著者は評論家、戦後ある時期まで平和運動の指導者だった進歩的文化人、それ以降は左翼陣営を批判する論客になった。ある時期とは60年安保騒動時である。
本書は読書に際しての心掛けを述べている。筆者の個人体験を元に書いてるのが特徴であり、また実用的な読書方法について述べている。実用的読書と書いたのは、世の読書論は全く趣味としての読書についてのみ述べているものが少なくないからである。以前作家が書いた読書論を見たら「面白くなければ読書でない」などとあった。これは小説など趣味的な本を前提としているのであろう。実際に書店に行ってみると、文学書のコーナーなどはあまりなく、大部分は実用書、つまり広い意味で知識を求める本になっている。
本書では書籍を実用書、娯楽書、教養書に分けている。小説などは娯楽書であろう。自分を高めるのが教養書と言っている。本書で書いている本への接し方は賛成できるものが多いが全部ではない。例えば必要なくなった本を売るよう勧めているが賛成できない。それにこれは「本を買え」という勧めと矛盾する。本を買っておかないと後で買えなくなる場合が多いからその通りだと思う。この理屈でいくと売ってしまうと、その後にまた欲しくなっても買えないかもしれない。今いらないと思っても将来は分からない。好みや関心は変化するからである。これは著者が物書きだから売れと言っているのだろう。つまり本を書くために購入する本が多いわけで、本が完成してしまえば材料となった本は売っても差し支えない。普通の人とちょっと違う。
また本は速く読めと言っている。速く読めたのにこしたことはないが、速く読めない本はどうするのか。つまり難しい本である。速く読めるのは本の内容(と書き方)が自分の知識、理解の範囲内にあるものである。難しい本は飛ばしても良いというのか。速く読めるのは自分の実力の範囲及びそれ以下の本になるので、つまり易しい本ばかり読めとなってしまわないか。本を全部読む必要はない、ただし洋書は分からなくても全部読めといった提案は賛成できる。
最後にマスコミ時代の読書という章があるが今では時代遅れである。専らテレビラジオと印刷物がマスメディアであった時代の話である。今ではインターネットが従来のマスメディアを破壊しつつあり、その流れは加速していくだろう。本書はテレビ全盛時代の議論である。
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