日本人も登場する。現実性ゼロの映画である。だから見終わって面白いと感じられるかどうかで判断すべき映画であろう。

パリより愛をこめて From Paris with love 2010

ピエール・モレル監督、仏、95分、ジョン・トラボルタ主演。パリの米大使館勤務の若い男はCIAの下働きもしている。テロリストどもを片付けるため、CIAから派遣されてきたのが、ジョン・トラボルタ。登場の税関からして、ハチャメチャで非常識な言動で周りの度肝を抜く。格闘や銃撃戦で敵どもを次々と倒していく。

途中で大使館員の恋人がテロリストの手先と分かる。よくある展開だが、そんなにまでしてテロリストになるのかが不明。最後の見せ場は要人たちの集まる場所を爆破しようとする企てである。これは大使館員によって阻止された。型破りのトラボルタと堅物の大使館員の組み合わせによる活劇。

スペシャル・フォース Forcess speciales 2011

ステファヌ・リボジャ監督、仏、114分。フランス人の女ジャーナリスト、ダイアン・クルーガーがアフガニスタンで武装集団に捕まる。批判的な記事を書いたからだ。その救出にフランスの特殊部隊が向かう。

6人の軍人は女を敵方から取り返すが、相手は執拗に追ってきて何とか女を取り戻そうとする。そのため特殊部隊は何人も殺される。途中で匿ってもらった村も敵の集団に襲われ、被害が出る。その村人を助けに戻る。これでまた犠牲が出る。険しい雪山を乗り越えていく。その途中でも脱落が出る。ようやく向こう側に着いたと思ったら、あの敵の集団がまた襲ってきた。敵を倒すが、部隊で生き残りの2人も負傷で動けない。クルーガーに一人で行けと命じる。クルーガーは歩いて行って救出される。後にヘリコプターで動けない部隊の2人も助けに行く。

2024年5月15日水曜日

オブライエン『不思議屋/ダイヤモンドのレンズ』光文社古典新訳文庫 2014

オブライエンという作家は何人もいるが、これはフィッツ=ジェイムズである。(1828~1862)アイルランドで生まれ、後アメリカに渡り南北戦争で戦死した。収録作品は、

ダイヤモンドのレンズ/チューリップの鉢/あれは何だったのか?──1つの謎──/なくした部屋/墓を愛した少年/不思議屋/手品師ピョウ・ルーが持っているドラゴンの牙/ハンフリー公の晩餐

である。1850年代から61年にかけて発表された。ポーの後継者と裏カバーに書いてある。幻想的で奇想的な短編を集めている。『不思議屋』はユダヤ人の商人が人形の群れを作る。それらは動き出し、子供たちを殺すよう作られている。しかし商人が恋人たちの邪魔をしたため、偶然により人形たちが動き出し、商人やその仲間を毒の剣で突いて殺してしまう。『ダイヤモンドのレンズ』はダイヤで作った顕微鏡で水滴を見ていると少女がいてそれに見とれる話。(南條竹則訳)


シーラッハ『コリーニ事件』 Der fall Collini 2011

シーラッハ初の長編小説。ドイツの実業界の大物が殺された。犯人は直ちに自首した。イタリア人で何十年とドイツに住んでいる。これまで全く犯罪に縁がない。また被害者である高齢の実業家も過去に恨みを買うような経歴はない。

容疑者は口をつぐみ何も言わない。この事件の担当となった青年弁護士は張り切っていた。しかしその後、被害者が自分の友人の祖父であり、自分もかつて世話になった男だと知る。弁護を降りたくなったが、やはり続ける。真相は何であったか。それは第二次世界大戦時に遡る。被害者はドイツ軍の高官で、イタリア降伏後にイタリア人少女を殺していた。犯人はそのきょうだいだった。戦後になって、身内が死んだので何十年もの間、計画していた殺人を実行したのである。(酒寄進一訳、創元推理文庫、2017)

ダフネ・デュ・モーリア『情炎の海』 Frenchman’s creek 1941

デュ・モーリア原作の『フランス人の入江』の訳名『情炎の海』は、かつてこれを原作とした映画の邦題からきている。(1944年、ライゼン監督、ジョーン・フォンテーン出演)

主人公は貴族の夫人ドーナで、俗物な夫やロンドンの喧騒を逃れ、幼い子供たちとコーンウォールの海辺にある別荘に移る。ここでフランス人の海賊が付近を荒らしていると聞く。自分の領地近くの入江に海賊船を見つける。そのフランス人の船長に会う。大胆不敵で行動的であり、その男らしさにドーナは惹かれる。更に自分の別荘の家僕までフランス人の海賊の一味と分かった。元々男まさりでフランス人船長を好きになっていたドーナは男装して海賊船に乗り込む。冒険をして元の別荘に帰る。夫やその友人らが別荘にやって来る。土地の郷伸らと共に海賊を捕まえる気でいる。別荘の晩餐会でいきなり海賊が現れ、臨席の者らから金品を奪う。ドーナに疑いを持っていた夫の友人は、夫人が海賊に手を貸していると知り、ドーナと格闘になる。友人はドーナに殺された。後にドーナを助けようとした友人が海賊にやられたとみなされた。

海賊の船長はドーナを待っていて捕まる。塔の牢に閉じ込められた。ドーナは家僕らと共に船長を助ける企て、実行する。最後はドーナと船長は並んで海を見つめている。(世界大ロマン全集第2巻、デュ・モオリア、東京創元社、昭和31年)

清水幾太郎『倫理学ノート』講談社学術文庫 2000

昔は対象が人間であれ社会であれ包括的に全体を議論し、研究していた。しかし今日では対象は細分化し、方法も「科学的」やら数学の利用が流行り、それらが分からないと時代遅れ、古臭い知識しかないと嘲笑される。実践的意味はどの程度あるのか不明の、今の学問のあり方は本当に望ましいのか。

こういった批判をマスメディアなどで見かけるだろう。本書の内容をまとめるとそのように言っているように見える。まず20世紀初頭に出されたムーアの『倫理学原理』の名が出てくる。それからムーアもその一員だったラッセル、ケインズらのブルームズベリー・グループ(この名はここでは使っていない)が出てくる。ムーアによれば善のような倫理学の根本概念は定義できず、それを快楽のような感覚で計ろうとしたベンサムらの功利主義を攻撃した。ムーアの主張よりも、ベンサムがいかに攻撃されたかが書いてある。ベンサムは社会の改良のため努力したのに、馬鹿にされているだけである。

続いて清水の矛先は経済学に向かう。なにしろ数学的手法で自然科学化した最たる社会科学が経済学なので、清水に気に入られるはずもない。倫理の問題だから、厚生経済学を勉強した。エッジワース箱の図まで出てくる。もちろん経済学に対して怒り心頭である。経済学で基数的効用より無差別曲線が取って代わった、その理由を「謂わば個人間比較への嫌悪のようなものが最初にあって、そこから無差別曲線の利用が生じているのであろう。」(本書p.174)と書いてあるが、無差別曲線の方が基数的効用より制約が少なく一般的であるからである。清水に言わせると現実はダサくて汚いものであるから「エレガント」な分析は不適当で、分析もダサくて汚くあるべき、とのことか。

あと哲学でヴィトゲンシュタインが取り上げられる。もう以上から明らかだろう。著者は『論理哲学論考』(トラクタトゥス)でなく後期の『哲学探究』に共感を覚えている。次にヴィーコである。まるでデカルトを攻撃するため取り上げているようだ。デカルトへの攻撃は凄まじい。初めはデカルト派だったヴィーコは後に反デカルト派になる。転向したのである。次の文は清水の経歴を多少知っている者は面白く読めるかもしれない。

「一般的に言って、古来、思想の発展を担うものは、大部分、転向の能力のある人間に限られているからである。」(p.303)

これが一番書きたかった意見ではないか。さてヴィーコと言えば清水の編になる中央公論「世界の名著」続巻『新しい学』で知った者も多かろう。その著書をここでは次のように書いてがっかりさせる。

「正直な気持を言うと、私には、この書物の内部へ本気で入り込んで行く勇気がない。かつては若干の勇気があって、それを試みたことがあるけれども、この書物の大きさに加えて、何という曖昧、何という晦渋であろう。ヴィーコの眼に映った自然がそうであったと思われるが、これは全く不透明な書物である。」(p.346)

あと、コントとハロッドがある。引用されたハロッドの意見は誰でも同意すると思うが、清水は自分を代弁してくれたと喜んでいる。なお解説のp.464から465に清水自身が書いた本書の宣伝パンフレットの文が載っている。短いからすぐ読める。本書を書店で手にされたならまずここを読むよう勧めたい。本書を読んでいると後期の著者の特徴である被害者意識が感じられ、対立する意見、手法の二者択一を迫っているようだ。

それにしても清水はロールズの『正義論』をなぜ取り上げなかったのか。現代の倫理学では古典ではないか。清水は読んでいるのだが、相性が悪いとか、気分が変わって読んでいるうちに投げ出してしまったと言った、と解説に書いてある。その理由を解説(川本隆史)で推察している。


2024年5月9日木曜日

ピッグ Pig 2022

マイケル豚サルノスキ監督、米、91分、ニコラス・ケイジ主演。ケイジは森で世捨て人のような生活を送っている。豚を飼っている。愛玩用よりもトリュフを捜す目的である。豚はトリュフの在り処を見つける。

時々来る男にトリュフを売っている。ある晩、何者かに襲われ、豚を盗まれた。ケイジは捜すが町の者が取っていったらしい。ケイジは売っている男を呼び出す。町に連れて行けと命じる。ケイジが町に着いてから何人かに会うと、お前はもういないも同然だと言われる。ケイジは町で有名なレストランに予約しろと男に言う。ようやく取れて店に行く。料理をつついてケイジはシェフを呼べと言い出す。来たシェフは少し経ってから分かる。ケイジが以前のシェフだったと。ケイジは豚の行方を聞く。怖れながらシェフが答えたのは町の実力者だった。

そこに行く。やはり実力者はケイジなど相手にしない。その実力者はケイジが取引していた男の父親だった。男が父親に話したので、豚を盗んだわけである。ケイジは男やかつての知り合いに頼み食材を集める。それで料理を作る。実力者を呼ぶ。実力者は食べて涙を流す。昔、亡き妻と食いに行って感激した料理だと思い出したからだ。ケイジは作った料理は凡て覚えている、誰に出したかもと言う。実力者は豚は連れてきた連中が乱暴に扱い死んだと答える。ケイジは森に戻る。

2024年5月8日水曜日

ノー・セインツ 報復の果て There are no saints 2022

アルフォンソ・ピネダ・ウロア監督、米墨、99分。主人公は偽証言が判明し、出所できた殺人犯人。家に戻り息子に会う。元妻は嫌がる。主人公に恨みを晴らそうとしている敵が多い。

元妻は今はギャングの親分と通じていたが、主人公と寝たので親分は元妻宅を襲い、元妻を殺し息子を攫って行く。主人公は息子を取り戻そうと奔走する映画。ギャングたちを皆殺しにし、息子の在り処を聞くとメキシコにいるらしい。

メキシコに入国するため、バーで会った女に偽装の妻になってくれと頼む。メキシコに入る。連れてきた女に親分のところに探りに行かせる。更に女が親分に会うが、親分は見破る。女に乱暴を働こうとした時、主人公が現われ、親分を縛り上げる。拷問で息子の居場所を吐かせようとする。変態男に渡したと聞かされる。親分を殺す。変態男の屋敷に乗り込むが掴まる。息子が逆さに吊り下げられ、井戸の中に落とされそうになる。主人公は敵方を全滅させるが、息子は助けられなかった。

2024年5月7日火曜日

68キル 68kill 2017

ジェームズ・グリフィス監督、米、95分。気が弱い彼氏の彼女は身体を売って稼いでいる。客の一人が大金(6万8千ドル)を持っているので、奪いに行こうと彼氏に持ち掛ける。家に侵入し、客の男を斬り殺す。彼氏は呆れ怖れる。更に現れた妻まで殺す。大金を奪う。

また若い女が現われたので捕まえる。兄のところに売りに行くと言う。彼氏が車で待っていても戻らないので、彼女の兄宅に行く。すると兄は恐るべき人間で死体を切り刻んでいる。恐ろしくなって逃げ、彼氏はトランクに捕まえた女を入れたまま去る。彼女が追うが、捕まらない。彼氏は捕えた黒人の若い女と話す。意気投合する。ガソリンスタンドで彼氏が大金を見せたため、そこの女に眼をつけられる。モーテルに泊まる。明くる朝起きたら金も車も凡てなくなり、黒人の女は殺されていた。モーテルの主人をだまし、車を奪って女を追う。

ガソリンスタンドで女の行方を聞いたら、相手の女は性行為を強制する。行ってみたら銃で脅され、彼氏は縛られ、散々殴り叩かれる。彼女が来た。しかもあの狂人の兄と一緒に。相手方をやっつけ、彼氏を救うが彼女が彼氏を捕まえて離さない気でいたので、彼女を撃ち殺す。狂人の兄も敵方も凡て倒し、家に火をつけ大金を持って彼氏は逃げ去る。

2024年5月4日土曜日

ティル・デス Till death 2021

S・K・デール監督、米、91分。主人公の女は夫の事務所の部下の黒人と不倫している。結婚記念日に湖そばの別荘に行く。朝起きると手錠に繋がれている。相手は夫で銃で頭を撃ち自殺する。死んだ夫を引きずって別荘から脱出しようとするが、手立ては封じられている。

不倫の相手の黒人が来た。夫が呼んだらしい。話しているうちに謎の二人組の兄弟が到着する。いきなり黒人を殺す。兄弟も死んだ夫が呼んだ。兄弟は別荘にあるはずの宝石を奪うつもりだった。主人公は死んだ夫を引きずって雪の中、納屋まで逃げる。兄弟が捜す。この兄弟の兄は昔、主人公を襲って逆にやられ刑務所暮らしをしていた。兄弟と主人公の対決が見物。最後は雪で凍った湖の上で格闘、相手は割れた湖に落ち主人公も引きずり込まれるがからくも脱出する。

2024年5月3日金曜日

ビッグ・ガン Big guns 1973

ドゥッチオ・テッサリ監督、伊、アラン・ドロン主演。ドロンは殺し屋で妻と幼い息子がいる。息子の誕生日を祝い、殺し屋組織の上司に殺し屋を辞めたい、息子に恥じない生き方をしたいと告げる。

組織を知り過ぎているドロンは簡単に辞めさせられない。組織の幹部会でも否定された。ドロンの暗殺が命じられる。妻は息子と共に乗る車の調子が悪く、ドロンの車を借りる。動かすと車は大爆破、炎上する。ドロンは復讐の鬼となった。次々と殺し屋たちを殺していく。最後に神父の手引きで、ドロンとボスは和解に至る。しかし安心できない。ボスの娘の結婚式に招待される。聖堂から出て、階段を降りて来るドロンを車の中から銃撃する。

2024年5月2日木曜日

ザ・スイッチ Freaky 2020

クリストファー・ランドン監督、米、102分。最初に若い男女が殺人鬼に次々と殺され、『スクリーム』の再映画化かと思ってしまう。主人公の女高生は学校の帰りに迎えを待っていると殺人鬼に遭遇する。逃げるが捕まり刺されたと思ったら、雷が鳴り二人は気絶する。目が覚めると二人の身体の中身は入れ替わっていた。

女高生の身体に殺人鬼が宿り、殺人鬼(大男)の身体に女高生が宿る。これによって女高生殺人鬼は次々と殺人を犯していく。殺人鬼の身体になった女高生は当然理解してもらえず、警察によって追われる。友人二人は女高生が殺人鬼の身体になったと理解でき、24時間以内に身体を元通りにしないと永久に身体は入れ替わったままと知る。そのために必要な短剣を持ってくるなど友人らは奔走する。最後には何とか元通りになる。映画の終わりでは女高生の家にやって来た殺人鬼が女高生とその家族によって殺される。

アンロック 陰謀のコード Unlocked 2017

マイケル・アプテッド監督、英、98分、主人公はCIAの女諜報員。過去テロを防げなかったので悔み、今はロンドンで移民担当の仕事をしている。

テロの指令を伝える男を尋問しろと命令される。尋問途中に命令するCIAのイギリス支部が敵にのっとられたと知り、敵の連中を倒して逃げる。テロを阻止するCIAと英諜報部には内通者、裏切り者がいるというお決まりの展開。主人公は最後には敵を全部倒す。有名な俳優が何人も出ている。