2019年4月12日金曜日

ティルソ・デ・モリーナ『不信心ゆえ地獄堕ち』 El condenado por desconfiado 1635

『ドン・ファン』の原作者として名高いティルソは聖職者であり、これは宗教劇で本領を発揮している。あの世での救済か地獄落ちかの生き方を描く。

山中で修行する修道士パウロのところへ悪魔が姿を変えやって来る。ナポリのエンリコという男の生き様と、運命を共にすると告げる。エンリコは聖人かと予想しパウロは山を下る。
しかるにエンリコは殺人強姦を数多く重ねた極悪人であった。すっかり絶望したパウロは山へ戻り、エンリコに負けない悪人を目指し山賊になる。

エンリコは悪人だが年老いた父親には優しかった。
エンリコは殺人で死刑を宣告される。悪魔が牢に来てエンリコを逃げるよう誘うがエンリコは断る。父親がエンリコに会いに来てエンリコは深く悔い改める。
山賊のパウロは天使の言にも耳を貸さず、炎にまかれ地獄堕ちする。エンリコは天国に行った。

悪人が悔い改め救済され、善人のように振舞っていた偽善者が救われない。このように書くと「スペイン黄金世紀演劇集」で直前にある『悪魔の奴隷』と枠組みは同じである。最初善人かと思われた者が山賊になるところまでそうだ。もっとも本編では地獄堕ちして、罰を受ける。悔い改めの機会があったのにしなかったからである。

これらスペイン劇に限らず、悪人が最後には救われるという筋は他にもよくある。救われるために、最初は悪事を果たらなくてはならないのかと思ってしまうほどである。
親鸞の悪人正機説にも通じるところがあるか。
中井博康訳「スペイン黄金世紀演劇集」名古屋大学出版会、2003年所収

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