池田富保監督、山本嘉一、片岡知恵蔵ほか出演。日活太秦の無声映画。
京城在のカトリック教徒平山政十の資金による製作。実際にあった二十六聖人の殉教事件を映画化。
来日したカトリック神父は、熱心な布教や人格で豊臣秀吉の信任を得る。キリスト教寺院の建立までとりつける。仏教の僧は面白く思わず、耶蘇教は日本の神仏と合わない、日本侵略を企てていると讒訴する。秀吉はたしなめ、取り合わない。神父の努力により多くの日本人はカトリック教徒となる。
しかしいわゆるサン=フェリペ号事件が起こり、布教は暗転する。日本に漂流したスペイン船サン=フェリペ号の乗組員は日本人からの待遇に不満で、スペインは日本と比較にならない大国である、これまで多くの国を植民地としてきた、と言う。これを聞かされた秀吉は態度一変、カトリック布教の禁止のみならず、神父を逮捕させる。処刑となるとわかっていたが、神父を慕う信徒たち、中には子供まで供をさせてくれと願い出る。
京都から長崎に連れられ、26人は処刑される。250年後、19世紀半ば過ぎ、幕末にバチカンで彼らは聖人に叙される。
この映画については、例えばフィルムセンターのパンフレットにも「プロパガンダ的側面も強い」とある。しかし何の先入観もなく接すれば、大声で主義主張を叫ぶとかの映画ではない。そう思うだろうか。どういう意味かは製作された当時の状況で理解する必要がある。
満洲事変の年に公開された本作は、製作者平山自身によれば次のような狙いを持っていた。対国内と対欧米である。一つはカトリックが我が国で理解されて来ず、当時は欧米の宗教として偏見も強かった。そのカトリックは諾々として国の命令に従う愛国的な要素さえ持つ宗教である、と。
もう一つは当時戦火の拡大する中、欧米に対し日本でのカトリック殉教の歴史を紹介し、日本もキリスト教文明国であると知らせたかった。そのため平山は欧米での公開に尽力する。結果はあまりうまくいかなかったようだが。
そういった知識も知っておいて悪くないが、現代の我々、特にキリスト教徒でもない者にとって映画として純粋に鑑賞すればよいと思う。
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