指揮者ジョージ・セルが20世紀の偉大な指揮者の一人であることは誰も異存はない。しかしながら昨今のセルの人気はどうか。セル=クリーブランドが超人気であることは、日本のクラシック・ファンの常識である。熱狂的ともいえる人気ぶりである。20世紀最大の指揮者と評価している人も多いようである。その原因はどこにあるのか。
再度断っておくと、セルが優れた指揮者である点については全く反対するつもりはない。セルの指揮は端正であり、正攻法、楷書的でまさに音楽そのものを説得的に再現する。音楽を鑑賞するには極めて望ましい。そのセルが評価されるのは当然である。しかしながら、昨今のセル・ファンの文を読むと、熱狂的に傾倒し絶賛の言葉が書き連ねてある。他人がどう演奏家をほめようがとやかく言う筋合いでないと言われそうである。反対しているのではない。この超人気の理由を自分として知りたい。以下は自分の理解である。
最近のセルへの熱狂ぶりを見ていると、かつての指揮者、カルロス・クライバー、カール・ ベームの人気を思い出す。カルロス・クライバーはさておいて、ベームへの人気ぶりにやや似た所を感じる。ベームもセルも熱狂的なファンが多くつくとは自分は思っていなかった。もっと落ち着いた大人に人気がある指揮者という印象である。なぜベームはあれほどまでに日本で人気があったのか。ベームがウィーン・フィルと共に来日した時の演奏を聴きに行った。記憶として残っているのはどんな曲目だったか、演奏はどうだったかではない。演奏が終わるや否や、興奮した聴衆が舞台に駆け寄って、いわば押し寄せてきたのである。自分たちの興奮を伝えたかったのであろう。呆れて見ていた。アイドルも顔負けであった。
思うにカラヤンの対抗馬としてベームが担ぎ出されていた影響ではないか。当時、帝王カラヤンはクラシック・ファンのみならず一般的にも知られていた。クラシック・ファンたるものカラヤンなぞ評価していては沽券にかかわる。そう思っている人が結構いたようだ。クラシック音楽に造詣のある者ならカラヤンでなく、ベームを評価している方がもっともらしく見えると。当時非常に影響力のあった某評論家がカラヤンを「実力以上の人気」とけなし、ベームを持ち上げていた。この評論家にいたく心酔し、盲従追随していたクラシック・ファンが多かった。これも影響していると思う。カラヤンが死んで30年以上経つ。もしカラヤンの人気が表面的なものにとどまっていたら今頃消えていたはずだ。しかしベームの方が、かつてほどの人気がなくなっている。ベームが日本では実力以上の人気だったように見える。
さてセルの問題に戻る。セルが熱狂的な人気を得るようになった原因を探っていた。それがセルの日本公演の記録CD「LIVE IN TOKYO 1970」の解説書を見て分かったような気がした。音楽評論家吉田秀和が次の様に書いているのである。「ジョージ・セルは今世紀で最も高潔な指揮者ではなかったろうか?」その後もセルの絶賛は続き、最後に大阪公演の「英雄」の出来をこの上なくベタ褒めしている。何しろ文化勲章を受章した、最高に評価されている評論家なのである。その評論家のお墨付きをもらえればどれだけ絶賛しても構わない。
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