終戦内閣で総理大臣を勤めた海軍軍人、鈴木貫太郎の自伝である。鈴木は慶応3年大阪で生まれた。その後関東で育った。海軍に入ろうとする鈴木に対して周囲は、海軍は薩摩でなければ出世が出来ない、と言って止めたそうである。実際に海軍兵学校に入ってみると、実際に九州人が圧倒的多かったという。海軍兵学校は江田島に移る前、築地にあった時分で、最後のそこの卒業生になったという。
軍人になってからの実際の経験は、もちろんそれなりに面白いが、何と言っても本自伝の核は終戦の年、4月に内閣総理大臣を拝命し、終戦をどのように行なったかの記録である。最後の御前会議でポツダム宣言を受け入れるべきか否か、反対と賛成が拮抗する中、昭和天皇の決断でポツダム宣言受諾が決まった。その際、大臣らの中には大声を上げて泣いた者もいたそうである。これら実際に歴史の場にいた者の、直接の記述は貴重である。
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