本書は昭和4年に刊行された「世界大衆文学全集」第30巻「ポー、ホフマン集」改造社のうちポーの翻訳を抜き出したもの。同集には他にビアスの翻訳も収録されていたそうである。本文庫の収録作品は次の通り。
「黄金虫」
「モルグ街の殺人」
「マリイ・ロオジェ事件の謎」
「窃まれた手紙」
「メヱルストロウム」
「壜の中に見出された手記」
「長方形の箱」
「早過ぎた埋葬」
「陥穽と振子」
「赤き死の仮面」
「黒猫譚」
「跛 蛙」
「物言ふ心臓」
「アッシャア館の崩壊」
「ウィリアム・ウィルスン」
更に附録として江戸川乱歩による「渡辺温」と、谷崎潤一郎による「春寒」という探偵小説論を少々と渡辺温の追憶が載っている。訳者の一人渡辺温が谷崎邸を訪れた後、交通事故死しているからである。昭和5年で渡辺温は27歳だった。
江戸川乱歩名義訳とは、江戸川乱歩訳として当時刊行されたからである。実際の訳者である渡辺温、啓助兄弟を明記しての復刻である。復刻は新漢字、旧仮名遣いにしてある。戦前の本であるから漢字が多く、使い方も最近と異なっている。ただ漢字には振り仮名がふってあるから読むのに差し支えない。旧仮名を別にしても最近の文章とは調子が違う。
なぜ今このような古い翻訳の復刻が出るのか。それは本訳の評判が良く、名訳視されているかららしい。カバー裏の宣伝文には「ゴシック風名訳」とある。これが最近の文と違って読みにくく思う読者もいても不思議でない、の理由になる。解説によると比較的最近でも数編の訳が豪華版で出たそうだ。
さて本書はポーファンにとってありがたい出版であるが、初めてポーを読もうとする人には、多く出ている現代の訳書を勧めたい。なぜなら上に述べたように戦前風の文をおいても、見ると全訳でないと分かるところがある。たとえば「モルグ街の殺人」は本書では、題辞の引用文の後、次の様に始まる。
「一千八百――年の春から夏にかけて、巴里に滞在する間に、私はC・オーギュスト・デュパン氏と懇意になった。」(本書p.68)
あの分析能力が分析を許さないから始まる、遊戯を例にした論考がない。更に語り手がデュパンと一緒に住むようになったと述べた後の、夜の散歩の最中、デュパンが語り手の物思いを言い当てて驚かせる挿話も訳されていない。
別に粗捜しする気は毛頭ないのだが、文中にも訳されていないところがあった。デュパンがモルグ街に行く前、パリの警察の見当違いを批判するため、モリエールの戯曲を例にするところがある。これが本書では訳されていない。本書p.80の最後の段落とその前の段落の間にくるはず。原文は次の様。
as to put us in mind of Monsieur Jourdain's calling for
his robe-de-chambre --pour mieux entendre la musique.
他書の訳文例。
「例のジュールダンどのが、音楽をもっとよく聴くために――部屋着を持ってこいと言ったことを思い出させるよ。」(佐々木直次郎訳のp.29)
「あの『町人貴族』に出てくるジュールダン氏のことを思い出させる。ほら、音楽をもっとよく聴けるようにと、部屋着を持って来させた男ですよ」(丸谷才一訳のp.28)
原文の仏語の部分はいずれの訳も仏語発音の振り仮名がふってある。フランス語が入っているからというよりモリエールの戯曲を知らなかったためだろうか。他のところでも気になる訳文があったがいちいち他訳と比較しても煩雑だから止める。
さて再度述べれば、本書の翻訳をあげつらうため書いてきたのではない。目についたところを書いただけである。昔の翻訳には全部訳してない例はそれなりにあった。ジュール・ヴェルヌの小説など周知であろう。さらに今見直すと変な訳文が目につく翻訳があった。また江戸川乱歩名義で出されていたのは売るためで、昔はよく実際の訳者と表記の訳者が違っていた。乱歩の例は有名だろうが、乱歩に限らない。偉い先生の名を使い、弟子などが実際に訳す、執筆するなどざらだった。昭和初期の刊行であるため、現在の基準で見ると批判したくなろうが、当時はたいして珍しくない。
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