本ブログ吹上佐太郎『娑婆』(その1)では当該書の概要を記した。
補足として、この絶版本自体の説明及び若干の感想を述べる。
本書『娑婆』は発行所
百貨商会販売部、発売所
巌松堂書店で
大正15年10月1日発行、
定価1円80銭であった。赤い本である。
表紙をめくると左見開きの右肩に
「我がエロトマニアの犠牲になりし少女達ヘ本書を捧ぐ/大正14年2月/神州麿」とある。神州麿は吹上佐太郎の号である。
続いて筆書きで吹上自身の文がある。達筆なので読めない字がある。
更にこのページの左に、次ページにある吹上の写真の説明がある。
「神州麿 36歳/大正13年8月初旬警視庁にて撮影/我が身の骨相と姿態とが如何なる精神を表居たるや」
その次ページの楕円形枠の、吹上の写真。インターネットで見られる、これしかない吹上の写真の元なのだが、あまりにも感じが違う。ネット上の写真は骸骨みたいな、如何にも凶悪犯面をしている。しかしこの元の写真はやさ男と言ってもいいくらい。白っぽい着物に濃い羽織を着ている。ちょっと若旦那風? 顔の印象は先ほど言ったように、現在見られるものとかなり違う。今ではコピーを何回か何十回かした後の写真が使われているのであろう。
次の3ページは題辞である。いずれも筆書き。順番に花井卓蔵、徳富蘇峰、横田秀雄が書いている。花井は弁護士、横田は大審院長である。この中で花井のものだけ書いておく。
過ちを改め善に還る 死すと雖も悔なし
その後、吹上の自序が3ページ続く。「私がこの世の地獄ヘ落ち込んだのも・・・天職の然らしむ所に外ならんので有ります」と述べ、全体の要約などを書いたのち、「懺悔話罪亡し・・・読者は、娯楽的に読まず、研究的精神を持って」読んでもらいたいなどと説教じみたことを書いている。
「大正13年11月1日
長野刑務所上田支所内拘置場に於て/神州麿識す」と結んでいる。
続いて弁護人である藁谷政雄が編者序を書いている。
ここで藁谷は弁護の資料であった本書を読み、
「日本犯罪史上稀に見る、好参考記録-刑事人類学、犯罪社会学、教育学、心理学、精神病学等の各方面より真摯な研究を積むべき犯罪記録-として、出版しようと」したと本書刊行の所以を述べている。
この編者序の後で、吹上が追加的に花井の題辞(上、参照)に感激した旨示している。
更に3件の罪のみ問われているが、実際に犯した罪一切を公判で述べた、服罪の実を示したいためと言っている。これは吹上の裁判では3件のみの強姦殺人が問われたが、実際には関東に来てから6件犯している旨、自分から言ったことを指す。
次は目次である。
目次
序文(自序と編者序)
序詞(意見開陳)
我が生涯(神州麿と色魔)
以上の内容は吹上佐太郎『娑婆』(その1)で要約した。
本文の後、続篇の予告が奥付の前ページに出ている。
近刊予定 望の巻
三池の獄屋より社会ヘ
-獄路歴程-
死の巻
女! 犯! 殺! 就縛! -臆々死刑!-
これらが吹上の処刑で執筆されず終いとなったと(その1)でも述べた。
本書は発禁処分となり、それ以来再刊されておらず普通では読めない。それで所蔵する国会図書館へ通い読んだ次第である。
最後に自分の感想めいたことを書く。
吹上佐太郎の名を知ったのは最近である。凶悪犯としてである。その自叙伝があると知り読みたくなった。元々自伝は好きなのである。読もうとした動機は、このような凶悪殺人犯はどんな生涯を送ったか、どんな考えであったかを知りたかったからである。
しかし読後の感想はまさに悲惨物語である。明治大正の下層民がいかに惨めな生活を送っていたかの一記録といった感じである。もちろん本書での生活の著述、正確さ云々を除いても、典型的でもなかろう。いやそもそも何が典型的か多数かそれさえわからない。
教科書では明治30年代以降、日清日露の戦役に勝利し、日英同盟による第一次世界大戦にも勝ち、国際連盟の常任理事国となった、当時としては世界の一流国になったような印象さえ受ける。しかし国民の生活は惨めなものであった。理屈で考えると当たり前みたいに思える。しかし一般論抽象論と実際の生活の記録は別である。
吹上の犯罪を知っているから弁解する気は何も起きない。しかし彼の家族は凶悪犯の家族としてその後の人生も惨めであったろうが、ここに記されている彼の犯罪などを別にしても、幼いうちから悲惨な人生を余儀なくされていた。家族に置き去りにされて、子守をしている幼い妹に会う場面など、本当に可哀そうになってくる。
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