ギリシャ哲学で名高い田中美知太郎の自伝である。もっとも自伝と言っても普通の自伝とはかなり異なる。自分の幼い頃の回想から始まるというのではない。過去の事件や自分の経験に対する意見を述べているところが多い。
最初の章は「合間」という題である。これは大学卒業後、東京に出て職を得るまでの期間をそう読んでいるのである。そういえば田中は京大の哲学の教授で、てっきり関西の人間かと思っていたら、新潟の出身で東京で中学校(旧)を卒業した後、上智の予科に入りそこから京大を受験し関西に行ったようだ。大学を出てからも職を得るため東京に出て、法政大学、次いで文理科大学の教員になった。戦後になって京大に招かれたわけであるが、ここではそこまで書いていない。本書の第二章は三木清がドイツに留学してあちらでどう勉強、研究したかと長々と書いてある。三木清の名は今でも知られているが、戦前は大変な有名人だったらしい。その三木清も京大の教員に採用されず、東京に行き法政の教授になった。
田中は日記をつけていて当時の日記を引用し、回想している。今では知る人もいないだろうが、法政で昭和十年前後に教員間の騒動があった。自分の敵方の教員を追い出そうとした騒動である。田中は教員だったから影響を受け、その経緯が書いてある。当時の法政の教授陣は有名人が多いと知った。本書で最も痛快なのは軍人に対する忌憚ない批判である。ニ・二六事件の首謀者やその後、戦争を推し進めた軍人連中を私利私欲で行動した、などと書いてあり、このような軍人批判は見たことがない。終戦の年の五月の東京空襲で田中は被災しもう少しで死ぬところだったらしい。焼夷弾からか、酷い火傷を負った。その辺りの事情が最後の方にある。(文藝春秋、昭和59年、新装版)
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