2019年9月25日水曜日

米原万里『打ちのめされるようなすごい本』文春文庫 2009

著者はロシヤ語通訳者、本文は第一部、第二部に分かれる。第一部は「私の読書日記」、第二部は「書評1995~2005」。第一部は2001年以降、週刊文春に、第二部は読売新聞等に書いた批評を集めている。
世の読書好きは読むに値する本の案内が好きである。面白い本はどれか、いつも捜しているからである。色々な本の紹介はそういった意味で役に立つ。
しかし読んでいて気になるところがある。以下に例示する。

著者の政治的主張が多い。
政治的な主張や社会批判が結構出てくるのである。以前、わが国で支配的であった進歩派、反権力の立場でものを言っている。どういう意見を持とうが勝手だが、ここは書評の場である。他人の政治や社会への意見など聞きたくない。

おかしな意見が書いてある。
インターネットのホームページの言語別割合が引用してあり、英語84.3%、・・・日本語3.1%とあるのを見て「言葉を失」ったとある。何に言葉を失ったかというと英語の割合の多さである。「それぞれの言語共同体のコンピュータ普及率を考えると、さほど気にすることもないかもしれない。」(p.30)と言っているのである。
これを読んでおかしいと思った人が多いのではないか。英語のHPが多いのは、言うまでもなく英語が事実上の世界共通語になっているからである。普遍的な学問の論文は英語で書かなければ受け付けられない。何でも世界に向けて発信するのであれば英語で書くしかない。言語共同体のコンピュータ普及率などの話でない。そもそもこの数字を見て英語の割合が低すぎると思った人が多いであろう。英語84.3%云々がいつの数字かも書いていない。引用元の文献名はあるが、数字についてはいつの時点か書かなければ意味がない。

必要な情報が書いていない
ロシヤで現代日本文学のアンソロジーが出た。安部公房や大江健三郎で日本文学に期待していたロシヤ人は「あまりの退屈、底の浅さに愕然とした」とある。(p.51)どんな作家のどんな作品か気になる。しかしそれが書いていない。著者も捜したが入手できなかったとある。実際に入手しないと分からないのが実情なのであろうか。

ロシヤ関係が多い、同一著者の本が何度も挙げられている
これは著者がロシヤ緒通訳であれば当然かもしれない。ロシヤや東欧関係が非常に多く、やや一般的な読書案内とは、ずれる。
同一著者を繰り返し挙げているのは、それらの著者が好きなのであろう。本にして売り出すなら同一著者はまとめてみたらと思ってしまった。

以上、あまりに好評の本であるから、気になった点を列挙した。
評価できるのは、索引がついていること。ある経済学者が「索引のない本は本でない」と言っていた。文学書や読み捨ての本以外で、広い意味の何らかの知識を提供するなら索引は必要である。

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