2024年10月31日木曜日

血を吸う宇宙 2001年

佐々木浩久監督、オメガ・ピクチャーズ、85分。主人公は死刑囚の女で、こうなった経緯を教戒師のシスターに以下の物語を語る。

タクシーを飛ばして警察に行く。娘が誘拐されたと言う。しかし夫は娘などいないと言う。娘とは人形だと。しかし主人公は娘がいると言い張る。その時、いきなり女霊能師が現れ犯人から連絡があると言う。電話がかかってきて逆探知はできなかった。霊能師は娘の居場所を告げる。その場所に行くが家に入れない。選挙宣伝の車が来てその女宣伝員になりすまし家に入る。娘はいない。出てから選挙候補者の政治家は主人公を車に閉じ込め、行為に及ぶ。実は政治家は宇宙人で主人公は宇宙人の子供を孕む。

また主人公は不思議な男女二人組に出会う。男(阿部寛)は宇宙人の恋人に出会った経験がある。主人公の訪れた家は実は主人公の実家で、対応に出た婦人は母親だったのである。警察が来てから政治家の忠告で母親は主人公に真相を告げる。子供の名、みさとという名は火事で死んだ主人公の姉の名である。火事の後、引っ越し先で見つけた人形をみさとと名付け自分の娘としていた。更に政治家と母親が実は宇宙人だったと分かる。政治家の子供を産み、それは宇宙人の子になる。主人公は政治家と母親、更に連れていた幼児に火をつけ焼き殺す。それで捕まり死刑が宣告された。死刑の前に二人組に主人公は助けられる。死んだ政治家と母親に会う。花嫁姿になった後、娘が走っていくので、それを追いかけ車にはねられて死ぬ。

2024年10月30日水曜日

マリグナント 狂暴な悪夢 Malignant 2021

ジェームズ・ワン監督、米、111分。夫は主人公に暴力を振るっていた。妊娠している時に夫から暴力を受け流産するが、夫は何者かによって惨殺される。

主人公は退院し自宅に戻る。悪夢を見る。誰かが残虐に殺されている夢である。複数回見る。その夢が実際の殺人事件だった。主人公は殺人事件の現場にいて殺人鬼による殺人を目撃しているのである。警察に言っても全く信用されない。しかし主人公の言う通りの殺人が実際に起こっていた。

主人公はもらわれ子である。ガブリエルという名を幼い時から口にするが、空想上の友達ではない。主人公を産んだ実の母親は死んでいたと言われてきたが実はそうでなかった。主人公の体の中に物理的に入れた邪悪なガブリエルという兄がいて主人公を操っていた。夢で見たというのは実際に主人公がガブリエルに操られて行っていた殺人だった。最終的には主人公はガブリエルを閉じ込め、また自分を思ってくれる妹との愛を確認する。

C・R・マチューリン『放浪者メルモス』 Melmoth, the wanderer

アイルランドの作家マチューリンが1820年に発表した『放浪者メルモス』はゴシック小説の代表作の一つである。題名を見るとメルモスなる者が故郷を離れ、諸国を放浪する話かと想像するかもしれない。原題 Melmoth, the wanderer の直訳ではあるが「さまよえるメルモス」とでもした方がいい気がする。時空を超えて救済を求めるメルモスは、様々な者たちの運命を操る。

形式的には入れ子構造になっている。千夜一夜物語やデカメロンのような作りであり、それぞれの話はかなり長い。若いジョン・メルモスは亡くなった叔父の屋敷の主人となる。難破船から助けるつもりでかえって助けられたスペイン人からその半生を聞く。長大な物語で、スペイン人が修道院及び異端審問所で被った迫害を知らされる。更にそこから事故で抜け出し、ユダヤ人の家に隠れる。ここではインドにある島に住む無垢な美人の話となる。そこに現れた怪人(さまよえるメルモス)から教えられ、美人はメルモスに恋する。実はこの美人はスペインの貴族の娘で幼い日にさらわれ連れてこられたのである。スペインに戻ってから結婚の話は持ち上がり、メルモスと逃げる顛末がある。更にドイツ人の音楽家と結婚した娘が危篤の兄から財産が遺贈されるはずとスペインに戻る。財産を当てにして一家は贅沢を極める。ところが金がもらえないと分かり、一家は窮地のどん底に陥る。餓死寸前まで行き恐ろしい行為に出んとする。そのほかにも挿話があり、長さよりその内容の凄まじさによって特徴づけられる。

解説に次のような評価がある。「・・・夥しい数の凡庸なゴシック小説のなかで、『修道士』と『放浪者メルモス』だけが今なお読むに耐える秀作として存在しつづけているのである。」(本書p.938)(富山太佳夫訳、国書刊行会、2012年)

新東京行進曲 昭和28年

川島雄三監督、松竹、97分、白黒映画、高橋貞三主演。映画は復興した東京を飛行機で都知事が上空から眺める場面から始まる。

高橋は新聞記者である。同僚の記者に小林トシ子がいる。高橋はふとしたことから出会った淡路恵子に惹かれる。高橋は銀座の小学校の出で、同級生だった建築士も淡路を好いていたと分かる。後に高橋は淡路に求婚する。やはり同級生だった大坂志郎は都電の運転手をしており、北原美枝が恋人である。北原の父親は日守新一で警視庁の刑事である。その日守は新聞記者として知っている高橋をいたく気に入り、自分の娘の婿に迎えたいと思っている。高橋と小林は官庁の汚職を摘発しようとしていた。それに関係している某会社の担当は実は高橋の小学校時代の恩師であった。高橋と小林がその恩師の宅に駆け付けると、自殺しようとしているところだった。高橋は恩師に向かいかつての教えと逆ではないかと諫める。恩師は汚職を明らかにし新聞に公表される。

高橋の同級生の一人が三橋達也で、同じ新聞社の配送関係の仕事をしていたと分かる。目を傷めている。これはかつてボクシングの選手だったのだが、同級生を鍛えるため自分が打たれ役になっていた時の傷である。相手は今ではチャンピオンになろうとしている。相手には黙っていてくれと高橋は三橋から頼まれる。相手はチャンピオンになり、その祝賀会(後楽園球場のような野球場の真ん中)で三橋に再会し共に喜び合う。同じ球場で高橋は淡路に再会する。淡路の父親が高橋らが追い詰めた汚職事件の会社員だったと知る。これでは好きあっていても結婚できない。淡路と高橋は別れる。

VR ミッション:25 The call up 2016

チャールズ・バーカー監督、英、90分。敵方を倒していくというゲームが開発され、それの実験として仮想空間でゲームに参加するゲームオタクが集められる。

各人が戦闘服を着用し武装して、仮想空間の中に入り込んでいく。しかしこれはゲームなどでなく、実際に相手方に撃たれると傷つき、治療薬が間に合わないと死んでいくのである。こうして廃墟のようなビルの中で次々と参加者たちは殺されていく。最後に残った女は巨額の賞金が与えられるにもかかわらず、主催者を殺して去っていく。

マイク・ハマー俺が掟だ I, the jury 1982

リチャード・T・へフロン監督、米、111分。主人公の私立探偵ハマーのヴェトナム戦争時の戦友が殺される。ハマーは独自の調査を始める。

戦友は性的不能の問題があって女医師にかかっていた。ハマーが訪れても患者の情報は与えられないと言われる。性的問題解決のため男女混合パーティが開かれていた。そこでハマーの相手をした双子の姉妹は殺される。ヴェトナム戦争の際の上官の一人は怪しげな薬を開発しそれで儲けていた。その男や殺人犯を倒し、更に女医が戦友殺害の指示をしていたと分かったので、女医も殺す。

2024年10月29日火曜日

野口幸助『そなた・こなた・へんろちょう』音楽之友社 昭和46年

極めて印象的な書名を持つ本がある。これなどもその一つだろう。子供の時に見て今でも覚えている。

著者は音楽プロデューサーである。副題に「私の音楽マネージャー30年」とある。題の意味は今までの経験から「其方、此方を、遍路した帳(ノート)」としたのである。さて今でも気になっていたこの本をようやく読めた。著者は関西の楽壇で経験した。面白い挿話が多くある。何しろ本の出版自体が半世紀前で、その時の昔話であるから本当に関西でクラシック音楽が盛んになろうとしている時期の様子がわかる。ともかく今なら考えられないような話が出てくる。個性豊かな音楽家の実際、上演に関しての苦労、大阪万博の際のカラヤンやリヒテルのことなども書いてある。

女と男のいる舗道 Vivre sa vie 1962

ジャン=リュック・ゴダール監督、仏、84分、白黒映画、アンナ・カリーナ主演。

カリーナは連れ合いはカフェで議論し、別れる。レコード店に勤め、俳優を目指している。しかしうまくいかない。娼婦になる。カフェで老人と哲学談義をする。恋人はいるものの、ならず者たちに売られる。金が少ないと恋人は文句を言い、ならず者らは拳銃で撃つ。カリーナは倒れる。車で恋人も逃げる。

遺産相続は命がけ!? Greedy 1994

ジョナサン・リン監督、米、112分、マイケル・J・フォックス、カーク・ダグラス主演。

フォックスはボウリングのプロであるが、うまくいっていない。恋人がテレビ局で制作に携わっている。ボウリングの事業を始めたいのだが、資金がない。このフォックスには最近会っていない伯父がいた。それがカーク・ダグラスである。億万長者でもういい歳である。それでその財産を狙おうと親戚一同が何かとやってきてご機嫌をとろうとしている。ダグラスには世話をしてくれるイギリス人の若い女がいる。この女に財産をさらわれては大変と、親戚一同は今や忘れていたフォックスを呼び寄せるのである。

フォックスは幼い日、ダグラスのお気に入りだった。フォックスはやって来る。事業に必要な金を得たい一方、強欲な親戚一同にも腹を立てている。最後にダグラスは事業に失敗し、借金はあっても財産はないと言い出す。これで親戚一同は怒り、ダグラスにあたり、早く施設に入れておけば良かったとわめく。フォックスの恋人は借金で破産し住む所もなくなったダグラスを自分たちで引き取ろうと提案する。ダグラスはフォックスの恋人に招かれる。しかしこんな所に住みたくないと言い出す。文句を言うダグラスにフォックスと恋人は困るが、実は破産したというのは嘘で元の屋敷に戻るのである。

中野翠『アメーバのように。私の本棚』ちくま文庫 2010

随筆家の中野がこれまでに書いた、書評の中から特に残したいと思ったものを集めた本である。

だからこの中には以前出た本に収められた文の再録や、文庫の解説の転載などが含まれる。覚えている文に再会する。ページ数も525頁あり、著者の本の中で特に厚い。ここでは有名な作家はもちろん、また著者のお気に入りの森茉莉や尾崎翠の他、様々な作家の様々な本について著者の好みというか感想が書かれている。ここで紹介されているまだ未読の本を読みたくなる。

2024年10月27日日曜日

バナジー、デュフロ『絶望を希望に変える経済学』日経ビジネス文庫 2024

著者は共にMITで開発経済学を担当し、同じ年にノーベル経済学賞を受賞した。

開発経済学は途上国の経済社会をどうやって改善していくのか、成長を伸ばすにはどうしたらよいのかを探る分野である。二人は経済学の理論は踏まえている。ただ理論をそのまま現実に適用しても必ずしも良い結果を生まない。それは経済学の理論は仮定の下に組み立てられている仮設だからである。そうだといって理論を無視し、直観だけでの政策は効果がないだろう。これまでの途上国の経験がそれを示している。経済理論に基づいて開発政策に対し懐疑的な意見を持つ者に反論している。

経済学の特に知識のない人でも政府は色々政策を講じるべきだとは言える。ただそうした一般論だけでは効果が見込まれる具体的な方策は出てこない。総論的評論的意見は役に立たないのである。著者らはこれまで開発した方法等を駆使し、経済学の理論を踏まえて現実的で効果的と思われる政策を提示している。このように学者が専門的知識を用い、現実に対して発言する姿勢は大いに評価できる。日本の経済学者も見習って欲しい。原題はGood ecnomics for hard timesで2019年に出された。

2024年10月23日水曜日

三浦しをん『乙女なげやり』新潮文庫 平成20年

元は2004年の発行。題名は本の売れ行きに大きく影響すると思うのだが、この「乙女なげやり」という書名は感心した。

相変わらず漫画の話が多い。その中で『愛すべき娘たち』という漫画を挙げ、そこには女同士がどういう会話をしているか、描いてあるという。そこで男同士でどういう会話をしているか、著者は女なので関心があるらしい。(p.174)少し考えたが、男同士同士の会話が特別なものでないと思った。つまり男は男らしくという要請があるにしても、しゃべることに関しては特に制約を感じていない。だから男同士の時だけの会話というものがあるように思えない。

伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫 平成17年

伊丹のこの本は有名で、かなり昔から知っていた。退屈日記などあるからヨーロッパに行っても退屈した、とでも書いてあるかと思っていた。読んでみると全然違う。「恥ずかしい日本人を嗤う」といったところか。

まずこの本の出版は1965年、昭和40年である。第一部は映画『北京の55日』(1963年公開、北清事変を扱った映画)に出演するためヨーロッパに行った時の経験である。この当時、普通の日本人は外国など行けなかった。金があっても外貨(ドル)準備が乏しく、ドルの入手が難しく海外渡航は制約されていた時代である。行ける者は極めて限られていた。「欧米」は「先進諸国」の枕詞だった。欧米といってもヨーロッパの方がアメリカより高く評価され、特にフランスは憧れの的だった。だからこの時期にヨーロッパに行った著者はまさに高みから見下すように日本人を批判している、というかたしなめている。

日本人の英語の悪口は今でも言われるが、当時ならなおさらである。だが納得のいかないところがある。p.22に「工事中はroad work(それにしても日本のunder constructionというのはどこから出たのかね)」などと言っているが、イギリス語と米語の違いに過ぎない。「昇降機はlift(それにしても日本のelevatorというのはどこから出たのかね)」と言っているようなものだ。そのくせヴェネツィアをヴェニスと言ってはばからないし、zipperもチャックと書いてある。人を嘲笑うなら自分も少し気をつけろと言いたくなる。ともかく伊丹十三という人にはがっかりした。

2024年10月22日火曜日

ヴェデキント『地霊・パンドラの箱』岩波文庫 1984年

パプスト監督、ルイーズ・ブルックス主演の無声映画『パンドラの箱』及びアルバン・ベルク作曲の歌劇『ルル』の原作である。ルル二部作と呼ばれる戯曲で、世紀の変わり目の時期に発表された。日本式に言えば日清、日露戦役当時である。

主人公ルルはfemme fatale、妖婦の典型とみなされる。ただ男を食い物にする猛女ではない。著者もルルを「それが若くてかわいい印象を与えられるかを検討した」(解説、p.299~p.300)と書いている。上記映画のルルを演じたブルックスを見てもそんな感じである。男たちが火にいる夏の虫のようにルルに溺れ破滅していく。元の劇では会話で回想される、裁判の場面が映画にはある。最後に切り裂きジャックによって殺される。この連続殺人事件は劇が書かれた当時はごく最近であったわけで、同時代の出来事を劇に取り入れているのである。歌劇の『ルル』は多くの録音、またDVDも沢山出ており人気の作品となっている。

2024年10月16日水曜日

中野翠『コラムニストになりたかった』新潮文庫 令和5年

元の著は令和2年に発行された。随筆家、でなく本人の弁によればコラムニスト、の著者が社会に出てからの人生を当時の風潮、事件などを回想しながら書いている。自伝の一種かもしれない。

大学を出て、就職は叶わず親のつてで新聞社にアルバイトとして入社した。その後、出版社でやはり補助的業務に携わりながら、著者の文才を認める者が出てきて頼まれれば何でも書いてきたそうだ。次第に連載を持つようになる。本書の特徴として少なくとも関心のある者にとっては、有名な人々との交流が書かれている。当時の流行や事件などが書いてあるので、年長者には懐かしく若い人には情報提供になるだろう。

三浦しをん『しをんのしおり』新潮文庫 平成17年

元の著は平成14年に発行された。三浦しをんの随筆である。自らの生活を綴り、特に漫画の話題が多い。友達と旅行に行った話とか。自分の生活や世の風潮、流行について感想が書いてある。

この著者は本当に漫画が好きとよく分かる。著者の生まれは自分が社会に出た年であり、20年くらい違うと世の好みというか、標準が変わるのだろう。後の世になると、今は大人がやらない、子供のしている事を大人が普通にやるようになるのだろうか。それにしてもそれはどういうものか。既に漫画もテレビゲームも大の大人が普通にやっているし。

2024年10月15日火曜日

多井学『大学教授こそこそ日記』三五館シンシャ 2023

現役の大学教授による、如何にして大学教授となったか、大学教授の実際はどのようなものであるかを書いてある暴露本の一種。このような下世話な話は誰でも好むので随分読まれているようである。

初めから学者になろうとしたわけでなく、大手銀行にも勤めていた。あまりの過重労働に音を上げ、長野県の短期大学で教員を募集しているとつてで聞き、そこに勤めるようになった。今度はあまりの給与が低いのに驚いている。銀行では長時間労働の対価として給料が出ていたわけであり、短期大学の教員(専任講師)だから低いのは当然であろう。なお著者の専門は国際政治である。徳島大学から声がかかってそこに行く。研究費その他処遇は比較にならないくらい改善した。更に現職である関西学院大学に移る。収入は一気に一千万円を超えたという。(p.125)アラフォーで、ある。生涯働いても一千万の年収に届かない人が、中小企業ではもちろん、名の知れた大企業でも多い。大学教授がこんなに儲かる仕事とは知らなかった。大学教授としての学生対応や受験の監督など嫌な業務が書かれている。

この本で驚いたのは、年収とあと誤植がある。p.188に「東大や京大などの旧帝大は教授会が強く、以前としてボトムアップ型の政策決定が行なわれているようだ。」とある。「以前」ではなく「依然」だろう。本文中の誤植は珍しいので気になった。読んだのは初版であり、後の印刷では改善されているかもしれない。

はなればなれに Bande a part 1964

ゴダール監督、仏、96分、白黒映画、アンナ・カリーナ主演。英語学校でカリーナは二人の青年と知り合う。あまり優等生的な感じではない。カリーナがいる叔母の家に大金があるというので、それの強奪計画を立てる。最初はうまくいかず二度目の押し入りでは金が見つからず、叔母を縛り上げ捜す。あちこちで札束が見つかる。縛っておいた叔母を見ると息をしていない。あわてて逃げ出す。ただ家を出てから叔母の死を確かめると言って戻ったら、男が来て射殺される。札束が舞う。残りの男とカリーナは車で逃走する。男はみんなはなればなれになっていると言う。二人は南米に行こうとする。

昔観た時の思い出はジュークボックスの前で三人が踊る場面、これはジュークボックスではなかったが店の中である。またカリーナが自転車に乗って曲がる時、その方向に手を差し伸べる。昔日本でもやっていたが、最近はやらないのか。更にルーブル美術館の中を最短時間で走り抜ける挑戦。懐かしい場面である。

2024年10月13日日曜日

群ようこ『鞄に本だけつめこんで』新潮文庫 令和2年

作家であり随筆家の著者が昭和62年に公表した初期の随筆集である。

各章というか、話の区切り毎に書名、著者名がある。幸田文『父・こんなこと』とか梶井基次郎『愛撫』とか。それらの書の説明や感想だけが書いてあるわけでない。基本的に著者のこれまでの人生がどうであったかが主体で、それに引っ掛けて取り上げられた本について書いてある。

この中で特に林芙美子の『放浪記』が著者のお気に入りの本という。

今野浩『ヒラノ教授の線形計画法物語』岩波書店 2014

今野浩教授によるヒラノ教授シリーズであるが、今回は線形計画法の発展に関わる歴史を述べている。著者がスタンフォードに留学し、師事したのが単体法の開発者であるジョージ・ダンツィク教授である。

師の話というか称賛が延々と綴られる。いかに天才であったか、どれほど線形計画法の発展に貢献したか。しかしダンツィク教授は悲劇の人である。なぜならノーベル賞をもらえなかったから。当然受賞してもよいのに、ダンツィク教授のみ外された。著者の悲憤慷慨が書いてある。もっともノーベル賞の受賞のおかしなところは今まで多くある、とは誰でも知っていよう。ダンツィク教授の業績は広く知られており、高く評価されている。もっともそうだからこそノーベル賞という今では最高権威の賞を、外されたのが著者には憤懣やるかたないようである。

2024年10月7日月曜日

ジョーカー Joker 2019

トッド・フィリップス監督、米、122分。主人公の男は社会に対し不適応な人間である。精神を病んでいるのだろう。

喜劇人になりたく、今は道化師サービスを提供する会社に勤めている。店の広告のため道化師の恰好で看板を持って店の前にいる時、不良たちに看板を奪われ後を追いかけるが、不良たちに暴力を振るわれる。また同僚がくれた拳銃を、小児科病棟に行って道化師の仕事をしている最中、床に落としてしまう。これで会社は馘になった。

主人公の母親は歳で体が良くないが、富豪ウェインに何度も手紙を出し援助を求めている。主人公が手紙を読むとそこには主人公がウェインの息子で母親がウェイン邸に仕えていた時に出来た子供と分かる。主人公はウェイン邸に赴くが相手にされない。後に母親に騙されたと、母親を殺す。

主人公は地下鉄に乗っている時、からんできた男三人にひどい目に会わされる。持っていた拳銃でそれら三人の男を撃ち殺す。犯人は道化師風の男だったと噂が広まる。街はゴミの累積による不衛生に加え、人々の金持ちに対する不満が募り、道化師の仮面をかぶって狼藉を働く者が溢れた。ロバート・デ・ニーロ演じるTVショーの司会者に縁あって主人公は出てくれと呼ばれる。その際に自分が地下鉄の殺人犯だとTVで名乗り、難詰するデニーロの頭を銃で撃ち抜く。混乱に陥る。主人公がパトカーで護送される途中の街は暴動状態である。パトカーに大型車がぶつかり、主人公は救助される。英雄として祭り上げられる。劇場から出てきたウェイン親子は賊に襲われ両親が殺される。

2024年10月4日金曜日

ヴェルディ『オテロ』クライバー指揮、スカラ座、1976/12/7

カルロス・クライバーが『オテロ』をスカラ座で振った実況のDVDである。ドミンゴ、フレー二が出ている。

ずこのDVD盤の特徴を述べる。字幕が全くついていない。見始めて字幕選択が出てこないと思ったら、パッケージの一番下にIn Italian, no subtitlesとある。また2枚組である。DVDでも(Blue rayでなくとも)『オテロ』なら一枚に収まるであろう。2枚目は第4幕のみである。全体の演奏時間は143分とパッケージにあるが、一枚目、二枚目で夫々何分か不明である。そもそも中古で買ったので、中に解説書が入っていない。パッケージ及びディスクを見てもレーベル名も発行会社も書いていない。海賊盤かと思ってしまった。あと収録ではカーテンコールなども入っている。何より観客がうるさい。クライバーが棒を振り始めても、まだ何かどなっている。第4幕は冒頭にデズデモーナが柳の歌を歌うところなので、クライバーが棒を振っても観客が叫んでいるからいったん棒を下ろしてしまった。音楽を聴く、舞台を見るより騒ぎたい連中がいるのだろう。