この『覆面の佳人』と題された長編探偵小説は、昭和4年に北海道の新聞に江戸川乱歩、横溝正史の合作として連載された。明くる年に『女妖』という題で九州の新聞に連載し直された。執筆は乱歩、正史となっているが、横溝正史の単独執筆らしい。
この昭和初期には横溝正史の名はそれほど有名でなく(横溝正史が著しく高名になったのは昭和50年代以降の、映画と連携した角川商法のたまものである)、乱歩の名によって売ろうとしたようだ。乱歩名義になっている他人による創作、翻訳、子供向け読み物は多く、春陽文庫に入っている江戸川乱歩『蠢く触手』は岡戸武平(博文館社員)の作である。別に乱歩だけの話でなく、昔は高名な学者名で出している本も執筆は弟子がしているなどは珍しくなかった。
また横溝正史の完全な創作でなく、翻案である。つまり原作の自由訳である。読むと驚くべきことはフランスが舞台になっていて登場人物はフランス人、イギリス人、ロシヤ人などであるが、みんな日本名なのである。蛭田紫影、成瀬珊瑚、綾小路浪子など。これはまえがきにあるように、訳補者は黒岩涙香を称賛しており、その涙香の流儀によったものか。翻案の原作者は米の女流作家A.K.グリーン(Anna Katherine Green)とある。ポー以降の19世紀後半の長編探偵小説は仏のガボリオ、英のW.コリンズ、米のグリーンによって代表される。このうちグリーンは古い探偵小説好き以外には知られていないだろう。1878年に『リーヴェンワース事件』The Leavenworth caseを出し有名になった。ただこの翻案の元の作品は不明であり 『リーヴェンワース事件』ではない。巻末の解説も『リーヴェンワース事件』は代表作として挙げており、間違えないようされたい。
さてこの小説の発端は雪の降りしきるパリで事件が起こり、容疑者は口を割らない、と言ったらガボリオの『ルコック探偵』を思い出すのではないか。実際にガボリオ風、涙香風の雰囲気で進む。いわくありげな人物が多く登場し、小説の展開は読者の関心をそそるだろう。後半になって随分殺人事件が多く起こる。推理小説的な要素は犯人が誰かである。さてこの作品の評価である。誰が書いていてもよい。誰が原作でもよい。面白ければ。ただ残念ながらあまり面白いとは言い難い。それでもガボリオ風の小説が好きな人、また横溝正史が書いており、翻案だから横溝の創作部分も結構あるだろうから、横溝ファンには勧めたい。
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