人気、影響力のあった音楽評論家宇野功芳の論著である。本書の初版が出た時、福永陽一郎(宇野と意見を異にした指揮者、評論家。本書でも名が出てくる、悪く言っているわけでない)の書評が確か「レコード芸術」誌に出た。
そこには本書は、題名は作曲家論のようでありながら、内容は演奏者論のようでありながら、内容は宇野功芳その人が書かれている、とかあった。また宇野功芳ほど幸せな人はいないなどと書いてあったと記憶する。記憶なので確かでないが、まさに本書はそのとおりであろう。
もともと昭和48年に出され、増補改訂版が2年後に出た。本書は増補改訂版の再発行である。古くなった資料の削除はある。
書名にある二人の作曲家は宇野のお気に入りの作曲家である。まずモーツァルトでは「モーツァルトの人と作品」として、管楽器のための協奏曲、モーツァルトの娯楽音楽、シンフォニー、宗教音楽、ピアノ・ソナタ、K488、k595、魔笛と宇野お気に入りの作品を特に解説している。続いて演奏家論である。指揮者、ピアノ奏者がずらりと並ぶ。夫々の演奏家の演奏について宇野功芳調の批評が並ぶ。続くブルックナーでは、第八交響曲、第九交響曲、その他の交響曲とあり、特に好む二つの交響曲を詳しく解説する。演奏家では指揮者について批評する。モーツァルトほど多くない。今では信じられないが、当時は今ほどブルックナーは聴かれず、難解な交響曲という印象があった。まさに隔世の感がある。
モーツァルトにしてもブルックナーにしても演奏家論が主である。懐かしい名がある。リリー・クラウスはモーツァルト弾きとして宇野絶賛のピアノ奏者だった。宮沢明子、この人の名は当時、オーディオ雑誌でも見た。この本にあるように録音プロデューサーでオーディオ評論家でもあった菅野沖彦によって録音されて記事になっていた。
宇野は自分にとって「面白い」文を書く人であった。演奏の好みは違っていて、あまりレコードを買う際の参考にならなかった。初めに書いたように宇野に対する人気は絶大であった。好き嫌いをはっきりさせ、素人っぽい書き方で断定調の文をものす。宇野は音楽評論界の新興宗教の教祖のようであった。自分としては教祖の宇野よりも宇野教信徒の方に関心がある。洗脳されたかのように盲従追随していた。当時は今よりレコードの実質価格(他の物価と比べた価格)が高く、おいそれと買えなかった。だから評論家の威信が高かった。断定調で白黒をはっきりさせてくれる宇野に人気が出たのは不思議でない。しかしあれほど宇野に熱狂する必要があるのかと思っていた。特定の演奏家に熱狂するファンはいるが、評論家で熱狂的な人気を集めたのは宇野くらいだろう。宇野の後、または他では、吉田秀和が特に人気というか威信の高い評論家であるが、アカデミック寄りで毛色が異なる。
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