ドストエフスキー晩年の長篇小説群の中ではあまり読まれていない。五大小説などと言われるが『罪と罰』以降の長篇小説の総称であり、内容の出来栄えからいったら『未成年』を除く四大小説と言うべきであろう。
一人称小説で語り手のアルカージイが成年になったばかりの時点で、一年前の未成年時代を回想する形をとる。語り手はヴェルシーロフという貴族と、農奴だった母親の間に出来た私生児である。
小説の舞台となるペテルブルクに来る前はほとんど両親を知らなかった。やって来て会ってみると両親及び妹は落ちぶれた生活をしている。語り手は幼い時の印象等でヴェルシーロフを立派な男と思い込んでいた。
語り手はペテルブルクで様々な人間に会い、経験をする。老公爵の秘書をしたり、その娘将軍未亡人に思いをよせたり(この女とはヴェルシーロフとの恋愛沙汰もあった)、友人たち(ずいぶん悪人もいる)との関係など。また語り手の戸籍上の父親マカール老人は肯定的な人物とされカラマーゾフのゾシマ僧正などに連なる。
他の長篇小説ほど評価されていない、また読まれていない理由は、小説として十分練られていない、殺人事件など刺激的な要素がないということか。
ただ長篇であり、ドストエフスキー的な要素が多く盛り込まれているのは確かである。そのためドストエフスキー好きに、どのようにこの作品の良さを理解するかという課題をつきつけ、それで気になる小説である。ドストエフスキーが『未成年』しか書かなかったら名を残すことはなかったであろう。
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