著者の最初の妻である律子が題名となっているが、最初の方は中国へ報道員として渡った経験が占める。昭和19年に洛陽に行かないかと誘いがあり、すぐに承諾する。予定は3ヶ月だったが自分の意思で長期にわたり中国各地を回る。そこでの経験が書いてある。田舎の福岡に戻る。妻の律子は病気であった。福岡周辺の地をあちこち移る。親などとのごたごたがある。生まれて間もない息子太郎の記述も多い。終戦を迎える。福岡西方の半島にある田舎に引っ越し、そこで暮らす。
私小説であり、著者が語る型式である。終戦を迎えたあたりの描写は当時の日本人がどのように感じていたかの一例として興味がある。(新潮文庫、昭和42年改版)
0 件のコメント:
コメントを投稿