山本薩夫監督による大映映画。主人公は平幹二朗演ずる幽学という武士出身の農村改革者、実在の人物だそうである。
天保大飢饉期の下総東北部。主人公の幽学といい、親分の飯岡助五郎、笹川繁蔵、剣客の平手造酒といった実在の人物を、講談等を基にして自由に描いている。
農村映画協会との映画であり、初めて農村協同組合を作ったという業績の強調である。
映画は寺の本尊である仏像を百姓が盗む場面から始まる。捕まえてみると村の一人である。その末娘が借金の方に連れ去られようとしていた。これを止めたのは武士出身で村にいる主人公である。盗人は娘を助けようとして泥棒を試みたのである。主人公は、農民たちに共同事業の必要性を説き、これが豊かになる方法だと説得する。
浅丘ルリ子演じる長女は夫が亡くなったのち、借金のため娼婦になっていた。借金を返し、幼い子供を連れ村へ戻り、百姓をしていくつもりである。亡夫の思い出に生きている。主人公の説く理想には冷やかである。
理想と挫折を繰り返し映画は進む。それだけでなく飯岡と笹川の決闘や、笹川側の平手などを描く。かつての庶民には講談などでお馴染みの話であり、なければ物足りない感があったろう。しかしそれらに疎くなった現代人には余計と思われるかもしれない。映画の冒頭にビアフラの悲劇をも凌ぐ、と天保飢饉の惨状を説明する語りが入るが、ビアフラ飢饉と言ってもわからない人もいるかもしれない。
なにしろ山本薩夫監督である。いかにもと思わせるイデオロギーを前面に出した映画となっている。この昭和50年代初めまではこういう映画を作れたのか、と今になって思う。昭和30年代までは多くあった。黒澤の『悪い奴ほど良く眠る』『生き物の記録』とか、木下の『笛吹川』など。山本の、農村を舞台にした映画なら『荷車の歌』の方が、よほど説得力があり名作である。
共同生産の魅力を説く主人公は、集団農場を理想としたソ連初めの党員を想い出させるし、きれいごとを言う知識層はサロン・マルキストか。
色々な意味で懐かしさを感じさせるというか、時代の「精神」の記録になっていると思った。
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