2017年10月27日金曜日

吹上佐太郎『娑婆』(その1) 大正15年



稀代の殺人犯、吹上佐太郎(明治22年~大正15年)の自叙伝。百貨商会販売部発行、巌松堂出版発売。

強姦殺人で処刑された犯罪者である。7人の強姦殺人、陵辱だけなら90余名(本書編者序の数字)に及ぶという。日本犯罪史でも類を見ない殺人鬼の彼が獄中、執筆したのが本書である。自叙伝といっても37歳で刑死した生涯の凡てでない。18歳の時、最初の強姦殺人を犯し、九州の監獄へ送られるまでである。残りも書く予定でいたが、本書出版時とほぼ同じく死刑執行され叶わなかった。
本書も出版後、発禁処分となったという。

自伝であるものの、約300ページの本書の最初の方70ページくらい(序詞と呼んでいる)は自らの意見開陳である。言わんとするところは、世の中のこれまでの偉人、すなわち政治家、軍人、哲学者等々の名を挙げて、彼らの偉業も畢竟、彼らがそうするよう運命づけられていたから、らしい。どうしても自らの犯罪も「色魔」(こういう言葉を使っている)に支配されたという弁解に聞こえる。それよりもここで過去の偉人とその行ないや歴史事項を羅列しているのだが、その博識ぶりに驚く。全体として、ここの部分は読みにくい。
さて「我が生涯(神州麿と色魔)」と呼ばれる自伝に入る。神州麿とは吹上の号である。彼は自分を二重人格者のように思っていて、まともな部分が神州麿、邪悪な行為を犯す自分を色魔と読んでいる。

吹上は明治20年代初め、京都の西陣で生まれた。親は西陣の職工。ただし腕は悪く大した稼ぎはなかったらしい。丹波の田舎の農家次男である父に対して、京都出身の母は勝気で智慧もあった。大恋愛の末に結ばれたが結婚生活は悲惨であった。
父は毎晩酒を飲んでろくに働かず、家計が火の車なのに浮気をする。自分で決められず何でも母に相談する。ダメ男の典型であろう。
吹上はこの両親の長男である。弟2人、妹3人がいた。何しろ稼ぎが悪い上に子供は次々生まれてくる。きょうだいともロクに食事をもらえず如何に腹を空かせていたか、が語られる。10歳くらいまで祖母に育てられた。祖母死亡は打撃であった。彼は腕白で自己主張が強く、そういう意味では子供らしい子供だったのだろう。弟は気が弱く、最初の妹は死亡した。周りの子供たちから貧乏人の子と馬鹿にされる。犬や鳥を見て自由そうだと思い、それら禽獣を羨んだ。

家は貧窮し、学校などへやってもらえず早々から奉公に出される。9歳の時である。奉公と聞いて初めは喜んだ。何しろ家ではロクに食べられず奉公先の方が贅沢できると思ったからだ。
西陣である。当然のように吹上は機屋に行かされる。しかしその機織の仕事ほど嫌なものはなかったらしい。本書中何度も嫌悪を述べている。
機屋の職人男女は社会の最下層の者で、話すことやることといったら卑猥そのもの、あるいは他人の悪口、それしかない。吹上はそういう職人のうごめく、故郷である西陣をボロクソに言っている。
このように食欲、性欲という本能のみで生きている者たち、それが当時の庶民であった。

親一般に対する、吹上の有名な5つの主張が書いてある。
子供にはひもじい思いをさせない
教育を受けさす事
遊ばす時は専心遊ばせる
親はありがたいもの、家庭は楽しい所と思わせる
子供の目の前で淫らな事はしない
それに続けて「滋養品を買う1銭は薬品を買う1円より身の為になる」と述べている。

機屋での予想と違うひどい境遇に長続きせず、他の店に出される。これの繰り返しのうち、11歳の時、淫乱な女中に性の手ほどきされる。預かったカネを芝居見に使う、うまくいけばカネを掠め取るなど犯罪もするようになる。
最後は店から預けられたカネを費消して、そこの主人から警察に通報、捕まる。京都監獄に2ヶ月服役した。13歳の時である。監獄では悪さの術の手ほどきを受けた。
それだけでない。ここで文字通り初めて教育を受けた。監獄の教誨師から文字を習い、吹上の利発さは周囲を驚かせた。監獄での生活は、それまでよりはるかに恵まれたものだった。監獄から出たくなかったと書いている。一生ここに居たいと思った。父母より監獄の役人の方を慕った。

出獄後の彼は浮浪癖がついていた。大阪へ渡る。壜製造所に雇ってもらうが火傷をし、京都が恋しくなる。無銭飲食で捕まって拘留ののち、赤萬という名の感化院に渡される。ここの実態は魔窟、犯罪者の巣だった。『オリヴァー・トゥイスト』のフェイギン親分の巣窟を思い出す。しかしこちらの方がより悲惨陰惨である。
夜は盗みに出る。女は万引、男はすり。泥棒に一緒に連れて行ってもらう。盗んだカネの分け前を貰って喜んだ。中には悲惨な境遇に堕ちた若い女もいた。
その後40歳頃の女に拾われ同居する。京都へ戻ってからはスリを生業とする。警察の世話になる事多くなる。獄中生活で男色も覚える。
出獄して市中徘徊するうち、零落した弟に会う。抱き合って野宿した。弟の身の振り方の世話をする。

大阪へ行く。また京都へ戻ると家族はいない。子守をしている8歳の妹に会う。泣いて家族の消息を語る。目が潰れた他の妹、生まれてすぐ死んだ弟。家族は四国へ行ったと言う、自分だけ置き去りにされて。泣きながら一緒に連れて行ってくれと頼む妹。しかし自分も無宿である。小銭を渡し自分は親を追って四国へ向かう。
徳島では旅館に逗留、そこの娘二人と芝居に行く。田舎の芝居に呆れて軽蔑する。カネが無くなりスリ目的で高松を目指す。時に16歳。高松に来る。尾上松之助という名が小さい芝居小屋に書いてあった。現在の自分と今や活動写真の大スターとなった松之助の差に感慨する。高松ではすりをしてすぐ捕まる。ただ警察でなく義侠に富んだ者で、事情を聞くと岡山の仕事を世話してくれた。岡山に着いても紹介状にある人は見つからない。おりしも日露開戦当時である。木賃宿の内職用に雇われる。

この宿に来た、剣舞士夫婦が連れた13歳の女の子に初恋と言える恋をした。少女剣舞士に惚れて自分も剣舞士になりたく思った。頼んで弟子にしてもらう。ところがこの恋した少女とは別れさせられ、女形をやれと言われる。逃げて女の子のいる家に行く。
元の所から催促が来るが、嫌なので近所の床屋の弟子になる。利発で覚えの良い吹上は1ケ月の修業で習得し、人気の理髪師となる。ところが慕っていた少女は剣舞の旅に出てしまう。ガッカリし床屋で不祥事を起こしだけでなく、女性暴行まで働く。更にカネを盗み京都へ戻る。

警察の厄介になった後、祖父の家に行く。そこで父母は乞食をしていると聞かされる。
家族のいる木賃宿を捜す。家族の窮状を見て、スリをやって稼ぐ。弟たちは奉公に出され、父母は家で仕事。自分も家を飛び出し、再び浮浪の身となる。
名古屋へ行こうとし自転車を盗んで駆ける。空腹のため自転車を売ろうとして、捕まって膳所の監獄に入れられる。出獄時は29歳の女と一緒だった。その後また浮浪罪で捕まる。
京都の東で50 過ぎの女と同居。多くの女と関係。色魔が狂だす。

明治39924日、金閣寺付近でかつて同じ長屋に住んでいた少女に出会う。イナゴ採りに行こうと誘う。山中に行き強姦する。相手は知合いである。分かってしまう。それで絞殺した、と。これは警察等の前で羅識したもの、当時の真相は自分も人も知らぬ事と言う。犯行後、恐ろしくなりひたすら駆けて逃げた。彼岸中日の午後3時過ぎであった。家に帰るが家族は悲惨な状況が悪化。自分を可愛がってくれ期待していた祖父にも内心別れを告げる。人殺しをした以上早く逃げるしかない。

同居していた年配の女からカネをもらう。目指すは上州高崎。なぜ群馬かというと、かつて群馬には西陣同様機織が多い、西陣出身の者なら困ることはないと聞かせた者がいたからだ。しかし結局女の所に戻る。
あの時に群馬に行っていたらどうなったか。大宇宙の支配者は、まだ東方へ送る準備ができていなかったので、まず西方に送り養成したのであろう。自分がこうなったのも被害者も、同じ運命の水の果、などと言っている。

松原警察署の一室。貴公は本当に知ってやったのか、と訊かれる。ハイ、知っていますと答える。これは自惚れ心が強かったので、何でも知っていると答えれば、偉い者の様な気分になれたからだそうだ。吹上の犯罪論をうまく要約できないが次の様な事を言っている。
検事の眼には犯罪そのもののみが映って、犯罪者その人が映らない、それでこんなことになってしまった。終身監禁を言い渡し、恩赦で社会に戻さなければ、妙齢な少女の身を六つまで亡き者にせず、無事にすんでいたのに。

15歳以来、18で獄中の身になるまで20人以上陵辱したが、申告のあったのは45名に過ぎなかった。公判では父母をはじめ、傍聴席は満員だったそうだが、検事の要請で全員退席させられた。無期徒刑の判決が出る。丁年なら死刑よと言われる。大阪で監禁中、父が面会に来る。叔母や母、弟が苦しい中から集めた2円のカネを渡し、何でも欲しい物を買うて食べるがよいと言う。もう会えんかもしれないと泣きながら言う。
大阪を発ち三池集治監に向かう。

『娑婆』の概要は以上のとおり。この本そのものについて後から補足する。

4 件のコメント:

  1. 家庭状況・貧困・時代・無教育・まわりの人間などの影響を受けて人間は犯罪者となる。子供のときに貧乏であっても愛のある教育・しつけが必要ですね。被害者も可哀想であるが、犯罪者も気の毒な子供時代を過ごしている。

    返信削除
  2. 非常に興味深い本ですね。一度読んでみたいです(;'∀')

    返信削除
  3. 読みたいと思ったけどもう読めないのか…

    返信削除
    返信
    1. 国会図書館のデジタルアーカイブでお近くの図書館で閲覧が可能だそうです。

      削除