著者ジュリアン・グリーンは米国人の両親のもと、パリに生まれ育った。『モイラ』は1950年に公表され、舞台は1920年の米の田舎の大学である。著者自身が留学した米ヴァージニア大学をモデルにしているらしい。
主人公のジョゼフ・ディが入学して下宿で知り合った学友たちとの交わりが話の大部分を占める。書名のモイラは女の子の名で小説の後半になって登場する。主人公ジョゼフは、信仰一筋にキリスト者としての生を歩むべきとの信念の塊である。潔癖という言葉では手ぬるい。
他人に対しても厳しい。下宿の女主人が紅白粉を差していると「〈助けてあげなくては〉と、彼は思った。〈そう、彼女が救われるよう、助けてあげなくては〉。そして不意の情熱にとらわれて、彼は自分がこの女性に恥の涙を流させ、約束をさせ、心から悔い改めさせ、さらにはかつて行われていたように自らの過ちを公の場で告白させる姿を思い描いた。なんという勝利だろう!」(本文p.23)女が化粧するだけで罪なのである。
友人に対しても何としても優位に立とうとする。相手の言い分を認めたら負けという発想なのである。こういう人物はいかにもアメリカ人らしいという気がする。脱線するとアメリカの映画をみていると厳格な狂信者が現れ、他者を断罪する場面がある。さらに犯罪者や問題児はその親がこういった狂信者であったと小説などに書いてある。
この謹厳実直居士の主人公が若い女モイラに会ってどうするのか。解説にはネタバレ的な記述が若干あるので(終わり方が意表を突くところがあるから)、読了するまで解説は読まない方がいい。
この文庫で一番感心したのは注が各ページについている点である。注を巻末にまとめて読者を煩わす本がいまだにある。なおp..344に「精霊にとらえられたら、精霊に身を任すべきだ!」とあるが、この精霊は聖霊ではなかろうか。全く別の本でも精霊と書いてあるのを見て同じように思ったりする。(石井洋二郎訳、岩波文庫、2023)
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