題名からして過去の偉人の意見等が聞けると期待するだろう。そういう面はもちろんある。しかし副題に「昔のインタビューはこうだった」とつけてもよいくらい本である。最初に長文の序がありインタビューそのものの歴史的解説といったところか。
ともかく聞き手の存在が大きい。聞き手といったら、読者が関心を持つような受け手の意見や考えを引き出す産婆役というイメージがある。しかし本著は聞き手と受け手の対決といったものさえある。夫々のインタビューの初めに、受ける者の略歴に加え聞き手の略歴も載っている。
W・T・ステッドになる人物(知っているか?)へのインタビューは聞き手の略歴しか書いていない。インタビューの内容といったら女の服装への意見である。
19世紀の終わりのイギリスは南アとの戦争が最大関心事であった。ポール・クリューガーという当時の南ア大統領へのインタビューは、聞き手の記者の演説会のような観である。ほとんどが聞き手の文章である。「・・・インタヴューの名手と議論すればろくなことはない。議論には勝った、とわたしは自分をなぐさめた」(p.361)論破にしにやって来たらしい。「われわれジャーナリストはみな全権大使なのですから」(p.362)「いかにも彼らしい意見だ。読者よ、この解釈は各自の自由におまかせする」(p.368) 聞き手の意見を読者に教え込もうとするのが目的のインタビューらしい。
以上はやや極端な例である。面白いのはラドヤード・キプリングが聞き手になり、また後日、受け手になっている、その対照である。受け手がマーク・トウェインとなったインタビューではキプリングは苦労して尊敬するトウェインに会い、非常の感激した様子が書いてある。ところがその3年後に自分が受け手となると、インタビューは犯罪だと言いボロクソにけなしている。
現在のインタビューと変わらない形式のものも多くある。最初のブリガム・ヤングとはモルモン教の指導者で、ユタ戦争の際の有名なメドー山の大殺戮からあまり経っていない時期であるが、そつなく受け答えしている。続くマルクスは当時としては、もっともらしく聞こえる回答をしている。
歴史上の人物である、政治家のビスマルクやウッドロー・ウィルソンなど貴重である。有名な作家であるR・L・スティーヴンスン、エミール・ゾラ、オスカー・ワイルド、イプセン、トルストイ、チェスタトンは、文学愛好家は関心を持って読めるだろう。さすがにトルストイは個性的な意見を吐いている。
その他、忘れられたというより日本で元々知られていたのか、というような女優や政治家などのインタビューがあり、昔のイギリス編集とわかる。
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